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横須賀・横浜旅行記 ふんわりと、風のごとく 第一部

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 所沢駅を出た池袋行きの特急むさし64号は、大きな右カーブを通り過ぎると、住宅街の中に入って行く。進行方向右側は武蔵野の象徴の雑木林だけれど、進行方向左側にもあった雑木林は伐採されてしまい、家が建って しまった。
 所沢駅からは池袋線の線路の隣に、JR武蔵野線の新秋津駅に通じる貨物列車用の線路が並んでいる。西武線の貨物列車の運行は平成8年に終わってしまったが、今でも新車や払い下げの車両など、車両の搬出入に使用されている。この線路が池袋線の線路から離れて行く辺りで、埼玉県を出て東京都に入る。
 最初の通過駅は秋津駅。この駅は、埼玉県所沢市、東京都東村山市、清瀬市の2つの都県と3つの市にまたがっている。この駅のすぐ東側の清瀬市内には、僕が生まれた病院がある。その先で渡る空堀川という川は、浅い川なので少しでも雨が降らない日が続くと、すぐ川の水が干上がってしまう。まさに名は体を表す。気が付けば、空は明るくなっていた。特急むさし64号は、まだ東の空にうっすらと残る朝焼けの方に向かって走って行く。空席が目立つ車内。隣の席には、あのひとはいない。何だか寂しいものがある。隣にあのひとがいたら、どれだけ幸せだろうか。 そんなことを考えているうちに、列車は急行列車の停車駅であるひばりヶ丘駅を通過し、大きな左カーブを通り過ぎる。そのカーブを抜けると、保谷車両管理所の跡地を左手に見て進んでいく。跡地と言っても、線路は残っていて、今でも電車置き場として使われている。その保谷車両管理所こそ、西武電車の整備士をやっているオヤジの整備士人生のスタート地点だった。しかし、オヤジも今年度いっぱいで定年退職。年が明けて、その時がいよいよ現実味を帯びてきた。
 車両管理所跡地の隣にある保谷駅を過ぎると、練馬区に入る。最初の通過駅は大泉学園駅。この駅の発車メロディーは、アニメ『銀河鉄道999』のテーマソングを編曲したものだ。最近はこの区間を特急列車で行き来しているので、しばらく聞いていない。
 その大泉学園駅を過ぎると、程なくして高架区間になる。高い所に上がり、朝焼けがより一層近くなる。高架区間はもう少し大泉学園駅側まで伸びるようで、現在、その工事もたけなわ。気が付けば、次の駅も高架橋の上に上がっていたし、この辺りも、僕がガキの頃に比べたら随分と様変わりしてしまった。僕がガキの頃の高架区間は、石神井公園駅の次、練馬高野台駅の前後だけだったし、その練馬高野台駅ができたのも、僕が小学校を卒業する頃の話だ。確か、練馬高野台駅から先が全て高架区間になったのは、僕が高校時代だったか、大学時代の話じゃなかったかな。もう覚えていない。
 豊島線、有楽町線とのジャンクション駅である練馬駅を過ぎ、次の桜台駅を過ぎると、高架橋から地上へと下りて行く。その途中で、進行方向右側には、僕が在学していた大学の校舎が見える。留年が決定した時点で、今の持病も発病していたし、他人より余分に大学にいてまでして卒業することに意味を見出せなかったので、結局、中退した。そのまま大学に行っていれば……、とか、元から大学に行かなければ……、なんて思うことも時々あるけれど、中退していなかったら、多分、僕を取り巻く方々には出会えていなかったと思う。そう。あのひとにも。
 大学の最寄り駅である江古田駅も、随分変わってしまった。僕が在学中は急行列車などの通過待ちをこの駅で行っていたが、通過待ちの設備を隣の東長崎駅に移したため、現在、この駅はまるで別の駅になり、プラットホームも10両編成に対応している。他の駅も 10 両編成に対応する工事を行ったので、池袋線の鈍行の10両編成化も、もはや絵空事ではなくなった。
 特急むさし64号は、東長崎、椎名町の両駅を過ぎ、高層ビルの林立する地帯へと入って行く。それから間もなくして、終点の池袋駅に到着。何だかあっという間の道のりだった。