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Twinkle Tremble Tinseltown 11

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「別に」
 モニークの非難に振り返ることもせず、ギャッジは返した。鋭く舌と唾液が音を立てるのは、噛んでいるガムのせいらしい。
「ただねえ、眠たくて。あんたたちが今夜最後のお客だよ」
 雨上がりの明るい灰色をした通りは、まもなく訪れる通勤ラッシュの準備運動とばかりに、増え始めた車が走っている。
 その中へ何食わぬ顔で紛れ込んだこのタクシーは、本来場違いな存在なのだ。深夜営業のタクシーは車庫へ向かう。フロントミラー越しに見た彼のまなこは、普段暗闇の中で眼にするより心なしか奥まっているように思えた。
「あんたもだろ、モニーク」
「そう、仕事終わり」
「夜勤なの? 大変ね」
 変なところで食いついてきたミス・ミルトンが、膝の上で手を組み直す。
「私の彼氏も、夜遅くて……今日もそうみたい」
「生活リズムが合わなきゃ大変でしょ」
 モニークは頷いた。
「自分が帰った時に相手が出かける準備をしてるの見たら、死にたくなる」
「アーニャは学生だったろ、時間なんか関係なしじゃないか」
 腹が立つほどゆっくりとした動きで振り向いた中で、眼だけが笑っていない。
「あ、もう別れたんだっけ」
 脅しではない。それ以上言葉を口にしたら、その顔に爪を立てて引き裂いてやる。無言の通告を理解したのか、結局ギャッジは口を噤み、自らの職務に戻っていった。どういうわけかこの青年は手慰みの情事の際、唇を与えないことを未だ根に持っているらしい。
「あなた、こいつの車に乗るの初めて?」
 何も知らない顔で見守っているミス・ミルトンに尋ねれば、無言の頷きが返ってくる。心底安堵し、モニークは小雨と汗で動きを失った髪を後ろへ流した。
「そう。それなら二度と乗らない方がいいわ」
 普段のギャッジならば、営業妨害に対して文句の一つも垂らそうと唇を尖らせるだろう。だが今信号は青。せっかく雨も小降りとなり、輝きの中へ入ることが出来たと思ったのに、再び世界は薄汚れたものとなる。第一の目的地であるサウスハイドへは、10分も経たずに到着するだろう。
「悪い人じゃないでしょう」
 ふと、柔らかい吐息に混じった言葉が、湿った臭いの充満した車内にこぼれ落ちる。主語を聞こうとして、思い至る。
 どうやらミス・ミルトンは、高級な服を身につけることに慣れた人間の例に漏れない。丁寧な敬称を付けられ大衆とは一段高いところへ置かれるに値する、世の流れとは少し速度の違う思考の流れに沿って鞄を抱え直し、ゆっくりとモニークに言葉を差し渡した。
「意地悪だったり、理解できない人はいても、悪い人はいない……なんてね。私は彼のことをよく知らないけれど、少なくとも悪い人じゃないわ」
「そう?」
 今から12時間後にもう一度この車に乗って、同じこと言えるかしらね。気品ある横顔に視線を走らせ、モニークは小さく肩を竦めた。
「父親を車のエンジンで焼き殺すような男でも、本当は善人ってわけね」
 はしたなくも丸くなってしまった目に、少しだけ鬱憤は晴れる。この天気で寝不足、それに気の重い相乗り。思った以上にストレスも疲労も蓄積しているらしかった。



