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私の読む「宇津保物語」 國 譲 上 ー3-

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 と、言ってこの日の宿直の者達の中に入っていった。

 今夜は、春宮坊の次官、亮(すけ)の君と正頼の子息が調理をして、藤壺の台盤所と若宮達の台盤所に料理を運んだ。

 藤壺や女宮達お子達の御前には折敷等を使ってご馳走を差し上げる。仲忠の前には一宮の料理を出す。仲忠は食しないで宿直の雑用をする者に渡して、寝てしまった。

 藤壺の方から布団などを出してこられる。仲忠の供の者もそのまま殿にいるので、その者達にも食事を出される。仲忠は、

「御簾まで出てください、申し上げたいことがあります」

 一宮
「なんとお見苦しいことを」

 と言って几帳の中に入ってしまい、全員が寝に付いた。

 その夜の夜半に三条殿から兼雅の文が届いた。

「一寸来てください。急用が起こりました」

 仲忠は驚いて
「何事である」

 と、使いの者に聞くと、
「梨壺の宮が苦しんでおられます」

「内裏よりさっき退出をして、東西が分からないほど気分が悪いので、少し落ち着いてから参上致します、とご返事するように」

 少ししてまた使者が、
「分かりました、ご出産のようですから、穢れがありますので、参上はなさいますな」

 仲忠聞いて驚き、
「どちらか」
「男子です」
「春宮から使いがあったか」
「分かりません、そこまでは見ないで此方へ来ました」

 暁になって中納言の女房に伝言を頼んで、仲忠は、

「三条で、出産のことがったので、今のうちに帰って、三条に行って、穢れに触れないように立ちながら様子を見て帰って来るから」

 と、一宮に告げて出かけていった。

 藤壺
「どうなさったのか、仲忠様は」

 一宮
「梨壺がご出産なさったそうです。男の子だそうです」

「面白くないことよ」

 仲忠は出産の穢れに触れずに帰ってきて、一宮の帰宅を切に願うので、その日の夕方になって、一宮はいずれは梨壺を見舞いに行かなければならないから、と帰宅した。

 こうしているところに、春宮の蔵人が春宮の使いではなく個人で藤壺の所へ来た。

 藤壺は
「春宮は知ってお出でですか梨壺出産のことを、梨壺には何回使者をお立てになった」

 蔵人
「春宮はご存じ有りませんでしたが、梨壺が大変苦しんでいると、様子を聞きに使いが出ました。出産と聞かれて驚かれ、出産のすぐ後、今朝、と使いとして参りました。

 男子出産というので、人々はいろいろと言っても梨壺はとうとう男の子をお産みに成られた。なんと言っても春宮が希望されないお子ではね」

 と、春宮は余り喜んでは思っていないように言う。

 藤壺は、「聞きにくいことを言う」と、自分にとって決して嬉しいことではないので、言葉なく蔵人の言うのを聞いた。


 こうして梨壺の皇子の三日の産養祝いがあった。五日の夜は兼雅が、七日の夜には春宮より恒例のお使いがあった。

 産養の祝いは面白くさらっとした宴にした。梨壺の父親兼雅を始めとして、近衛府の官人、宮中の役人達が庭に幄(かげばり)を張って、そこで一夜中管弦を奏した。

その夜は、右大臣正頼、后の宮、正頼北方の大宮が主催なさった。

 正頼の子供達、左中将祐純、左近少将、蔵人少将緒純、頭中将達さらに上達部、大納言藤原忠俊、その弟の宰相(七姫の夫)その他多数が出席した。


絵解
 この画は梨壺の産屋。


 次に九日の夜は、梨壺の兄の仲忠右大将主催の産養。いつもの銀の三方衝重、すみもの、賭物の銭、を出された。

 祖父になった兼雅は、梨壺の産んだ子供をとても可愛く思い、臍緒がまだ付いているのに抱き上げて言う。

「孫というものはこんなに可愛いものであったのか。春宮が小さく成られたように感じます。出来れば梨壺が入内して二三年の間に産まれれば、どのように嬉しかったであろう」

 と言うのを北方は、
「後に産まれた方が幸福よ、という諺がありますから、その上兼雅の孫ですから、必ず、違った良いことをお考えになるでしょう。

 嵯峨院の后の宮は、梨壺の祖母(梨壺の母は后の三女)ではありませんか。帝の后の宮は妹さんではありませんか、若君は孫なのですから、此方の子孫は絶えることがありません」

 兼雅
「嫌なことを言う、決して言ってはならないこと。昔のような時世であったら、若はきっと立太子の筈であるが。

 近々と見ることが出来るのはこの子だけである、仲忠の赤子の頃は見せてもらえなかった」

 などと言って一宮を見に兼雅は始終いらっしゃるが、北方は良くも悪くも何も言わない。

 兼雅
「歳を取ってから可愛い孫が産まれたから、それを見ると言って、梨壺の所ばかりになるのは、そういう習慣になれない気持ちがするだろう、それが心配です」

 北方
「何も遠慮は要りませんよ。どうぞ梨壺の所に、行ってあげてください」

 だが、兼雅は梨壺で泊まることはなかった。
梨壺の母と添い寝をすることはない。が三条に住む兼雅夫人である中の君(故式部卿宮の娘・仲頼の妹)を堂々と訪れる。兼雅は生まれた孫の若宮に目を掛けることが多くなり、梨壺の母で有る兼雅夫人に気持ちを寄せることが多くなった。

 こうして日が経って仁寿殿女御は衣替えをして、五月五日新しい帷子を着用して、参内すると言って、娘一宮仲忠北方に、

「参内したくはないのであるが、ご譲位も近くあるようであるから、その間は宮中にいた方がよいと思ってね。

 それに帝がいつも口の悪いことを仰るのでお側に参ります。犬宮を見せてもらえなかったことは、気懸かりですが。

 さて、二宮を正頼殿に連れて行こうと思ったのですが、少し考えることがありまして、貴女にお願いをすることがあります。

 こちらに置いていただいて目を離すことなくしっかりと見ていてください。仲忠は二宮に気があるようです。決して二宮に会わせないように、良くても悪くても男には見せない方がよい。 

 弾正宮(仁寿殿の三男忠康)に夜は此方で宿直するように言っておきます。他人よりも祐純が煩く言いよるようです。頼純は私が後見いたします」

 と言われて一宮は
「分かりました。ちゃんと後見いたしましょう。夜は私と一緒にと思いますが仲忠が何かと言うことでしょうからそれは出来ません。弾正の宮に言ってください、蔵人少将近純は、藤壺の南の部屋にいて、夜となく昼となく藤壺を責めて言葉を掛けていました。二宮に会わせないと酷く訴えていましたが、全然相手にされませんでした」

 仁寿殿は、弾正の宮に一宮に言った同じ事を述べると、日暮れに車廿台をお供に、数多くの供人を従えて参内していく。正頼の子息は全員供奉していった。

 朱雀帝は、
「高麗人の朝貢かと思ったよ」

 と言いながら仁寿殿の許に来た。


絵解
 この画は、朱雀帝が仁寿殿の許に行かれるところ。

 こうして、五月、藤壺出産予定日が近づいた。

 春宮の文の使いが毎日文を持参する。十五日になると、母の大宮が渡ってこられて、

「先のお産は貴女だけでなくて、仁寿殿も同じ寝殿の産屋を使われた。そこで大勢の子供が生まれて、どれも安産であった。