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私の読む「宇津保物語」第二巻 忠こそ

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 巻二 忠こそ

 さて、再び話は嵯峨の帝の時代に戻ります。

 源忠恒(みなもとのただつね)と言う左大臣がおられた。また、右大臣橘千蔭(たちばなのちかげ)という方もおられた。容姿が清らかで心賢い人の中で千蔭は第一位であった。
 
 朝廷で政務を司るとその才は抜群のもので、帝は千蔭を大事にされて、千蔭は世に時めいた存在であった。

 帝は千蔭を大事にされて年に二度三度と昇進させて、今では歳三十才で左大将兼右大臣に就任していた。

 千蔭の妻は、源氏第一代の娘で姿が清らかであると有名で十四才になるのを迎えて、共に仲むつまじく暮らしていたが、妻が十六才になった年の五月五日、光り輝く男の子を出産した。名前を「忠(ただ)こそ」と付けられた。「こそ」は愛称で、今言う「チャン」と言うところである。

 忠こそを大切にして、夫婦の間は類のないほど睦まじく限りなく愛し合うなかで、二人は志が深くお互いに助け合って年月を過ごしていると、忠こそは生まれながらの清らかな容姿がますます増してきた。

 三歳になると心敏くなり、物事をよく理解して機転の利く子供になった。父母が忠こそをを慈しむことは限りがなかった。
 母は、
「頭の上を、蓬莱山にしようと、掌の中に黄金の大殿を造る、と言っても、忠こその言うことは間違いがない」
 と言って子供を育てた。
 
 忠こそ五歳になった三月に、この母が急病で亡くなった。家中は全体がざわめきわたり、比叡の山、その他の主だった寺々に病気が快方に向かうことを祈願させたが、効果がなかった。母は忠こそ一人だけを心にとめて他に思うことがなかった。夫の千蔭に、

「私はこの世に思うことはただ一つ忠こそのことだけです。忠こそを思うとこの世から消え去ることはとても出来ないことです。忠こそが成長して、この子の長い人生に安心だと見極めて、官位が昇進するまで見てみたいと思います。善し悪しもまだ分からないこの嬰児を残して、この世を離れることは後悔の念多く、情けなく辛い」
 と言う。千蔭は色々と慰めながら限りなく涙を流していた。さらに妻は、

「人は誰でも親にはなるが、幼いときは母親が一番であることは言うまでもない。もしも何事かがあって、私に代わって、心の汚い継母にこの子を預けないように。根性の悪い継母がいて貴方に、忠こそを悪く言ったならば、それはそのまま継母にお返し下さい。忠こそのために悪いことを言う言葉を、水の上に降る雪や、いさごの上に置く露が、跡形もなく消えるように、聞き流してください」
と、千蔭に言い置いて、妻は亡くなった。

 千蔭は妻と共に命を絶とうと思うが、それも出来ずに葬送の準備をされた。

 そうして涙をこぼしながら妻亡き後千蔭は女を寄せ付けなかった。忠こそを妻であり子供でありと頼りにして大事に養育していたのであるが、世間の上達部、帝の御子達、娘を持っている人達は、有名な大臣の妻ともなれば、と降る雨のように千蔭に言い寄ってくるが、亡き妻の遺言を大事にして、聞き流していた。

 その頃左大臣忠恒が亡くなった。

忠恒の妻、北方は、世にもまれな富裕な人であった。兄弟姉妹がなくて一人っ子であった、良家の娘を多く集めて、贅沢に着せて食わせて、忠恒が生前から周りに多くの女房が侍していた。

そのような中で右大臣の千蔭が妻を亡くしたことを聞いて、千蔭に想いを寄せるが、多くの若い娘が言い寄るのであるから、忠恒の妻のような年が過ぎた者は適当にあしらわれていた。
 そこで忠恒の妻は色々と考えて、そこら中の寺や比叡山に祈願をして、どうか願いを聞き届けていただきたいと頑張るが効果がなかった。北方は

「神仏に頼るのは止めよう。自分で申し上げよう。私は大事にされている娘ではない、仮に娘であったとしたら、恥というものがあろう。千蔭を取り逃がせば他に妻を失った男でこれほどの人物はいない。恥を捨てて言い寄ろう」
 
 と考えて、北方(忠恒妻)は、千蔭の乳母の娘で「あやき」美人である童をよんで、彼女に見事な装束を着せて、次のように言わせた。

ここのみや浅茅(あさじ)しげしと
    思へども
また葎(むぐら)おほす宿も有りとか
(此処ばかり浅茅が繁っていると思いましたが、また葎を繁らせている宿も有るとか承りました)

 同じ事ならばご一緒に同じ野にとはお考えになりませんか」

 と文を書いて趣のある浅茅の枝に刺して、あやきに持って行かせた。

 あやきは千蔭の御殿に参上して、門前に立っているのをこの家の者が見付けて

「驚くほど清楚な童だ」
「どちらから参られた」

 あやきは
「左大臣邸から参りました」
 と答える。

 驚いて文を見る。

「どんなお考えでこのようなことを仰るのだろうか。私を世間並みの男のように思われて、一人暮らしなのでこんなことを仰るのだろう」
 と、思い、長い葎(むぐら)を折って、返事は

 人はいさかれじとぞおもふたのめおきて 
   露の消えにし宿の葎よ
(人はなんとお考えになろうとも、私はこの宿を離れまいと思います。私を深く頼み露のようにはかなく消えたた宿の葎を)

 と送った。

 このことから女はいろいろと相談事を、文にして送り
「私に恥をかかせないで下さい」

 と言うので、千蔭は高貴な方が切に願われることを聞き流していては、男として情が無いように思われ、相手にも恥をかかすことになる。

 そうかと言って亡き妻を忘れたのではない。相手に恥を欠かせない程度に、時々訪れることにしよう。
 
 千蔭は北方の許に参上した。

 千蔭は歳は三十を過ぎたところ、女は五十何歳かである。いい親子としかみれない。千蔭大臣は忠こその母親のほかに女は居ないとしか考えてない。容姿端麗で歳の若い女と出会って堅く契りを交わして忠こそを授かったのであるから、年数も経たないのに死に別れをしたのであるから、千蔭は、

「この世でいつの日にか亡き妻に似た美しい人と巡り会えようか」

 と、雨の日も風の吹く日も思い続けているうちに、千蔭にそぐわない年老いて姿もみすぼらしくなった北方を見て、昔のことを思い出されて時々訪れて、そうまで心を割って話すのではないけれども、北方は自分の財産すべてをなげうって千蔭の面倒を見た。

 北方は自分の使用人達が、自分たちの面倒は亡き殿の財力で出来たのであることをお知りにならない。昔亡き殿の御在世中は、贅沢に食べたり着たりしている者は、身を滅ぼす。と言って召し使い達が集まって困り果てていることは北方は知らないで、特別に北方の心を慕って参上するのでもない千蔭だから、いずれ訪れることも絶えてしまうだろう。だから、寺々に願をかけられ、夏冬の装束、毎日朝夕の食事は贅沢を尽くし、頭の先から足先まで、貴重な綾を裁ち切って、千蔭が好むものには例え草木であろうとも綾錦を着せる。

 千蔭に仕える者には、例え草刈りの僕でも牛飼童でも食べたいだけ、衣服は満足するまで与えて、北方はやがては自分の身が滅びると言うことも知らず、かって殿に仕えた者達がどうなっているかも考えない。

 千蔭がたまに訪れると、食べきれないほどの料理を並べて、珍しい食品を調理させて、千蔭が喜ぶだろうと、