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みやこたまち
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般若湯村雨(同人坩堝撫子2)

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「僕、見てないし、見る気もしないんだけどさ、これって千と千尋の神隠し、っぽいのかな」
「知らないわよ。宮崎駿はルパンをただの中年にした罪を償わない限り許さない」
 こんな場所にある温泉にしては、案外賑わっていた。だが客のほとんどは、巡礼姿か山伏姿で、ごく一般的な服装の僕たちは異様に目立っていた。とりわけ、彼女が手にしている刀は、皆の視線を釘付けにしていた。
「とても目立っているみたいだよ。僕たち」
 僕はもう彼女の背中に隠れてこそこそしているのが癖みたいになっていた。彼女はそんな僕を別段軽蔑した風もなく、ごく普通に会話を続ける。
「私たちは客なのよ。客。入口に「真剣お断り」とでも書いてあって? 誰が何と言おうと私は今日ここへ泊まって温泉に入るのよ」
「いらっしゃいまし」
 腰が直角に曲がった年寄りが、ヨロヨロと近づいてきて、彼女のリュックに手をかけた。彼女は「結構」と言ってリュックを肩に背負い、後ろにいた僕の顔をしたたかにうちつけた。鼻血が出た。とうとう出た。だが、誰一人として僕の鼻血には目もくれない。
「泊まるわよ。一泊二日」
「はぁ、おありがとうございます。ですがあのお部屋の方が生憎とみな塞がっておりまして……」
 僕はこの年寄りの陰鬱な声の、そこ知れぬ不気味さに総毛立った。だが彼女は年寄りの爪先ぎりぎりに、「村雨」の鞘をドンとついた。
「でも、一部屋くらいすぐ用意できるんじゃない? 修験や遍路の方々が哀れな一般客を追い出すなんて不心得なことなさるはずはないでしょう? 何なら、皆様に直接、交渉してもいいのよ。これだけ大勢の方々がいらっしゃるんですものね。お一人くらい、自分の部屋と食事を、譲ってあげようって方が、いらっしゃるんじゃないのかしら? 」
 彼女は辺りを見回し、親指で刀の鍔を跳ね上げた。直角の年寄りは小刻みに震え始めた。僕はこういった横紙破りの交渉は不得手で、遠巻きに見つめる大勢の客の視線に、やっぱり震えていた。つくづく情けないと思うが、昔から、他人の都合を踏みにじってでも自分の主張と貫き通す、などという強気には縁が無く、「部屋は一杯です」と言われれば、爽やかに「そうですよねぇ」などと笑顔で暖簾を潜って出ていき、結局、川原で空腹のまま野宿する方が精神的負担が少ない性格なのである。衝突は少ないが、理解し合うという事も無い。敵は作らないが味方も作れない。結局、一人でいる人間なのだと割り切って、世間の風に吹き飛ばされて、行き着く先が天国だと思い込んで過ごしてきたのである。彼女は違う。彼女は人の言うことよりも自分の欲望を最優先させ、無理やりにでも相手を従わせ、それで陰口を聞かれようと、お茶にホチキスの玉を入れられようと、そこからまた相手との闘いを繰り広げるだけのバイタリティを持っているのだと思われた。敵は多いだろう。だがきっと味方もいるだろう。しかし、僕はそんな彼女の生き方を羨ましいとは思わなかった。ただ、僕と彼女とが同行しているというのが、不思議な気がした。
 じゃらり、と音がしたので、辺りを見ると、山伏達に取り囲まれていた。手にした錫杖が鈍く光っている。遍路姿の人々はそそくさと部屋に入っていった。彼女は鞘を手にしていつでも抜き払える型に入っている。
「おんかかかびさんまえいそわか」
 背後から長閑な声がした。張り詰めていた空気が一変に緩み、山伏達の輪の一端がじゃらじゃらと解けた。一人の山伏が、縁台に座り、ゆっくりと草鞋を脱いでいる。小さな丸い背中である。
「般若のおばばがやりこめられるとは、痛快事だの。おばば、私の部屋は二間続きだな。何、そんなへんな顔をすることはない。人間など起きて半畳寝て一畳というではないか。私はかまわん。元気なお嬢さん方も、憤懣もあろうが、そのあたりで、矛を収めてはもらえまいか」
 ずんぐりとした小柄な男で、年齢は全く検討がつかない。眼と唇は糸のように細く、常に微笑をたたえている。直角の年寄りは
「は、しかしそれではあまりに、はあ、そうでございますか、まことに申し訳がございませんなあ」
 などといいながら、宿帳を取りに引き下がった。彼女は刀を収めたが胡散臭げである。僕はこの条件を彼女がぶち壊さないうちに、
「いや、本当に申し訳ありません。お陰様で野宿をせずにすみそうです。なにしろ初めての土地で右も左も分からないものですから、やっと見つけたこの宿を断られたらどうしようかと思っていたんです。親切な方がいてくれて本当にありがとうございます」
と頭を下げた。男は鷹揚に手を振り、そっと僕の耳元へ口を寄せ、
「襖一枚ではちと不安もあろうが、私どもは修行中の身ゆえ、まあ、ご存分にお休みなさい」
 といってにっこりと笑い、
「おんまからぎゃばぞろうしゅにしゃばざらさとばじゃくうんばく」
と唱えながら、階段を上がっていった。
「何か言ってた?」
 彼女が年寄りの手から宿帳をひったくりながら聞いてきた。僕は「べつに、」と曖昧に笑った。彼女は僕の名前を既に書き終え、彼女は「里美」と名前だけ書き添えていた。
「へえ。里美さんっていうんだ」
 と言うと、彼女は「ばぁーか。」と軽い調子で言い捨てて、階段を上がっていった。

(退空哩遁走 同人坩堝撫子3 に続く)