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Twinkle Tremble Tinseltown 11

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about a son



 その男が飲みかけたバドワイザーの瓶を軽く揺すると、背後を横切ろうとした誰もが一インチ余分に彼と距離を開ける。床に脱ぎ捨てられた靴下程度に神経へ引っかかる違和感を、この酒場にいる全ての人間が感じているはずだった。

 なのに、今晩初めてこの店のドアをくぐった人間へ声をかけようと思う勇気ある男はいない。保健所の野良犬だって、檻の中に新入りが来たらもう少し吼えたて噛みつき、何らかの歓迎を示すものなのに。



「だあれ、あれ」
 そう、いざというとき声を上げるのは女性なのだ。例えそれが年甲斐もない媚びにまみれ、知性を感じさせないものであっても、無言よりは遙かに賞賛へ値する。

 脚を広げてスツールへまたがったクリスタの声により、マーフィは赤く腫れた顎下のにきびから指を離した。今まで視界に入れていた一連のやりとり−−笑顔の「ここ開いてるかしら」から若干ひきつり気味の「すまないが人を待ってるんだ」に至るまで−−の中で、彼女は立派にディーバを務めていたと言うのに。こんな薄暗い照明の下では、至近距離まで近づかないと、人間を人間として頭が認めない。

 向き直った先にいる娼婦は、クロスへ伸ばされる爪先が今まで白い脂のような膿に触れていたのをばっちり目撃したらしい。綺麗に剃ってある眉を露骨にしかめた。
「きたない。何で薬使わないの」
「寝る前は塗ってる」
 硬質な青い目から胸元の大きく開いたシャツを通り過ぎて、手元へ視線を走らせる。
 彼女が心健やかなるとき病める時も頼むレッド・アイは、標準よりもトマトジュースの比率が大きい。スツールに腰掛けてから20分で楽々と一杯飲み干すことができ、二杯目もタンブラーの三分の一ほどまで入れられた氷を覆い隠すよう、淡紅に色を薄めている。

 両掌の熱を移すようガラスを回しながら、彼女は今度こそもっと露骨に首を傾げ、カウンターの隅にぽつねんと佇む影を示した。
「堅気かしら」
「みたいだね」
「ハンサムだけど」
 彼女が普段より三割り増しの笑みで謁見を申し出たのだから、それくらいは理解できる。先ほどビールを渡したとき顔を付き合わせたにも関わらず、マーフィはもう一度アヒルのように首を伸ばし、目を細めた。
 間違ってはいない。彼は若い男だった。けれど表情に軽薄さは見あたらず、あの場所に腰を据えて以来浮かべ続けている憮然とした表情すら様になっている。渋面の理由がホップの苦さによるものではないことは一目瞭然。
 彼自身もはっきりと感じているであろう違和感をあげるならまずはその出で立ちから。ジーンズ、タートルネック。ぺらぺらした軍放出は枯れ草色のジャケットを脱ごうともしない。
「あつくならないのかしら」
 流し目と共に呟いたクリスタの前にピーナツの小皿を押し出し、マーフィは曖昧に笑った。
「ほっといてやれよ。待ち合わせだろ」
「こんな店で?」
 オレンジ色の剥げた指先が皿をひっかき、乾燥したつまみとぶつかり合い立てる音は、ささやかだが不快だった。
「それってやっぱり、フッカー狙いじゃないの。じゃあ私で十分じゃない」
「男相手かも」
「うそ、ホモなの?」
「違う違う、友達とかさ。今日はどうしたんだい、そんながっついてさ」
 自らの言葉に、マーフィは思わず顔をしかめた。すぐに余計なことを口にしてしまうのが彼の悪い癖で、今までよくも荒くれに刺されなかったものだと自らの悪運に感心するほど。
 もっとも、癇癪持ちの同僚には何度か頬を張られたことがある。フロー・ライダーの「情熱のホイッスル」がスピーカーからわんわんと響いている中、舞台上のポールに膝を引っかけているフロリーと視線がかち合う。ブラジャーのストラップを指で弄くりながら、彼女は目だけで笑ってくれた。

