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Trick or Treat - お試し版 -

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一瞬の静寂ののち、軽やかで颯爽とした音楽が短く流れた。「こんばんは。九時のニュースです」という女性アナウンサーの声にレンはカッと目を見開き、沈み込んでいたソファから立ち上がった。
 明かりのついていない部屋で黒と見紛う瞳が、目まぐるしく変わるニュースハイライトに照らされて深い青色であることを暴かれる。それを嫌うかのようにレンはテーブルに置いてあるリモコンでテレビの電源を切った。
 視線を下に向け、自分の姿を見やる。
 裾が余っているだぶだぶのスウェットパーカーとパンツは本来同居人のものだ。レンは細身だが背は低くない。同居人のほうが少し背幅があって少し背が高いだけだ。着心地がいいので気に入っているが、このまま外に出ると同居人はいい顔をしない。
 この緊急事態にそんなことはどうでもよかったが、呆れた顔とその後に浴びせられる非難を思うと鬱陶しい。仕方なく自室に戻ると、クローゼットからYシャツとスーツを取り出した。
 色はチャコールグレー。本当は黒が良かったのに冠婚葬祭じゃないんだからと同居人が必死に止めるのでこの色にした。残念ながらこの時代はもちろん一般社会にまだ疎いので助言は聞いておいて損はない。
 着ているものをさっさと脱いで着替える。クローゼットの内側に何本かかかっているネクタイから適当に一本手にした――が、襟を立て、ネクタイを首にかけたところで手が止まった。結べないわけではない。ないけれど、少々時間がかかる。
「チッ」
 舌打ちし、苛立たしげにネクタイを投げ捨てると、襟を戻してスーツの上着を羽織った。
 余計なタイムロスが気に入らないが、噂が恐ろしい勢いで広まるこの時代は、目立たないことに細心の注意が必要だった。
 けれど、肝心なところでレンは注意を払わない。
 一度、玄関に向かい革靴を持ってくると、リビングからベランダに出てその靴を履いた。
 夜空を見上げ、いびつに丸い月の存在をさも眩しげに目を細める。雑然とした街並みをざっと見渡し「よし」と喚呼すると、ベランダの手摺を踏み台にひらりと舞うように外へと飛び出した。
 ここはマンションの六階だ。
 しかしレンはその場に落下などしない。高く舞い上がり幅広い道路向かいの別のビルに軽く足を着けると、そこをまた踏み台にして離れていく。
 人間にはあり得ない跳躍はまるで羽でもあるかのようだ。それほど素早くはなく、むしろ優雅な軌跡を描いて進んでいるが、夜とはいえその異常な存在に誰も気づくことがなかった。
 同居人はハラハラするからやめてと言うが、少なくともこの世界の人間に見つかるわけがなかった。レンにしてみれば、自分の能力を利用して効率のよい移動手段としているのだから文句を言われる筋合いはない。
 それに今、そんなことはどうでもよかった。
 同居人が帰って来ないのだ。
 今朝、家を出るときは七時前には帰ると言っていた。「今日はハロウィンだからね」と声を弾ませていたのが印象的だった。
 この世界の移り変わりは面白い。ほんの百年ほど眠っている間にいろいろなことがいろいろと変わっていた。それを狙って眠っていたというのもあるが、この国でハロウィンなど耳にすることはなかったし、こんな祭になっているとは思いもよらなかった。
 通信手段も手軽になった。
 同居人に持たされたスマホに着信があったのは午後六時前だ。そのときはうたた寝していて気づかず、代わりに受信したメッセージには「ちょっと遅くなるかも。今急いでるから後でね」とだけあった。
 電話をかけ直してみたが留守電につながるだけで、「連絡よこせ」とメッセージを送っても音沙汰がない。苛立ってスマホを投げ捨て、暗い部屋でじっとしていたがもう限界だった。
 そんなに信じられないの?――悲しそうに微笑む同居人の姿が思い浮かぶ。整った顔立ちはその表情を強く引き立たせ、レンをいつも俯かせた。
 否定できなかった。否定できないことが悲しかった。けれどどうしても不安を拭えないのだ。
 この世界には人間の血を糧とするヴァンパイアと呼ばれる者たちがいる。同居人はヴァンパイアに狙われやすい存在だったが、その脅威に立ち向かうための十分すぎる能力を持っており、初めはともかく経験を積んだ今は気にかける必要などない。それなのに、離れすぎていると胸がざわついてしょうがなかった。
 もっとも、こんなときのために策を講じてはある。
 電波やら電源やらがなくてもレンは同居人の居場所を特定できた。彼が身に着けているある物を外さない限り――。
 何か見えるわけではない。意識をそれに向ければどんなに距離があってもその方角に引かれる。身体を引っぱられるようなバランスの悪い感覚で、正直あまり好きではないがやむを得ない。
 近くなればなるほど強くなるその感覚を頼りに迷うことなく進んでいく。
 しばらくするとレンは人気のないところで道路に降り立った。あまり人が多いと降りるのが難しくなるからだ。そこから先は歩いて行く。このときのためのスーツと革靴だ。
 きらびやかな通りに出ると、多くの人々が行き交っていた。人の声や訳の分からない音楽など雑多な音が入り混じって不協和音が凄まじい。慣れない人いきれに一瞬、後ずさりそうになるが、レンは唇を強く結び直してその流れに紛れていった。

     ◇◇◆

 木目調でまとめられたシックな雰囲気が漂うカフェバーに透真はいた。
 オシャレな店だし、カクテルも料理も美味しい。けれど、透真は落ち着けず、少し離れたところに座る女性の腕時計が指す針をちらりと見ると、怒ってるだろうなぁと心の中で嘆いた。
「えー、あーいう子が好みなんですかぁ?」
 隣にいる職場の後輩がグラスの中の氷をストローでつつきながらからかうように声を上げた。酔いが回っているようでさっきからだんだんと口調が怪しくなってきている。
「誰のこと言ってんだよ」
「ほら、あのーひらっひらの黒いワンピース着てるぅかーわいー子。魔女っぽいコスプレ? さっきからーちらっちら見てるぅ」
「えっ、そんなんじゃないって」
 人目も気にせず指差した後輩の手を掴んで慌てて下げる。
 腕時計を見た女性だ。見えるところに時計がないこの店で時間が知りたくて、目に入ったのが彼女がつけているピンクゴールドのアンティークじみた腕時計だった。自分の腕時計は鞄の中だし、スマホは後輩に半ば奪われるようにして預けたままだ。
「やーだもう、手ぇ握っちゃうなんてぇ! みんなにいじめられちゃうー」
「あのなぁ」
 指摘されすぐに手を離したが、後輩はキャッキャと笑って楽しそうだ。数時間前に泣きそうな顔をしていたことを思えば楽しげなのはいいことだけれど、楽しそうにしているからこそそろそろ解放されたい。
「だって主任はみんなのアイドルだもん」
「それやめてって」
 透真は苦笑しながらグラスの酒を飲んだ。
 二十代も後半、立派な社会人なのになぜか周りからアイドル呼ばわりされている。呼ばれるのは主任になった頃からだ。透真の職場ではかなり若い年齢での昇進だったので、それをからかわれているのだろうと思っている。
「いいじゃないですかぁ。尊敬してますよー。今日だってぇほんとー助かりましたー!」