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私の読む「宇津保物語」 國 譲 上

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國 譲 上

 右大臣正頼の殿では、多くの娘の婿達は皆さんが上達部となられたのを。三条大殿の周りに広い殿を造営し、清楚で趣のある庭を造園して、十分に調度を置き、宝を飾って上達部達を住まわせた。

 それで、正頼は上達部達に、与えられた殿以外で住むことを許さない。上達部達は、窮屈な住まいをさせられる事よ、と不満である。

 右大将仲忠は、北方の一宮に、
「藤壺が宮中を退出される筈である。今日か明日にも女御か后になられるかも知れない藤壺が、対にお住みになるようでは、どうしてその御座所に上がることが出来よう。
 一宮は西の対を片付けて、そちらに住み替えなさい」

 と、告げる。

 正頼がそのことを聞いて、
「上達部達は前々から機嫌が悪かったのか、そうであるなら、それぞれの殿に移りなさい」

 と、正頼が言われたと上達部は聞いて、北方大い殿の腹の子供、大宮の腹の子供どちらの兄弟達も喜ぶ。

 源中納言涼も大喜びで早速引っ越しをしようとするが、藤壺の退出をここでお迎えしようと思っていると、六君の夫藤原忠雅、五君の夫民部卿の宮 から始まって皆さんが引っ越して仕舞われた。

 七君の夫大納言忠俊はまだ残っておられる。忠俊の殿は正頼の殿の西北に当たる町である。

 正頼の宮腹の子達は、全員が北方の親元に移られた。

 右大将の仲忠は、敷地はあるが殿の建築はまだで、中の大殿から西の対へ移られた。

 さて、上達部の移られた後は、仲忠が住んでいた中の大殿は、弘徽殿女御に渡された。

 正頼の北方大い殿と大宮の両方の兄弟が住んでいた町は藤壺用にされた。

 もう一町を正頼のもう一人の北方、大い殿、に渡された。大い殿の子供は多くは外に移られたが、正頼の大殿の周りに、向かいに、隣に、遠いと言っても一町か二町の距離の処に住居を造られたので、さほど以前とは変わらず、門の隣ほどの処である。


 このような中で、大納言はまだ北方(正頼の七君)に対面していないから、引っ越しも出来ないで、淋しくしている。

「些細なことが原因で、会って下さらない」

 と、嘆きながら文を度々送られるが、北方からの返事がない。また文を送られた。

「大殿に移ろうと貴女をお待ちして一緒にと思ていますが、貴女がいらっしゃらないのでは、「別居は不吉」という言い伝えがあると人々が言っています。

 ちょっとでもいいですからお出でになって下さい。すぐにお帰りになっても宜しいですから。

 こんなに長い間お恨みなさるほどの事柄とも考えられませんのですが、人の中傷、虚言にまどわされておいでになるのでしょう。明日は引っ越しの吉日です、一緒に引っ越しましょう」

 と、文を送ると七君の母親の大宮は、
「本当に見苦しいことです。早くお帰りなさい。どうして一人で暮らせますか、御文では別に変わったこともないように見られますが」

 と、言われたので七君は、
「そう言われますなら、あちらに行って引っ越しいたします」

 と、母宮に答えて、心の中で「嫌な夫だ」と言った。

 それでも大納言の許に帰ってこられ大納言夫婦は引っ越しをされた。

 中の御殿は、仁寿殿女御の君、正頼の北方大宮が住んで居られた北の御殿に、女君達が西の二の対かけて住まれる。

 仲忠の北方は、東の一,二の対に廊下を渡して住まわれた。

 西の一の対には、仁寿殿女御の三の親王忠康弾正の宮が住まれる。

 東の一の対の北面を綺麗にして、仲頼の妹を迎えて住まわせた。

 正頼が住む町に藤壺が住むので、正頼は他に移つろうと、これから住む藤壺のために御簾を掛けて、壁代、几帳、座所を綺麗に作り直しをされた。

 式部卿の北方も御簾などを掛け替えなさるが、対などには、手を入れる気がない。


 そうするうちに、藤壺は春宮に
「只今から帰らしていただきます」

 と、仰ると春宮は、
「梨壺も妊娠初期の不快な時をここで過ごしてから退出した。どうしてそなただけ、前々から急いで退出しようとなさるのだ」

 と、言われた。


絵解
 この画は藤壺の局。


 太政大臣源季明は高齢になられて、あちこち身体の諸方に病が現れて、季明自身が死ぬかも知れないと心細くなったので、

「子供の実正や実頼は朝廷にお仕えして役に立っている。お前達のことを誰彼にお願いしなくて死んでも、右の大臣正頼がお出でになればお前達の面倒は見てくれるだろう。

 ただ心配なのは、昭陽殿と実忠のことで、二人のことを思うと死んでも死にきれない。

 私が生きていても、娘というものは万事に手が掛かって厄介なものである。

 宰相朝臣実忠は仕官するのに相応しく、また容貌も優れていたから、我が家を継いでくれるのは実忠だと考えていた。しかるに思いもかけなかった不運に遭い、人生が食い違ってしまい上手く事が運ばず、心も魂も亡くなってしまって、世間の交わり公私ともに失ってしまった」

 と、色々と考えているこを季明は、民部卿実正、中将の君実頼に話された。

 季明は更に、
「毎日が過ぎていくのに気分が酷く悪くなって死ぬのかと思う事もある、何とかして右大臣正頼殿に対面したい。そういう次第であることを右大臣に伝えてくれ。

 このままでは、宰相実忠に会うことなく死んでしまうのであろうかと思ってしまう。

 此の世で、悲しいことは親と子に勝る間柄という物はない。実忠は父である私の心を知らず、相当な地位に昇進した自分のことを忘れて、地位も名誉も捨てて、行者のようになっているのは何故か。惨めになりはててしまって。

 このように私が気が弱くなったことを実忠に伝えてくれ。もう一度会って見たいのだ」

 と、話すと、子供二人は涙を流して、右大臣正頼の処には民部卿実正、小野の実忠の処には中将実頼が赴いて、現在の父季明の様子を詳しく話す。

 実忠は、暫く言葉が出なくてためらっていたが、

「病にかかられたことは相当前にお聞きしていました。何とかしてお見舞いに上がりたいと考えていましたが、未練がましくまだ此の世に生きていたのかと、世間から見られるのが恥ずかしく、また、私の有様を見て、昔の実忠の姿ではないと軽蔑され、その様な目で世間が私を見ている、とそれが恐ろしくて。

 聞くように父上が重病に悩まれていると聞いた上は、お見舞いに上がらないわけには参りません」

 と、夜になって隠れるようにして実忠は小野を出発した。

一方、実正民部卿は右大臣の正頼を訪ねて、父のことを話したので、正頼も季明の許に訪れた。

 太政大臣季明は脇息にもたれて、正頼を近くに招かれた。色々と話しているところに、中将実頼が、

「実忠が参りました」

 と、父に告げる。季明は

「此方に呼びなさい」

 実忠が父の処に来てみると正頼が、父の傍らにいるので、お側に寄ることが出来ない。何回も呼ぶのであるが現れない。季明の後ろの屏風の陰にそっと寄っていってそこに座り込んだ。昭陽殿が父親の傍らで看病に当たっている。

 季明が正頼に、