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冬のトンボ

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 ベッドに入ってからも、ずっとトンボのことを考えていた。突然、アオキは閃いた。トンボは死に場所を探していたのではないのかと思った。すると、トンボが旅立ったのか気になり、トンボを見た。すると、トンボは力尽きたのか、網戸から落ちてベランダにコンクリートの上にいた。触っても動かない。死んだのだ。何か切ない気持ちになった。次の瞬間、父の死を思い出した。肺がんを患った父は吐血を繰り返した。塗炭の苦しみであったはずなのに、息子には泣き言は何も言わなかった。ただ、静かに己の死を悟ったように死んでいった。トンボと父が重なり、そして自分がだぶった。自分の死を意識した。早死の家系だった。彼にはもう頼るべき親族がいない。定年も近い。会社を辞めれば、本当に独りになる。その先には、すぐに死があると確信した。死が差し迫ったとき、自分で棺桶を用意しなくてはといけない。あれこれ考えているうちに、突然、恐ろしさで冷や汗が流れ、泣き出したくなるような気分に襲われた。

 月曜日、朝から雪が降り、街が白一色に染まった。
 夕方、ケイが誰にも分からないように「たまにはお酒に誘ってよ」と甘えた口調で囁いた。
 アオキはホテルのラウンジに誘った。
「こんな雪が降る日、独りで部屋の過ごすのは寂しくない?」とケイは聞いた。
「寂しさには、ずいぶんと前に慣れたよ」とアオキは笑った。 
「寂しさに慣れるものなの?」
「慣れるさ。歳をとれば……」
「私も四捨五入すれば四十。陰ではオバサンと言われている」とケイはグラスを傾けながら笑った。
「昔、同棲していたの。でも折り合いが悪くて、喧嘩ばっかりしていた。身も心もボロボロになって別れた。精神的におかしくなって会社も辞めた。それからずっと歯車が狂いっぱなし。今では、正規の新人と変わらない程度の給料よ。それでも仕事があるだけまし。契約社員だからいつクビになってもおかしくない。いつも強がっているように見せているのは、怯えている証拠よ。こんな話を聞いてくれる?」
「僕で良ければ」とアオキは微笑んだ。
「アオキさんは素敵よね。いつも自信が溢れているように見える」
「同じように強がっているだけだ。自信が溢れている顔は仮面だよ。仮面がいつの間にか張り付いてしまったが、本当は不器用でピエロみたいな滑稽な男さ」
「じゃ、私たちは似た者同士ね」
「そうかもしれない」と窓の外を見た。それはケイと視線を合わせたくなかったからだ。
「女って、結婚して、愛する人の子を産んで、初めて女になるという人がいた。その意味が最近分かる。寄り添う人がいない。子供がいない。何か大きな罪を犯した者のような後ろめたさを感じる。別に何も悪いことをしていないのに」
「男も同じだよ。結婚しないで、子供もいない男なんか、男として失格。世間はそう見ている」
「子供を欲しいと思う?」とケイは聞いた。
「君は?」と
「私はある。でも、もう産めないよ。年が年だし。妊娠しても、障害児が生まれる確率が高いから、そうなったら子供が可哀想よ」
 アオキは何も言わなかった。さっきから窓の外が気になっていた。雪がまた降り出したのである。
「親はいるのか?」とアオキは聞いた。
「母親がいる。別々に暮らしているけど」
「いいじゃないか。僕はいない。本当に独りぼっちだ。誰かとつながることができたら、つながっていた方がいいぞ」とアオキは冷たく言った。
「そうね」とケイは軽く答えた。
「でも、前も言ったけど、女が三十五を過ぎたら、途端に男は言い寄らなくなる。男は妊娠できる女を求めているから」
「動物だからしょうがない」とアオキは苦笑いをした。
「この前、トンボを見た」
「トンボを? いつ」
「つい最近だ。と言っても、二、三週間くらい前かな? 網戸にずっとしがみついていた。最初は生きていたのに、やがて死んだ。そのことがずっと頭から離れない」とアオキは告白した。
「あれが死ぬということだな、と分かった。ただ死ぬ。それは逆らうことができない」
「どうして、そんな話をするの?」
「本当の僕は弱い人間だ。いつも怯えて生きている。ただ死ぬことを恐れて。滑稽だろ? もう帰ろう」と言ってアオキは席を立った。

 部屋に戻ったアオキは、別れ際、ケイが寂しそうな顔をしているのをすっかり忘れていた。ただ、なぜ、ケイにトンボの話をしたのか、そればかりを考えた。
 しばらくして、ベッドに身を横たえた。
 数年前に亡くなった友人のことを思い出した。 
「俺は死ぬよ」と笑った。
 その笑みを鮮やかに思い出した。
「いろんなことがあった。みんな夢みたいだ。振り返ると、みんな泣きたいほど滑稽だった。……もう病院には来ないでくれ。静かに死なせてくれ。知り合いには、死に怯えている姿を見られたくない」と言った。あれが最期の別れだった。
 アオキは自分の最期を考えた。トンボのように、死に場所を求めて旅立とうかと思った。ただ、それが今なのかどうか考えた。
その時である。突然、ケイの寂しそうな顔を蘇った。彼女はひょっとしたら自分とつながりたかったのではないかと思った。そうであるなら、なぜ、その期待に応えることができなかったのか? 
だが、よくよく考えたら、自分に不甲斐なさを感じるものの、それで良いと思った。なぜなら、もう冬のトンボなのだから、ともに生きることなど叶わない。

作品名:冬のトンボ 作家名:楡井英夫