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Twinkle Tremble Tinseltown 11

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pass and meet


 小雨だと思いこもうとしたが、雨足は強まるばかりだった。
 何もかもが愚鈍な朝8時。昨晩から降りしきる勢いは明け方に小康状態となったものの、本来ならば顔を出していなければならない太陽は分厚い雲に遮られ影も形も見あたらない。


 小走りで駆けるスニーカー履きの足が何度も舗装道を捕らえ損ねる。その度に心臓を跳ね上がらせるモニークをあざ笑うよう、滴は頭と言わず肩と言わず注がれていた。
 腹が立つ、忌々しい。口に出すのもはばかるような悪態ばかりが脳から溢れ出すのは、夜勤明けですっかりへこたれているせいだろう。特に今日は、元大学教授のスピードフリークが朝からの裁判とメタドンの苦痛に怯え、壁を叩きながら泣きわめいていたせいで、仮眠も禄に取れなかった。
 自宅へ帰ったら一眠りして溜まっていた洗濯をこなしてしまうつもりだったが、疲弊しきった身体はおそらく今日の午後いっぱい眠りを欲するだろう。無理が利かなくなっていることを恐ろしいと思うほどには、彼女もまだ自らの若さにしがみついていた。


 もう夕方のような薄闇に覆われた通りは、それでも動こと努力だけは続けている。開いたシャッターの向こうで無気力な蛍光灯が光る中、モニークは何度目か分からないマンホール上でのふらつきから立ち直った。薄汚れた石畳の上に薄く伸びる水たまりへ突っ込んだ爪先には穴があいているのだろう。じわりと靴下に冷たさが染み込む。
 もう限界だ。このまま屋根のないバス停で車両の到着を15分待つなど、到底耐えられなかった。車道へ軽く身を乗り出して腕を掲げる。肌寒さの中へ吹き出す排気ガスを吐息のように響かせ、通勤途中の車は行き交っていた。
 この時間帯、そう簡単にタクシーが捕まるとは思えなかったが、ジーンズの裾は重く濡れ始めているし、一度浮かんだ光景は呪いのように心へしがみつき、誘惑する。ここから車を走らせても、家まで20ドル掛からないだろう。

 何度手を振っても通り過ぎるばかりの車に舌打ちを一つ、一体いくら繰り返したか分からない。湿ってぺちゃんこになり、額へ張り付く前髪を掻き上げながら、車道ぎりぎりまで身を乗り出した。安全運転至上主義のプリウスにクラクションを鳴らされても構わない、むしろ睨み返す位は、彼女もまだ気力を保っていた。
 睡眠不足による高揚が体にまとわりつき、まるでたちの悪いヒモのよう。こんなことなら慣れていた、大したことではないと思える。そう、これは大したことなんてないのだ。ここから先が順調に進めば−−
 希望を裏打ちするよう、アスファルトに広がった雨水をかき分けで黄色いキャブが滑り込んでくる。ぱっと顔を輝かせ、モニークは高々と掲げていた腕を僅かに下ろした。


