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Twinkle Tremble Tinseltown 11

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「二階の調子はどう。ビリヤード台、空いてる?」
「来年の春まで満席」
 牡牛のようなスリムの首は、まだ男の方へねじられたままだった。
「ノームが散々カモられてる」
「彼もキューさえ握らなきゃ完璧なのに」
 見知った顔が頭からすっぽ抜けているのは、厳しい横顔が動かないせい。苦いアルコールに濡れた唇だけが、なめらかに動く。
「もう一人カモを連れて行きゃいいだけの話さ」
 こんなときこそ裸の天使が降臨すべきなのに、今ポールに寄りかかって身をくねらせているのは、色情のざわめきをそのまま背筋のしなりで表現させる美女。
 自らの女が舞台へ上がる時間帯に、目の前の男が騒がしい階下へ降りてくることは滅多と言って良いほどなかった。
「何で彼のことそんなに嫌うのさ」
 天からの助けが期待できないならば、後は自力で切り開くしかない。再び張り始めたかさぶたを舌先で舐めてから、マーフィは恐る恐る呟いた。
「ただ飲んでるだけなのに」
「お高くとまりやがって」
 スリムは言って、カウンターについた肘へ一層の体重をかけた。
「ムカつくんだよ。軍にも行ってないくせして、あんなコート着てる奴はな」
「軍人かもしれないじゃないか。もしかしたらあんたの上司かも」
「馬鹿いえ、あんなひょろっこいマリーンいてたまるか」
 中心に近い場所まで沈み込んでいた炎が、不意に眼球の表面へと噴出する。
「自分がお綺麗だって言い張る奴に粋がる権利なんてない」
 得意の傍観主義と現実逃避が、心を染め上げていく。スリムはごねるが、実際に綺麗な顔立ち、清潔な身なり。その何がいけないのか、理由をマーフィは知らない。
 ただ、今こうして横目でこっそり窺うだけでも分かることがある。男はここにふさわしくない。何も考えずにビール瓶を見つめ、風の音に耳を澄ませる鹿のような表情を時折浮かべるような人間は。
「権利」
 カウンターの下へ手を突っ込むことに成功する。ピーナツがぱんぱんになるまで詰められた袋は業務用の大入りで、ビニール越しのでこぼこが、熱を持った掌へはちょうどよい刺激になった。まだ体はこの世にある。
「僕は年金に関連しない限り興味ないよ」
 ざらざらと、金属の小皿と固い木の実がぶつかる音が、カウンターに境界線を引く。
「それとも、公民権関連?」
「アホかおまえ」
 表情はいとも自然に憤懣から呆れへと移行していった。
「頭おかしいんじゃないのか」
「フロリーにも言われた」
 しまった、と思うよりも先に、スリムは小皿へ乱暴に手を突っ込み、掴めるだけのつまみを略奪した。
「あいつが言うんだからよっぽどだな」
 恐れていた怒りは見受けられず、持ち上げられた右腕にはビール瓶三つ。丸められた反対の手は、器用に豆を一粒だけ太い指で繰り出し、少し大きめの前歯へ運ぶ。
「にきび何とかしろよ。そんな膿だらけpussyじゃ女cuntも逃げるぜ」
 偉そうに人差し指で指し示すような真似までした後は足取りも軽やか。苦戦している飲み仲間を助けに行くのだろうが、あの調子ならば今夜は比較的穏当な解決策を提案するだろう。せいぜいキューがへし折れる程度の。

 幸い額にこぶを作ったやくざな証券マンが降りてくるころには、男は姿を消していた。時間はやはり12時前。まともな勤め人らしい。ならばますます、この店を必要とすべきではない。
 次は来るだろうか。孤立無援の後ろ姿を目だけで見送りながら、マーフィは好奇心に抗うことなく思った。



 今度来たら声をかけようと思い続けて既に幾晩か。次の機会にしようかと思うのは更に余計に一晩。機会はいつ訪れるとも分からない。

 天井の明かりを素直に映す壁から歩いて6歩。男に勘付かれぬよう、マーフィは相手よりも一段高い位置から上目遣いを供した。わざと剥き出して設計してある黄色っぽい光の下、男は店へ馴染む努力に励む気などないようだった、今夜も。
 あらぬ方向へ視線を漂わせ、なのに手だけはそこに目がついているかの如く正確に瓶を掴む。ぐいと一口飲み下し、それからしばらく頬杖ついて物思いに耽る。


 この仕事に就いて長いとは言えない。その経験の中でも、バーテンダーに絡んだり、空気のように扱う人間なら幾らでも知っている。だがその視線へ晒されたとき、これほどまでに居心地悪気な振る舞いを見せる自意識過剰な人間には、さすがのマーフィもお目にかかったことがなかった。
 今もスツールの足置きの上で、靴の爪先が力んでいる様が見て取れるほど。心配せずとも、穏便かつあからさまな拒絶により、ここ数回は声をかける女もいなくなったと言うのに。

 騒がしく猥雑な空気へ溶け込む気になっているのは服位のもののようで、羽織ったアーミーコートだけが見るたびに皺を増やし、草むらに隠れるゲリラのように陰影を刻む。

 身震いするようにして肩をいからせ、男は顔を上げた。野太い喚き声や甲高い笑いに混じって、乾いたベルの音。店にいる誰も気にかけない、音はあまりにも可憐でささやかだし、押し寄せる冷気は熱気に押し戻される始末。こけた頬にも皺が寄るほど首をねじり、男は背後のドアを振り返った。

 待ち受けているというより、何かに追われているかのような身振りだった。彼が期待しているのかいないのか、マーフィには分からない。
 さんざんこね回した好奇心は色褪せ、最後に残った疑問はそれだけだった。それさえ知ることができれば、こんな鬱陶しい客など捨ておいて、再びグラスと酒瓶の世界へと戻るのに。

 既に見慣れたものとなった動きを繰り出す上半身は、今回もまた無表情と共に席へ落ち着く。天板の縁を削っていた瓶の底が、鈍い動きでナッツの皿の側に舞い戻った。誰かが入ってくるたびバネ仕掛けのように反応する癖、再び肘をついたとき顔に浮かべる表情が落胆でも安堵でもないのはどうしたわけだろう。

 娼婦が詮索する権利があるように、マリーンが鼻で笑う権利があるように、男にも独りぼっちで酒を煽り、遠くを見る権利があるのだ。
 学生時代、アルバイトとして初めてカウンターの内側に立つ前に、店の持ち主であるパパ・ナイジェルが忠言を授けてくれた。彼は海よりも広い心の持ち主だった。それがどんな人間であっても受け入れる。自らの意識に引っかからなければ。

 この場にふさわしくないなんて、一体誰が決める権利など持ち合わせているというのだろうか、己も含め。

 柔らかいカウベル。男は再び身を捩った。静止時間は毎回2秒以内。ちょうど瞬きを二回する時間。
 だがマーフィが何度目をしばたたかせても、男はスツールから乗り出した上半身を壁際に収めようとしなかった。何もなかった顔に、何かが描き足される。その煌めきは、バーテンダーの定位置からでは予め図っていたかのように見えない。
 ここ最近、パパ・ナイジェルの新たなプロムクイーンとして店へちょくちょくやってくる集金係の少女が、穴だらけのダーツボードの前で立ち止まる。ただでもこぼれ落ちそうなヘヴンリー・ブルーの瞳が、一際見開かれた。
「やあ」
 彼女の動きを止めた男は、スツールの上で微笑んだ。今までの陰鬱な目つきなどどこへやら。まるでここが天国であるかのような顔で、男は確かに笑ったのだ。