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私の読む「源氏物語」ー83-蜻蛉ー2

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阿闍梨は今は律師 である。呼び寄せて薫は、浮舟の法事のことを決めた。念仏僧の数を増やした。自殺というものは罪深いものであるからと、薫は思い、その罪を軽くするために、七日七日に経供養や仏供養をするようになどと、細かい点にまで気を配って、少し暗くなってから京に帰っていった。浮舟がいたならば今日は京などに帰らないのに帰るとはとそのことだけを考えていた。弁尼に便りをしたが、
「大変不運な身の上をばかり考えて沈み込みまして、一段と、物を考えることが出来ませぬ。どうも、ぼけまして
臥せっております」
 と答えて出てこないので、薫は強いて弁尼の部屋には寄らなかった。京への道中薫は、早く浮舟を京へ呼ばなかった事が悔しくて、川の音が聞こえる限りは心が騒いで、せめて死骸をだけでも捜さなくて、心外に終ってしまったなあ、浮舟はどの様な姿で何処の底で貝殻に混じっているのであろうか、などと悲嘆を晴らしようもなかった。 浮舟の母は京で、左近少将の嫁になった娘のお産で、穢をよけて物忌をし、祈祷をして忙しいから、いつもの常陸介の家(自宅)にも帰らないで、三条で落ちつかない、旅心地のする住い許りして、浮舟の悲嘆を落ち着かせることも出来ずに、この御産も、どんな風であろうと、彼女の心配を他所に安産で生まれた。彼女は浮舟の死の穢で、不吉であるから、産婦の所にも寄らずに次女である産婦以外の子供達の身の上も考えられず、ぼうとしてぼけて、とまどって過ごしているところに薫からの使いがこっそりと訪れた。物を考える事も出来ない気持にも、彼女は嬉しく、また、しみじみと悲しいのである。文に、
「驚き呆れる浮舟の死の事を、何をおいても先ず 第一に、御くやみ(哀悼)を申しあます。とお伝えしなくてはならないのですが、私は、気持も落ちつかず、目も涙で暗くなっている気がしています、その私以上に、子供の事を思うどんな闇に貴女は迷っておられることでしょう、と思うと、御惑いの期間を過ごしている間に、何と言う事もなくて、今日まで畿日も過ごしてしまったことでしょう。世の中は常に動いていると言うことを日が過ぎるに従って、たとい、悲嘆の思を静めるとしても、その方法がない状態で悲しんでばかりおりますから、嘆き死にでもするであろうか。もしも嘆き死にもせずに意外に長命するならば、私を、亡くなってしまった、浮舟の形見と考えて、何か事があれば私の許を尋ねてください」
 ねんごろに書いて使いはあの大蔵大夫仲信を送った。仲信を通じて薫は、
「のんびりと落ち着いて総てのことを考えながら、浮舟を京に迎えず、なんとなく愛情も薄い感じで月日を過ごし、それが数年になってしまった、その間
私の情愛が深いように貴女は見てはいなかったでしょう。然し今より後は何事があろうとも貴女を忘れるようなことはしない。また、私が貴女を忘れないように、貴女も内々で私のことを憶えておいてください。貴女にはまだ幼い子供さんが何人もおられる、その方々が公に仕えることに私は必ず後見を致しましょう」
 言葉にしても母親に告げた。親でも夫でもないから、格別厳しく、忌む必要は無いと思う娘の穢なのであるから、「私は、大して穢には触れておりませぬ」
 など、わざと言って仲信を強く薦めて家のなかに招き入れた。返事は母親は涙を流しながら書いた。
「大変悲しい、浮舟の死んだ事で、私は死ぬかと思ったが、死ぬ事の出来ないこの命を、私はつらく情なく思いまして嘆いておりますけれども、存命しているのも、このような、忝ない御言葉を戴きますためであったかと、思っております。長年の間は、宇治で見捨てられた浮舟の心細い様子を見ながら、心細いそれは、母である私の、数の内にも入らない低い身分の罪として思っておいでながら、京に迎えるとの勿体ない御一言を、将来何時までも頼みにしていましたのに、この通り何と言うも言いようがない、浮舟の逝去を見てしまいましては、宇治(憂し)と言う里と因縁のあったのも私は心が重く悲しいことでした。数々の親にも子供達の事にも、嬉しい仰言で、私は命が延び増して、今少しこの世に生きていますから、さらに頼みが御座いますと、思うと、目の前の悲しい涙に目が暗くなって文字も見えなく、考えている気持を筆に出来かねています」
 と書き、忌中のため使者に普通の祝儀をやる事などはしないことになっている。けれども、祝儀のないのも、物足らない気もするから、浮舟が存命であれば薫に差し上げようと思っていた、立派な斑犀の石帯及ぴ太刀で、見事なものなどを、錦の袋に入れて、仲信が車に乗り込むときに、
「これは亡き浮舟の形見である」
 と贈った。使者が帰って薫にその品を渡すと、
「無駄な事であるなあ。忌中なのに、思いもよらぬ事よ」
 文の外に仲信を通じて、母親は、
「母上は自身私に会見されて、泣き泣き色々のことを言われて、幼少な私の子供の宮仕などの事をまで、親切に薫が仰せられた事が畏れ多いけれども、また一方では、常陸介の子供など物の数でもない低い身分の者は、かえって薫などのような高い身分の方の御世話に預るのは、却ってきまりが悪いと感じまする。けれども、外の人に、常陸介の子供などを、薫が何故に世話するか、浮舟の兄弟であるから面倒を見るのである、などは分からないことで、幼くてまだ何も知らない子供であるのを、皆薫の御殿に参上させまして、仰せに甘え、家礼(けらい)として仕えさせましょう。と胸中を話していました」
 聞いて薫は、子供の後見は畏れ多いと、母が申した通りなる程、常陸介の子供達の世話などは、それをやった所で結構な事でもない、どうせ縁者の親睦さでしかないであろうけれども、帝にも地方官たる受領程度の人の娘でも、後宮(妃)にさし上げる例はある。その上に、前世の運が、寵愛を受けるようにあって、その娘を、帝が時勢にあって栄えさせ寵愛なされるとしてもそれをば、他の人が非難することではない。それはそれとして、平人も、身分の卑しい女や、一度は妻となった事のある女などを、妻として持って寵愛している例は、沢山ある。浮舟はそう言う、高貴な帝でも受領の娘を後宮にしたり、平人などには、下賎な女を妻とする者もある様子であるから、自分の寵愛した浮舟は、実は八宮の娘なのであるけれどもあの常陸介の娘なのであったと、人が噂をするような事でも、自分の、浮舟を本妻でなく、妾としての取扱いで、そののために、自分の名誉が汚れるはずで、最初からあったならば、いかにも困る事もあろうが、そうでないからには迷惑なことはない、浮舟を死なせて嘆く親の心にやっぱり、娘浮舟の縁故で、事実肩身の広い事になるのであったと理解する程に、面倒を見る事は必ず見せるべき事である。と薫は思うのであった。
 母のいる三条の隠れ家には、常陸介が、ちょっと立ちながら訪問して来て、「娘(第二女、左近少将の妻)の出産の折に、こんなところで暢気に居たとはどうも、怪しからぬ事」