 止まった車から降りるときも、ヘイゼルグリーンの瞳から怯えの色が消えることはなかった。よくよく見れば好みの顔なのだ。もう少し親切丁寧、優しくしておけば良かったと後悔する。
「気なんか引けないよ。そもそも彼氏の言葉を借りれば、彼女、彼にめろめろなんだってさ」
 感情を見透かしたとでも言うのか。ドアを締め、差し出された金を数えながら、ギャッジは膝丈のタイトスカートを追いかけるモニークへ言い放った。浮かぶ薄笑いに眉間へ皺を寄せれば、それが嬉しかったのだろう。金をポケットにしまうと、今度こそあの憎たらしい、頬を歪める笑顔を顔いっぱいに染み込ませ、青年は振り向いた。
「朝ご飯に付き合ってくれたら、ここから先の料金チャラにしてやるよ」
「僕のソーセージをくわえろ、とか言ったらぶつわよ」
「何でそんな下品かなあ。本当に生理前なの」
 疲れているのは彼も同じ。眉を顰めるよりも気の抜けたかの如く身を揺する方を選び、クラッチを入れる。
「せっかくレッドスナッパーのサンドイッチ、奢ろうと思ってるのに」
「先に言わないのが悪いのよ」
 昔に戻ったかのように大口を開けて笑い、モニークはあっけらかんと切り返した。
「妥協するわ。カフェインもアルコールも抜きならね」
 了承の証に、青年は黙って車を発進させた。



 ※  ※  ※



 事務所のある三階へ行くまでもない。照明とは無縁の薄暗い階段で、ブランチは上から足早に降りてくる人影と遭遇することが出来た。
「悪いな、仕事前に」
 煙草とコーヒーと、何日も家に帰らずネタを追う男の体臭を纏ったソロは、しっかりと顔を合わせるよりも先に女を抱き込んだ。
「会いたかったって言ってくれよ、別嬪さん」
「ええ、もちろん」
 彼女の身のこなしが普段に増して緩慢なことに気づいたのだろう。ほんの僅かに腕を緩め、パンプスのせいで近づいた顔をのぞき込む。
「どうした、元気ないな」
「何でもないわ」
 皺だらけのワイシャツから身を離し、ブランチは答えた。
「変わった人と会って、変わったことを言われただけ。それより貴方は、大丈夫なの?」
 一週間ほど前、目にしたときよりも、彼の顎を染める青痣と腫れはだいぶん引いたようだった。触れたいと思ったが、彼が痛い目に遭うなど想像しただけで恐ろしい。

 いくら危険と隣り合わせの仕事と言え。本当ならば、こんな傷を与えた人間の元へ乗り込んで怒りをぶつけてやりたいのだ。そう息巻いて見せたときソロが浮かべた、嬉しそうな癖に悲しそうな表情は、今でも胸へしこりとして残っている。
 だから彼女は、彼の軽口を本気にするしかない。それで彼が幸せになり安堵するなら、耐えることが出来る。

 今も、こんな気まずげな顔で笑ってほしい訳ではないのに。女の視線がぶつかる場所を、ソロは自ら指で抑えた。どうせこの暗さでは傷のありかもはっきりとは見えず、分かるのは柔らかく細められた眼だけだったが。

 隠すつもりの手は痛みを余計に思い起こさせたらしかった。ブランチが率先して、抱えていた鞄の中からファイルを取り出した時、彼はほの暗さの中でも分かるほど口角を歪めた。
「これでいいのよね」
 差し出された資料を一枚、二枚とめくっただけで、ソロは頷いた。
「ああ。十分だ」
「それじゃあ、もう行かなくちゃ。朝一番で会議なの」
 髪を手に取り、その下の首筋を撫でてくれた荒れた指の感触は名残惜しい。だがブランチは、丸い肩を軽く押すようにして男から身を離した。

 きびすを返し階段を降りようとしたとき、後ろ髪を引くセクシーなかすれ声が追いかけてくる。もうやめて。そう言う代わりに、彼女は顔だけで振り向いた。
「ええ」
「ブランチ」
 愛撫のように転がす呼びかけには、同時に身を切るような深刻さが含まれていた。半ば呻き声の呈で、ソロは尋ねた。
「今夜、電話していいか」
「今夜と言わずに、お昼でも」
 苦しさすら感じ、ブランチは即座に答えた。
「待ってるわ」