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銚子旅行記 銚子からあのひとへ 第三部

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第七章 銚子を歩く

 2年前、真夏の銚子に来たことがある。銚子駅で列車を降りた瞬間、東京よりも涼しくて、それに驚いた。後から知ったことなのだけれど、銚子は南関東でも特に涼しい所らしい。なので、冬場は寒いのかな、と思えば、今度はその暖かさに驚いた。今日は気温も高めの予想だったけれど、それにしたって暖かい。銚子は不思議な所だ。
 喫煙所で一服して、さて、いよいよ銚子の街歩きが始まる。いかんせん、列車の本数が少ない。さっきの特急列車が着いてから、ちょうどいい時間に外川へ行く列車があれば、何も問題ない。しかし、そうは問屋が卸さないというのは、先に述べた通り。なので、途中までは歩いて移動することに決めていた。
 まずは隣の仲ノ町駅に寄って、車両基地を見学する予定だ。本来ならば立ち入ることのできない車両基地。何と、銚子電鉄の車両基地は、仲ノ町駅の窓口で150円の入場券を買えば、決められたエリア内を見学することができる。1002号車をじっくり見る最後のチャンスなので、楽しみだ。
 とは言うものの、仲ノ町駅までの道が分からない。そこで、改札口の近くにある観光案内所に入って、仲ノ町駅までの行き方を聞いた。地図をもらって説明してもらったところ、迷うことなく行けそうな感じだった。言われた通りに進んでみることにした。
 駅舎の天井が、随分と高い。これは、終戦直後に、旧海軍の香取航空基地の飛行機格納庫を転用して駅に改築したため。外に出て、駅舎を見てみる。飛行機の格納庫というものは、今のものも昔のものも、あまりじっくり見たことがない。なので、これはまさに格納庫だ、と言うことはできない。ただ、駅舎の大きさは、昔の飛行機ならば、何機か入れるぐらいのものだった。そんな銚子駅から、街歩きをスタートさせる。
 駅前から続く細い道沿いには、洋品店や食堂などが並んでいた。それらは味のある古い建物だった。歩いていてなかなか楽しい。そのうちに、道は小学校に突き当たる。観光案内所の人によれば、ここを右に曲がって線路沿いを歩くと仲ノ町駅に行けるらしい。観光案内所の人の言葉と、そこでもらった地図を頼りに歩くと、あちらこちらに建ち並ぶ醤油工場の建物の中に、ひょろひょろと銚子電鉄の線路が現れた。すぐ近くにあるのはヤマサ醤油の工場のようで、その中へ道が通じている踏切には、〝ヤマサ踏切〟と書かれた看板が設置されていた。
 その〝ヤマサ踏切〟から仲ノ町駅の方角を見ると、駅に併設されている車両基地が見えた。〝デキ3型〟という黒い凸型の電気機関車が置いてあるのがよく見えた。レールの幅が1067ミリの車両として現存するものの中では、日本最小の機関車だ。その全長は、たったの4.5メートル。ドイツ製の機関車だ。主に、かつて行われていたヤマサ醤油の工場への貨物輸送に使われていた。その廃止後も、有志により保守や点検がされている。それにより、今でも自走が可能だ。ただ、構造上の問題で、本線を走行することはできないらしい。銚子電鉄のマスコット的存在として、仲ノ町の車両基地にいる。時季柄、ヘッドマークのごとくクリスマスのリースが取り付けられていた。
 その近くにちょこんと止まっていたのが、お目当ての1002号車だった。車両基地に戻って来てだいぶ経っているはずだけれど、パンタグラフは上がったままだった。
 車両基地がよく見える所までたどり着き、敷地外から〝デキ3型〟の写真を撮った。車両基地を見ると、1001号車の姿がなかった。なので、今日の旅では1001号車に乗ることになる。やっと銀座線カラーをまとったそれに乗ることができる。
 醤油工場の中を歩いているうちに、仲ノ町駅に着いた。銚子電鉄の本社も併設されている駅舎は、銚子電鉄が大正2年に〝銚子遊覧鉄道〟として開業した頃から使われているものらしい。中に入ると、たちどころに、何十年も前にタイムスリップしたような感覚になる。貼ってあるポスターなどを見なければ、自分が今、いつの時代にいるか分からなくなってしまいそうだ。
 そんな空気を楽しみつつ、窓口へ行って入場券と、この後から使うフリー切符、〝弧廻手形〟を買う。ここに自動券売機なんてものはない。窓口にいる駅員さんと言葉を交わして切符を買うスタイルだ。今でも埼玉の秩父鉄道ではこういうスタイルの駅もまだ多い。でも、西武線ではこんな駅なんてもう存在しない。なので、こうして切符を買うことが、新鮮に感じる。地元の人にしてみれば、当たり前のことなのだろうけれど。
 切符を受け取り、プラットホームに出る。すぐ目の前に1002号車が止まっていた。その奥には、〝二〇〇〇形〟という電車の2編成が止まっている。プラットホームからの風景などの写真を撮りながら、1002号車を眺める。もう50年近く前の電車だし、銚子に来てから走っている場所だって、海が近い。屋根から車体側面にかけての部分にある通風口の一部は、錆びついてボロボロになっていた。車体にだって少し錆が浮いている。まさに〝老体〟だった。その姿を、ミラーレス一眼やスマートフォンだけではなく、〝トイデジ〟でも撮影した。ここへ来て、ようやく〝トイデジ〟の出番が来た。
 ふと後ろを向くと、鉄道部品の販売コーナーがあった。レールを固定する〝犬釘〟という部品とか、電車に取り付けられていた〝制輪子〟という自転車だとブレーキパッドとも言える部品、あるいは架線の碍子などが並んでいた。別に買うつもりはないので、品物もそれらの値段も、それほどじっくりと見ることはなかった。
 そう言えば、初めてここに来た時は、物珍しさから〝犬釘〟と〝制輪子〟を買ってしまった。50円で販売されていた〝犬釘〟は、そんなに大きいものでもない。10センチぐらいだ。しかし、100円で販売されていた〝制輪子〟という代物は、長さが50センチはあろうかという大きさ。しかも、鋳鉄製なので重さも5キロぐらいはある。それらをついつい買ってしまい、苦労して所沢まで持って帰った。そして、オヤジにこっぴどく怒られた。使い道のないそれらは、今でもさび付いたまま家の外に放置されている。
 さて、小さな踏切を渡って、小さな車両基地の中へと向かう。その途中で、1002号車の〝顔〟を見る。三種類の1002号車のイラストが描かれ、〝ありがとう〟の文字もある引退記念のステッカーが貼ってあった。また、時季柄、〝クリスマス号〟と書かれた小さなプレートも設置されていた。1002号車がクリスマスを連想させる赤い塗装だからだろうか。1002号車の引退前に銚子へ来るのはこれが最後。なので、こうして1002号車を眺めるのも最後になる。小さくてかわいらしい電車だから、あのひとだって気に入るかも知れない。それだけに、引退するのは惜しい。