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みやこたまち
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そののちのこと(無間奈落)

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七「あの子というのは〜でそっと扉をしめた」



 あの子というのは、大学で知り合った女性の事である。名前をみずはという。彼女と信夫とは特別推薦枠での入学者だった。特別推薦枠は、簡単な面接と感想文の審査があるだけで、落選する者は殆どいなかった。全国に三十校ほどある大学指定の高校から一人ずつが学校長の推薦を受けられる。だから高校三年間の評価が重要視されるという点では、一般試験よりも難しいともいえた。しかし信夫にとっての最大の関心は、受験勉強という不毛な消耗を避けることであり、その高校を選択した理由は一重にこの制度にあったのだ。  
 日々は苦もなく過ぎていった。もともと成績は優秀で、個性だ自由だといきまく気も無かった。友人と呼べる相手は一人も無く、それがつまらない事だとも思わなかった。適当な時期に、生徒会役員でもつとめて内申書を装飾すればおつりが来るほどだった。
 一方、みずはも、進学を目標として学校を選んだ点では、信夫と同じだった。勉強も良く出来た。しかし気立てが良く、面倒みも良かった彼女は、友人のあらゆるトラブルに対する相談や、時には相談以上の活躍をした。学校側も彼女を便利に使っていたようだ。当然、彼女の存在は学内でも目立ち、それを心良く思わない連中の相手をも、彼女は引き受けなればならなかった。彼女は常に他人の問題に取り組んでいて、自分の問題は決して表に出さなかった。
 校内一名の特別推薦枠に彼女を推す、という決定を聞かされたみづはは、さほど嬉しげでも無かったが、申し入れは受けた。彼女を知る全員が、その決定を当然だと思った。学校も彼女を推薦する事で、大学に対する立場が良いものになると信じていた。例えば、一般推薦の人数が増えるとか、特待制度の条件が緩和されるなどといったことである。
 高校最後の春休みを、みずははまるまる床の中で過ごした。往診した医者は心労からくる衰弱だと診断し、栄養剤と胃の薬をいくつか置いていった。この件は誰にも知らされず尋ねてきた友人達に母親は「親戚の所へ旅行中」と告げた。

 三十余名の特別推薦枠入学者達は、一般受験入学者とは違うのだという意識が強い。もともと優れているのだという思い上がりは、ひたすら自制を課してきた高校三年間を埋め合わせる自衛策でもあった。こういう態度を嫌い、何かというと反抗していたのが、多田一郎だったのである。
 多田一郎は特別推薦でも、一般推薦でも、特待生でもなかった。一般入試ですらない、との噂もあった。真実を知るのは学生課の管理部だけだと囁かれる多田の入学は、後ろ楯があってこそ実現したのだというのが、もう少し情報に通じた者たちの推測だった。縁故入学とでもいう類になるだろうか。両親を亡くし、家の事業も分家筋に食い荒らされて、事実上没落した名家を背負う多田一郎に、今更後ろ楯があるとも思えないが実際、多田がこの大学の学生となったという事実は、その謎の人物の存在を証明していた。多田は自分の境遇を恥じていた。それは多田の弱みであり、反発の源泉でもあった。多田から見れば、特別推薦入学者は過去を売った者たちの集団にほかならず、入学後も学校名に縛られた不具者でしかなかった。しかし、そんな規定で蔑むだけでは放って置けないほど鼻に付く相手が現れた。それが穂積信夫だったのである。多田が信夫を意識していながら、信夫と多田との間に温度差が生じたのは、こういった経緯によるのである。

 特別推薦入学者達の懇親会で信夫はみづはを見つけた。みづはは他の者たちの中でくるくると腕を回したり、おおきくうなづいたり、腹を抱えて笑ったりしていた。信夫はその様子を見て背筋が寒くなる気がした。回りの人間達が木偶に見えるほど彼女の動きは大きく活発だった。彼女の体から後光が射していて、それが妙にギラギラとした白い光なので信夫は眉を潜めた。しかし一度目にした彼女から目を逸らす事は出来なかった。ひとしきりのやりとりが終わって、みづはの周囲から人が消えた。頬を上気させたまま去っていく者達を目で追っていたみづはは、小さくため息をついて後ろの壁にもたれた。信夫はその瞬間におこった彼女の変化に戸惑った。光を失った彼女の体が細かく震え、輪郭がぼやけて見えたのである。うつむいたままの彼女は体の前で腕を組み、上体を深く倒した。どこか具合が悪くなったのではないかと信夫は思い、二三歩近寄りかけたところで、みづはの体が周囲の風景へにじんでいくのを見た。二度、三度と、信夫はみづはの体を見失った。やがて、みづははゆっくりと体を起こし、信夫に気づいてはっと息を止めた。彼女の右の瞳が奇妙に明るく見えた。左目は普通の黒い瞳である。しかし右の瞳はあかるい薄茶色をしていた。まるでそこから光が洩れているかのように。信夫は息を止めた彼女の悲しげな顔を見て、彼女の内に潜む異常を感じた。
 信夫はみづはに近づいていった。みづはは大きな瞳で微笑みかけようとした。しかしその微笑みはぎこちなく張り詰めた精神の過敏さは、まだ距離のある信夫の目からも分かった。みづはは自分の変調に戸惑ったかのように視線を泳がせ、再び自分をかき抱いて、近づいた信夫を見上げた。
「君は何故、そんなに怯えているのです?」
 信夫がそう言い終わると同時に、みづはの瞼が震え、口許が僅かに緩んだ。何か言おうとしたようにも見えたが、声にはならなかった。ゆっくりと彼女は前に倒れてきた。抱き留めた信夫はその軽さに驚嘆した。