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腐った桃は、犬も喰わない

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桃井さんとヤクザ 4




 帰り道に買った合挽き肉と、八百屋で買っていたキャベツとで、僕はロールキャベツを作った。事務所に帰るなり桃井さんが「白川くん、ロールキャベツ食べたい」と強請ってきたせいだ。鍋では、塩味の利いた牛乳の中で長方形に型作られたロールキャベツが煮えている。大半の人は水やコンソメスープで煮るが、僕は牛乳で煮たロールキャベツの方が好きだ。味がまろやかになって、優しい感じがする。牛乳の甘い匂いに引かれたのか、僕の後ろでは桃井さんと犬鍋太郎がまるで檻の中の動物のようにうろうろと歩き回っている。桃井さんの手には、ポテトチップスの袋が握られていた。


 「ちょっと桃井さん、ご飯の前にお菓子食べるの止めて下さいよ」
 「だって、お腹すくんだもん」


 僕の小言に、桃井さんはきょとんと目を瞬かせて、まるで子供のようなことをのたまった。そう言ってる間にも、手は休みなく口へとポテトチップスを運び続けているから、どうにも重傷だ。


 「大人なんだから我慢ぐらいして下さいよ」
 「我慢するのが大人なら、大人になんかなりたくねぇなぁ」
 「そろそろ三十路に差し掛かる男がピーターパンみたいなことを言わないで下さい。なんか泣けてきます」
 「泣きたいなら泣けばいいじゃん、胸貸すぜ?」


 鷹揚な仕草で、桃井さんが両腕を開く。へらりと能天気に笑いかけてくる姿に半ば呆れと失望を感じながら、僕は溜息を吐いた。桃井さんの身体越しに、事務所の真ん中に置かれたトランクが見える。


 「僕に胸を貸してる暇があるなら、そのトランクをどうにかして下さい」


 顎でトランクを指しながら、脱力気味な声で訊ねる。桃井さんは初めてトランクの存在に気付いたとでも言いたげな視線で、トランクをじっと見つめた後、ポテトチップスの油だらけな指先で顎を軽く押さえた。


 「ふぅむ、そうだねぇ。デコちゃんは、ロールキャベツすきかね?」
 「デコちゃん?」
 「カエデコだからデコちゃん。かわいーっしょ」


 そう言うと、桃井さんはいかにも嬉しげに歯を覗かせて笑った。歳不相応の幼い笑顔だ。それからトランクへと近付くと、無造作に開き、左頬を腫らしてぐったりとしている楓子の髪の毛を優しく掻き上げた。


 「デコちゃん、ロールキャベツ食べれる?」


 楓子は言われた言葉が上手く理解出来ないようで、しきりに双眸を瞬かせていた。桃井さんの腕の横から、犬鍋太郎が顔を覗かせる。楓子は面食らったように目を見開いて、突然現れた犬を凝視している。


 「あ、初めましてー。こいつ犬鍋太郎ね。いい奴だよ」


 犬にいい奴はないだろう、と僕は後ろからツッコミをいれたくなる。それから桃井さんがもう一度ロールキャベツは好きかと問い掛けると、楓子は弱々しい仕草で首肯した。それを見ると、桃井さんはへにゃりと口許をほころばせた。


 「じゃ、一緒に食べよー。縄ほどくしガムテープ剥がすけど、暴れたり逃げたりしないでね。一人で外に出たら、助けられるかどうかわかんねーから」


 助けられるかどうか、というのはどういう意味だろうか。首を捻る僕に気付きもせず、桃井さんはのんびりとした手付きで楓子の拘束をといた。数時間前に桃井さんに殴られたことが利いていたのか、今度は楓子は悲鳴をあげようとしなかった。何処かびくついた眼差しで桃井さんを眺めている。桃井さんは見かけに似合わぬ紳士的な仕草で楓子の手を引いて、客用のソファへと座らせた。


 「白川くんのご飯は美味しいから期待していーよ」


 そんな世間話にも楓子は身体を強張らせたままだ。もしかしたら長時間トランクの中にいたせいで、本当に身体が動かないのかもしれないが。ソファに座り込んだまま、楓子は身体をほぐしているのか、それとも単に居心地が悪いのか、しきりに膝頭を掌でもんでいる。ストッキングは無惨に破れていて、大きな穴を覗かせていた。

 出来上がったロールキャベツを皿に盛って机へと持って行くと、桃井さんがまるで小学生のようにはしゃいだ声を上げた。桃井さんの皿には、ロールキャベツを山のように積んでいる。僕と楓子の皿には四個ずつだ。


 「うまそう! すげー、白川くん!」


 食べかけのポテトチップスの袋をソファの端に放り投げて、桃井さんは欠食児童のようにガツガツとロールキャベツを食べた。桃井さんの横に腰掛けながら、その姿を見ていると僕は妙に生温かいような仕方ない気持ちになる。馬鹿で素直な子供を持った親は、こんな気分になるのかもしれない。犬鍋太郎がくんくんと鼻をひくつかせながら、僕の太腿にのったりと顎を乗せてくる。それでも食べ物を強請ったりしないところは、飼い主に似ておらず賢いところだ。


 「すげーうまいよ、白川くん!」
 「うまいじゃなくて、美味しいって言って下さい。何だか優雅さが足りないです」
 「ゆーがさ?」
 「…もういいです」


 きょとりと首を傾げる姿に、僕は桃井さんに優雅さを求めることをさっさと諦めた。楓子は相変わらず緊張した面持ちで、皿に手を付けようともしない。桃井さんがそれに気付いて、ゆっくりと目を細める。


 「デコちゃん、食べないの?」
 「…あたし、お腹すいてない…」 
 「食べて。リョーちゃんシャブ中であんぽんたんになってるから、あんたもろくに飯も食わせてもらってないでしょ。ずっと狭くて暗いところにいたし、恐怖心で空腹中枢が可笑しくなってんだよ。食べりゃ身体も少しずつ戻るから。ロールキャベツだったら、胃の消化にもいいしさ、食べなって」


 楓子の拒絶に、桃井さんは畳み掛けるように言葉を返した。楓子が何処か泣き出しそうな顔をする。それを見て、桃井さんは少し困ったように口角を下げた。


 「ごめんね」
 「え?」
 「顔、殴っちゃって。デコちゃん、綺麗なのにさ、腫れちゃった」


 楓子がひゅっと息を呑んだ。それから、堰を切ったようにぽろぽろと涙を零し始めた。顔を歪めて、咽喉をひっくひっくと鳴らして泣いている。見た目の派手さにそぐさぬ、子供のような泣き方だった。

 楓子の様子に反して、僕の心はじんわりと冷めて行った。自分で殴っておいて、後になって謝るなんて、何だか馬鹿馬鹿しい。だけど、頭の隅で少しだけ考える。もしかしたら、桃井さんはぎょろ目に楓子を殴らせないために自分で殴ったんじゃないだろうか。ぎょろ目は直情的そうだった。そんな奴がやる殴打というのは、力加減のない破壊的なものだ。だからこそ、力加減のできる自分が殴ったんじゃないだろうか。そう考えたけれども、結局真実を問い質す気にもならなかった。理由があろうとなかろうと所詮暴力は暴力だ。


作品名:腐った桃は、犬も喰わない 作家名:耳子