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みやこたまち
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そののちのこと(無間奈落)

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一「秋の風に虫たちの〜覚だけが残っていた」


 秋の風に虫たちのころころと声を震わせ鳴いたのは、七日に満たなかった。その後、再び太陽が猛威を振るい始めた日を、男は暦に書き込んだ。二度目の夏。その印象は朦朧とした大気の揺らぎとともに、男の脳内に深く根ざすこととなった。
 男は所作なく庭の一角に立ち尽くしていた。庭師に言いつけた計画が、この気候で台無しになった。庭は精気を無くし、草木は実をつけることなく立ち枯れ始めた。男は、右手を胸の辺りに当て、ぼんやりと庭を眺めていた。庭の荒れ方にはどことなく不吉なものが感じられた。塔屋の風見は門のほうを指し示したまま微動だにしなかった。
 庭の凋落は男の精神を暗くしていた。ただ、赤茶けた霞の中に朽ちていく風景は、心を安楽にする何かを醸し出していて、それが庭師に対策を講じさせる命令を躊躇させていることも事実だった。いつのころから繰り返しているのか分からない所作の連続が、男の精神を奇妙に歪めていた。すべきことの無い生活にあって、思い通りにならない物事から目を背けることを許されない状態が、その眩暈にも似た感覚を増幅させていた。

 ある夕刻、屋敷の門戸の前に女が立った。
 実体の無い影法師が地面に繋がれてゆらゆらと立ち上っているようだった。瞳に光が無く、手足に力が無かった。ただ肩口を経て手の甲の辺りにまでのたうつ髪だけが、白く光って見えた。彼方を凝視していた男が背中に冷気を感じて踵を返した先にその影があった。姿に覚えは無かった。この家を知っている者は少ないはずだったが、迷い込んだ風にも見えなかった。開け放された門戸から切り取られた朱の空が見えていて、その中心に、女の影が暗く綻びていた。
 無言で見つめ合ううち、互いの心が通い合うかのような錯覚が男に生じた。女の口元から白い歯の輪郭がのぞいた。それは笑っているようにも見えた。
「穂積信夫って、あなた?」
 女はそう言ってから、自分の発した質問にはまるで無頓着な様子で首を深く折り、右足を左足の前に交差させてふらふらと身体を揺すった。信夫が感じていた親和は、あっけなく崩れ去った。信夫はまず女に憤りをおぼえ、それからまた別の、懐かしさのようなものを感じた。信夫は、女にも女の質問にも無関心なのだという風を装いながら、「そうだ」と答えた。すると女を覆っていた影が一瞬細かく震え、色も、深い藍から灰色に変化したように見えた。だが、そのことを心にとどめるゆとりの無いうちに、女は地の底へ引きずり込まれるように倒れた。

 闇の中に、三つの光の玉が見える。それは時折溶け合って一つになる。オレンジの暖かい光が、紫や、藍色に侵食されて大きくなったり、小さくなったりしている。他には何も見えない。何も聞こえない。女は自分自身さえも見つけることができなくなったのだと思った。やはり、真空の中に溶けてしまったのだと思った。砕け散ったのだと思った。

 穂積信夫は、書斎のランプの下でしげしげと女を見下ろしていた。そうしていると、先ほどの親和が蘇ってくるのだった。信夫はこの瞬間が永遠に続けばよいのだと思った。その刹那、書斎のランプが奇妙に揺れた。色が僅かに青味を強くしたような気がした。胸にかすかな痛みを感じて、信夫は目を閉じた。軽度の痺れのようなものをやり過ごしてから、信夫は眼下の、女という形態の美しさを楽しもうとした。意思は必要ない。そこにただあればよいのだと信夫は強く思った。だが、女はまだ別の場所で息づいているのだった。
 薄い瞼がぴくりと動き、女はゆっくりと目を開けた。青白い矢のような光が、女の首筋の辺りを貫いていた。女は一瞬おびえたように見えたが、すぐに両手を信夫の身体に巻きつけた。信夫は身体を硬直させて女を無視しようとした。女は信夫のそんな手ぬるい拒絶をものともせず、自分の額を信夫の顎にすりつけるところにまで這い上がってきたが、その下半身はまったく弛緩しており、右足と左足との区別すらつかなかった。女の身体から立ち上るかすかな匂いが、さらに信夫の神経を揺さぶり、身体が火照り始めた。信夫は自分の首の後ろで組まれている女の手を振り解こうと身体を揺すった。しかし、女の組み手は尋常な硬さではなかった。信夫は首だけで女を吊るし上げ、ソファーから引きずりおろした。女は信夫の顎を見上げたまま、白目をむいて笑っているように見えた。信夫は顔を赤くして、女の頬を張った。白い肌にかすかな赤みがさし、女は余計に信夫の首を締め付けた。これまではただぶら下がっていただけの両足が、今では信夫の両膝を外側からしっかりと挟み、そして相変わらず首だけはがっくりと上を向いたまま、歯を見せて笑った顔をしているのだ。信夫は息を荒くしながらくるくると回っていたが、やがて馬鹿馬鹿しいような恥ずかしいような気になって、女を抱えたままソファーに腰を下ろした。膝の上に座を占めた女の顔が、信夫の鼻先で笑っていた。