小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」
サニーサイドアップ
サニーサイドアップ
novelistID. 56539
新規ユーザー登録
E-MAIL
PASSWORD
次回から自動でログイン

 

作品詳細に戻る

 

センパイんとこ住まわせてもらっていーっすか? <中編>

INDEX|2ページ/6ページ|

次のページ前のページ
 

得たものと失ったもの





 明りの点いていないアパートの窓 
 自分で鍵を開けるドア
 スーパーのまずい総菜
 テレビの音だけが響く部屋
 生卵をぶっかけただけの朝飯

 別に何も失ってなどいない。だって最初から、何も手に入れてはいなかったのだから。
 ただ単に、前の生活に戻っただけ。

 強いて前と違うところをあげるなら。
 冷蔵庫の中でゆっくり傷んでいく豚キムチと、それをいつまでも捨てられない自分の女々しさ。


「ぼーっとしてんじゃねーぞ瀬田!」
 胴間声と共に、後頭部に社長の張り手が飛んできた。弾みで手の中から工具が落ちた。
「すんません!」
 いつの間にか作業の手が止まっていたようだ。倫は慌てて工具を拾うと、雑念を追い払うように頭をぶるぶる振った。目の前には様々な種類の工具が山と積まれている。全ての手入れが終わった時が、今日の倫の終業時間だ。ちょっと前までだったら、少しでも早く帰るため、シャカリキに手を動かしていたことだろう。
 でも今は。
 昼間の熱気が籠った無人の部屋。
 早く帰って何になるというのか。

 ……考えるな、これ以上。
 
 倫は再度頭を振って、目の前の工具に無理矢理意識を戻した。
「……お前、ちゃんとメシ食ってんのか?」
「え?」
 思いがけない言葉に驚いて振り返る。社長の黒倉が、倫に背中を向けたままぼそぼそ続けた。
「陽子のヤツが心配してんだよ。倫ちゃん最近やせたんじゃないかって言ってたぞ」
「あ、はあ……」
 確かに和歌子が出て行って以降、倫はまともな食事を摂っていなかった。
「この仕事は体が資本だからな。しっかり食わないと体保たないぞ」

『センパイガテン系なんすから、アタシいなくてもメシしっかり食べないと、ますますやせちゃいますよ』

「聞いてんのか?」
「あ、はい、すんません!」
「帰り家の方寄ってけよ。陽子が何か持たせてやるってよ」
 そう言うと黒倉は、作業場の裏手、自宅のある方を指で示した。
「……すんません」
 いたたまれなさに小さく謝る。黒倉はまだ何か言いたそうだったが、結局何も言わず、表へ出て行った。

 つっかえつっかえの作業が終わったのは、午後7時過ぎだった。
 黒倉に言われた通り帰りしな家に寄ると、「しっかり食べなきゃだめよ」と陽子がビニール袋を持たせてくれた。どうやら作りたてらしく、すき間から、唐揚げだろうか、揚げ物の匂いが立ち上ってくる。ここでうわ、うまそうとか思わない時点で、完全に食欲が失せているのだろう。座卓に一人座って、機械的に食事を流し込んでいる自分の姿を想像してげんなりした。社長夫婦のさりげない優しさが、今はひと際身に応える。
 果たして、中身は唐揚げだった。包みを開けた途端、醤油と生姜の香りが部屋一杯に広がる。倫は発泡酒を片手に唐揚げと向き合った。好物なのに、どうしても箸が進まない。
 頭の中に、ちらちらと、あの日の白いビニール袋がよぎる。その中に大量の鶏肉が入っていた事を思い出す。
 アイツ、唐揚げでも作るつもりだったのかな。
 倫は畳に寝転がり、天井を見上げた。

 腕から覗いた白い包帯 別れたいとむせび泣いた時の大粒の涙 ドアの前に不自然に落ちていたスーパーの袋 大量の鶏肉

 ばらばらだったピースを一つずつはめ込んでいくと、今まで見えていたのとは違う絵が、ぼんやり浮かび上がってきた。

 アイツ、ホントに自分の意志で戻ったのか?

 浮かんだ疑念が、電話で交わした会話から説得力を奪っていく。そしてわき上がる合理的な推論。
 誠也なら何かをネタに和歌子を脅して無理矢理ああ言わせる位の事、平気でするだろう。

 ……!!

 倫はがばと起き上がり、がっちりあぐらを組んだ。携帯の電話帳をしばらく睨み、さんざん考えた挙げ句、久しく連絡していなかった地元の仲間を一人選んだ。倫の一つ下で、誠也のパシリにされていた気の弱い男だ。
 大きく息を吸って、丹田に力を込める。「よしっ」と気合いを入れ、、一気に息を吐き出す。その勢いで思い切って発信した。
 数コールの後、回線が繋がった。
「……ひさしぶりだな。ちょっと聞きてー事あるんだけど」
 腹の底から響く低音ですごんでみせたら、電話の向こうの男は明らかに狼狽した様子で、しばらく返事が返ってこなかった。

 数分後。通話の切れた携帯が倫の手の中で発熱している。色白の頬は紅潮し、それとは対照的に、噛み締めた唇は真っ白で、うっすら血が滲んでいた。握りしめたこぶしの震えは瞬く間に全身に伝搬した。爆発的な怒りが根源の武者震いだ。久しく感じていなかった、体の底からふつふつわき上がる燃えるような感情に突き動かされ、倫は夜の街に飛び出して行った。