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フィアンセになりたい

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ぱっと見たところ、思っていた状態よりもよほど元気そうだった。
それに、しっかりと洗濯されてアイロンのかかった白いブラウスを着て出てきた彼女を見ると、いかにも仕事ができそうな女性だと認識できた。
それこそ、私達と同等なぐらいに。

「こんにちは」

近くに来て彼女の顔を見ると、そんな仕事ができそうな、いかにもなキャリアウーマンから、またイメージが転換する。
にかっと笑ったら白い歯が見え、28歳というよりはまだ20歳すぎに近いような幼さを覚える。
けれども、凛とした態度に、女性警官にも遠慮なくいろいろと話しかけている様子を見ると、神経はか細いことはなさそうだった。

「こんにちは、入谷さん。私、金沢弁護士事務所から参りました、矢野貴哉(やのたかや)です」

「…たかや?」

きょろっと彼女の目が私がプラスチックの壁に押し付けた名刺を覗き込み、そんな疑問形が飛んできた。
私はこの手の質問には慣れている。
だから、いつもの如く営業スマイルを浮かべて、いつもの如く話し始めるのだ。

「男みたいでしょう?不思議と、母親がこんな名前を付けてくれたんです」

「そうですか?かっこいいですよ」

彼女はにっこりと笑い、私(自分の担当弁護士)の前であるというのに、肩肘をついて、まるで授業を適当に受けている学生のようだった。
あまりにも無邪気で、マイペースで、そして、不思議と憎んだり小言を言ったりできるようなその笑顔に、私はペースが乱される。
普通、このような場所に閉じ込められれば、少し気落ちしているものだというのに、彼女はぴんぴんしていた。
困っていることはないか、とか、警官の扱いはどうですか、などと訊いてはみるけれど、なんとも、とへらっとした軽い口調で答えられて、こちらの気が抜けてしまう。
ご飯は多少まずいけれど食べられないことはないし、一日中本を読んだり、一緒に入っている3人の女性と知り合いになれてよかった、などと平然と口にしていた。
普段なら少し話せば、多少は行が埋まっていく依頼者ノートも真っ白なままで、私の万年筆はインクをぽたんと落としながら空を切っている。
質問に詰まって、私が次の言葉を引き出しから抜き出していた時、彼女が自分の方から話しかけてきた。

「それよりも、貴哉先生」

「はい?」

下の名前で呼ばれることがなかったので少し動揺してしまっただろうか。
声が裏返ってしまったので、口をとっさに押さえてしまうが、彼女はそんなことはどうでもいいようで、まっすぐに私の瞳だけを見つめていた。

「私、このまま素直に裁判を受けたら、どうなるんですか?」

「素直に、とは?」

「もう自分で何をやったか、どう悪いのか、そういうのは、ちゃんと理解しているつもりです」

急に不真面目な生徒が真面目になったように、カラカラだった植物が水を得て背筋を伸ばしたように、彼女の態度が180度変わる。
私は過去の判例のページを頭の中でめくりながら、目を天井へと向けた。

「そうですね、あなたの場合、自分の仕事内容について真実を知らされてなかったわけですから、戦い方によっては、執行猶予は夢じゃないでしょう」

「そうですか」

「あなたの様子からだと、特に裁判官たちの心象を崩すようなこともないようですし、大丈夫だと思います」

先ほどまで考えていた彼女という人物象は、思い切り崩れることとなった。
罪の意識は大いにあり、プライドは高いのかどうか…はこの会話からは読み取れないとはいえ、自分の方向性もある程度見えているように感じられた。
私は、自分自身の負担も減ったような気がして、両方の意味で、"大丈夫だ"と感じていた。
彼女は深々と頭を下げて、目を閉じ、じっと何かに、誰かに黙祷を捧げるように美しく睫毛を重ねている。
しばらくの後、そのままサクサクと今後の裁判の流れや費用についての確認、そして、彼女が書いたという被害者の方々への手紙を受け取る約束を交わし、スケジュール帳をめくる。
その様子を見ながら、彼女はまた、前の落ちこぼれ学生のようにへらへらとした笑顔を見せながら、しみじみと語る。

「さすが瞳子(とうこ)の知っている弁護士事務所の方だけあるなぁ」

「瞳子?」

「私にいい弁護士を知ってるって教えてくれたんです」

「お友達、ですか?」

「まあ…そういうところ、ですかね」

妙ににやけたように、ふやけたように笑う彼女を尻目に、私はほとんど真っ黒なスケジュール帳とにらめっこをしながら、次の接見の機会をうかがっていた。
裁判まではあまり時間がないので、またコーラとガラナで徹夜をすることがお友達のように私のところへやってくることとなるだろう。

「貴哉先生は、東京生まれ?」

「ええ、このあたりですよ」

「じゃ、旅行は好き?」

「まあ、修学旅行や卒業旅行は人並みに行きましたよ」

「舞鶴、来たことある?」

その地名に、私は息を止めた。
ぴったりと、そして、ただでさえ静かすぎる面会室の空気がさらに張り詰める。
私は、ゆっくりと視線を上げた。
そして、何もなかったかのように、左耳のあたりで遊んでいた遅れ毛を指に数本絡ませながら、彼女に微笑んだ。

「京都ですよね」

「一応ね。でも、全然京都っぽくなくて、すごーく田舎なの」

彼女もその様子を思い浮かべているのか、悪口を言っているように口はとがらせているくせに、目はうっとりとどこか遠くを見つめていた。
私も、思い出す。
そう、田舎だった。
駅前は雑多でまだ明るい声が聞こえてはいたものの、そこに至るまでの旅程には辛苦極まるものがあった。
今でも私は精緻に思い出すことができる。
あの日の雨の匂い、海の色、空の色、空気の味、町の匂い。
切なさと、悲しみと、絶望と、未来の全てを噛みしめた、あの日の私。
そして、あの日の彼女の姿。

「先生?」

私は何かひどい顔をしていたのだろうか。
彼女が、プラスチックの壁に両手を押し付けるようにして、私の顔を下から覗き込んでいた。
私はスケジュール帳を膝から落とし、それを慌てて拾いながら、顔に気合を入れるように、ふうっと彼女から見えない場所で息を吐いた。

「え、ええ、ごめんなさい。ちょっと疲れてるのかしら、情けないわね」

拾い上げて一目見ると、上下逆さまになっていたスケジュール帳の位置を元に戻しながら、私は無理やりに笑った。
今夜もまた、1人でもいいから、いや、1人でお酒でも飲まなければ眠れない。
ワイン、買わなくちゃ。
私は依頼者を前にしながらも、依頼者以外のことを考えながら、拘置所を後にした。
弁護士として最低だ。
そう思いながら、私はその夜、書類を部屋中にばらまいて、たった1人でワインを2本開けた。










弁護をするにあたり、彼女のことを調べていくうち、まさかと思ってとあることを調べてみると、それは本当に大当たりだった。
入谷真智の母親は、14年前の5月22日の朝、舞鶴駅での目撃を最後に姿を消していた。
その母親は舞鶴の人間ではないであろう女性と共に列車に乗り込んで、もう帰ってくることはなかったという。
その女性とは、紛うことなく私である。
そして彼女の旧姓―離婚前の姓は、入谷。
作品名:フィアンセになりたい 作家名:奥谷紗耶