「レスは仕事。明日まで帰らない」
 自らの記憶から、バーテンダーのすけべ心から意識を引き戻すように、クリスタが声を上げる。
「何で遠くにいる男へいちいち操立てしなくちゃならないの」
 都市伝説に基づき容姿は良いが、どうしようもないほど感傷的な彼女の男の顔を思い出し、続いて彼の体の動きを思い出す。

 クリスタがまた、汚れたカウンターに沿って視線を滑らせた。真正面へ顔を固定させ、ぼんやりと中空を見つめる狭間に瓶を煽っている男は、気づきもしない。もったいないことに。
「そうだね。好きにすればいいよ」
 厳粛さすら感じさせる口調で答えたのに、彼女は鼻を鳴らして立ち上がった。巨大な尻を振り立てて、開いたドアからなだれ込んでくる声へ足を向ける。
 カウンターの男が堅い動きで上半身を捩り、だみ声と甲高い声、それらにふさわしくない外の涼へ身をさらした。一瞬止まった動き。眇められたまなこと、眉根に浮かぶ落胆。羨望を覚えるほど、この店に不向きな端正さだった。

 待ち人は現れなかったらしい。12時を過ぎるあたりまで2本のビールで粘った後、男は一人で店を出た。



 性的なリビドー故に連続殺人を犯す男のほとんどは、実のところ女嫌いなのだという。テッド・バンディ、エド・ケンパー、ジェフリー・ダーマー。
「ダーマーはホモだからな」
 深みのある木の肌合いに似せた分厚い合成樹脂が、叩きつけられたグラスで震えるほどだった。それなのに男は相変わらず左肩を壁へ押しつけるようにしてビール瓶と二人きりの世界。
 同じものを注文したスリムがじろりと横目で睨んだことなど気付いてもいない。
「見ろよあの飲み方。そこらのあばずれそこのけで瓶しゃぶってやがる」
「やめとけよ。あんたに色目使った訳でもなし」
 代わりに身震いするのはマーフィの役目だった。先ほど引き剥がしてしまった顎の下のかさぶたが、滲んだ汗に染みる。仕事帰りなのか、本日のジャーヘッドは荒れ模様。嵐が来る直前に一際色濃くなる空のように、底光る瞳は青い。
「ただ静かに飲みたいだけさ」
「ここはアッパーサイドのクラブじゃないんだぞ」
 すぐさま向き直った不穏が、逃げようとして失敗したケルティッシュブルーの瞳をしっかりと掴む。もうバドワイザー三本を手に入れたのに、まだ物足りないと言うのか。
「まともな神経の奴がこんな店に毎晩通うか。あいつは絶対変態だ」
 分厚い掌の中で瓶がかちかちと音を立てた。指先についたチョークの粉でも消せないほど、それは彼の大きな声と混ざっては有線放送へ絡みつく。

 マーフィはそっと真横へ視線を走らせた。これだけ喚き立てているのに聞こえないふりをしているのならよっぽどの大物。聞こえていないのならば相当な馬鹿。
 どちらであると悟らせることもなく、男は空になりかけたバドワイザーにじっと意識を注いでいる。まるでその瓶か、あるいは何か、集中することがあるのだと言わんばかりに。
「毎晩じゃないよ、週に1、2回で、しかもまだ一ヶ月くらい」
 控えめな言い種に、スリムは片眉をつり上げる。
「静かに飲みたいだと?」
 声色に既視感。数週間前に隣で騒いでいたチンピラを床に沈めたときと全く変わらない粘つきを、彼はいま口の中に溜めている。
「何様だ」
 こんな時に何を言ったところで、男の中の男が抱える嵐を吹き消すことはできない。できることと言えば、進路を変えてくれる懸命に団扇で扇ぐことだけ。