 が、一体どういうことか、車は彼女のつま先1フィートを通り過ぎ、車体二つ分だけ前で止まる。
 振り向いたとき、そこにあるのは気まずげな色。いかにも困惑していますと言わんばかりにヘーゼルグリーンの瞳を細め、その女はドアに手をかけてこちらを見つめていた。
「乗っちゃいなさいよ」
 駆け上がった怒りが頭を白く焼き、そして消える。今にも駆け寄りたいのをぐっとこらえると、モニークは食いしばっていた奥歯から力を緩めながら言った。
「かまやしないわ。急がないから」
「でも」
「いいのよ」
「悪いわ」
「いいったら」
「濡れるし、それに」
 口ごもった女はその身のこなしと同じく、いかにも上品そうな見かけだった。かっちりとしたスーツ、ストッキングは電線なんかしていないし、雨だからといって合皮の靴を選ばなければならないほど貧乏ではないし、余裕もあるのだろう。茶色のパンプスをこつんと鳴らしてこちらへ近づく動きは物怖じ一つない。
「ごめんなさい、気付かなくて」
 そんな白々しい嘘を、と叫ばなかったのは、しかめられた眉が本心からの申し訳なさに染まっていたからだ。敷き詰められた雲の下、女の顔色は紙のように白かった。
 既に指先でドアノブに触れながら、女はまるで何か重大な告白でもするかのような口調で尋ねた。
「貴女、どちらに?」
「モンタナ通り」
「それって……私、サウスハイドへ行きたいんだけれど」
 かじかんでいた指先が温度を取り戻した気がする。知らずとモニークは笑みを浮かべていた。
「それなら途中ね」
 女はほっとしたような表情で、肩に掛けていた鞄の取っ手を握りなおした。
「じゃあ、相乗りしていきましょう」



 女たちのささやかな攻防の結果など、分かりきっていたということか。運転手は乗り込んできたモニークを目にした途端、やーあ、と聞こえる酷くのんきな声を上げた。
「美女が二人お揃いで」
「馬鹿言ってんじゃないわよ」
 切り返したモニークと違い、奥の方の席に収まった女は素直に当惑している。
「どちらまで」
「私は家へ。あなたは、サウスハイドだっけ」
「ええ」
 女はこっくりと頷いた。
「アバランチ・ビルまで」
 ミラーで確認したのにまだ足りなかったらしい。運転席に肘を引っかけたギャッジは、自らの斜め後ろに乗った女の顔をまじまじと見つめた。
 相手が身を居心地悪げにシートへ身を埋めてもお構いなし。にきびが消えて間もないガキが浮かべるにしては不相応な、思慮深く何かを考える表情を浮かべている。
「ああ、あなたミス・ミルトン」
「どこかでお会いしたかしら」
 柔らかくカールした栗色の髪に触れながら、ミス・ミルトンは首を傾げた。
「ごめんなさい、もしかしてこの前」
「いや、あなたの彼氏から話を聞いてる。ダイナーで時々会うんだ」
 右の口角を真横へ滑らせる笑みと共に、ギャッジは頷く。
「彼が言ってた通りだ。まるで女神みたいだって」
 本来ならば決してもつれることなどないのだろう。だが細い指は今横髪に絡まり、持ち主のミス・ミルトンは自らのパーツを上手く扱うことが出来なくなったらしかった。真っ赤に染まった頬が、その原因を分かりやすく示している。

 咳払いと共に仕切り板へ膝蹴りを繰り出すことで、モニークは運転手をせき立てた。
「早くしてよ」
 もちろん、このふてぶてしい男が促しに臆することなどない。気取った仕草でハンチングのひさしをつまんでから、ギャッジは席へ腰を据え直した。
「生理前ならそう言ってくれればいいのに」
 閉まったドアの揺れが消えるよりも早く、タクシーは滑らかに車道へと戻っていく。


 彼氏、サウスハイド。自らより年少であるにも関わらず、並外れた落ち着きを湛えているのと同様、運転手が口にした言葉は彼女のオートクチュールのスーツとあまりにも不釣り合いだった。
「お仕事?」
 不意に掛けられた声へ、ミス・ミルトンはゆっくりと振り向いた。
「ええ?」
「サウスハイドでしょ。けっこうアブないところってイメージがあったから」
「そうね、少し……」
 そこで言葉を切って、顎に指先を当てる。薄紅色のマニキュアが施された小綺麗な爪が、薄曇りの空から振り落とされる眩しさで神経質に光った。

 話を打ち切ったのかと勘違いするほど待たせてから、彼女は控えめな微笑みを浮かべてモニークと向き合った。
「仕事じゃないわ。その前に、ちょっと寄るところがあって」
 癇に障る音で鳴らされた鼻息の音源は前方だった。
「なによ」