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みやこたまち
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般若湯村雨(同人坩堝撫子2)

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「戻るわよっ!」
 彼女が声を張り上げた。しかし、トンネル内に反響はない。周囲は数メートル進んだだけで、完全な暗闇になった。足元の舗装はでこぼこで、壁面は苔むしている。ピタンピタンと水滴の落ちる音が聞こえ、時折、シューッというタイヤの音のようなものが聞こえるのだが、ヘッドライトは全く現れない。
「どうして、戻る、なんて叫んだの?」
 僕はよく見えない彼女に向かって尋ねてみた。僕の声はとてもよく反響した。言葉を言いおわるまえに、最初の言葉がリフレインされるほどだ。つまり、再現すると、
「どどどうして戻る戻るモドモド戻るなんてどうしてなんて戻るなんて差今朝今朝県駄々駄々だ野田の打の叫んだのどうして。どどどうして、yeah chck it out ナウ、ベビー ローション!」
 みたいな。
「あんた、クルクルパーでしょ」
 耳元で彼女の声がした。僕は思わず声のした場所に手をのばした。指先を熱いものが薙いで、鈍い痛みが残った。親指を除く四本の指をくわえると、生暖かい鉄の味がしたたっていた。
 青白く細長いものがぼんやりと彼女を照らしだした。飢えた瞳孔が、その光にむさぼりついた。白刃を青眼に構え、前方を見据えながら、じりじりと摺り足で進む彼女の姿が、残像のように動いていた。
「ど、ど、ど、どうしたの。そんな、物騒なもん」
 彼女のリュックに納まるはずのないその太刀は、真剣だ。だから僕の指は切れたのに違いないのだ。右に左に、彼女は構えを入替えながら進んでいく。速度は意外なほど早い。
「あなた、あのガイド読んでないの? これがあの「般若刀 村雨」よ。私たちは、物の怪にまんまとしてやられたってわけ。露払いがいなかったら、今頃、ずたずたのぼろぼろよ」
「露払いって?」
 はるか前方で何かが蠢く気配がした。生臭い風が吹いた。僕はわけがわからず、彼女の背中に隠れながら、進んでいくしかなかった。
「般若湯の縁起は読んだわね」
「はい」
「旅の僧はこの刀を魔物封じに使った。でも今刀はこうして私の手にある。トンネルの入口で拾ったのよ。ここを徒歩で通る物好きなんていないし、隅にうっちゃってあったから今まで気づかなかったのね。私は、きっと在るはずだと思っていたから、見つかったわけよ。バスに乗っていた時、村雨のアナウンスが聞こえなかったのも、当然だわ。奴らが邪魔をしていたってわけ」
「だ、だ、だから、奴らってのは、何なんだよ」
 彼女は足をとめ、振り向くとニヤリと笑った。
「ご紹介しましょう。国境の長いトンネルの実態を。お待たせいたしました。ここが、般若湯、村雨 本館 です」
 彼女は青眼に構えた太刀を、斜めに振り下ろした。パリンという乾いた音がして、空間が切り裂かれた。遠近法を無視して、前方の闇も、直近の壁面も、一刀両断された。その裂け目から、青黒いぶよぶよした不定型の何かが、みっちりと覗いている。僕は腰が抜けてしまった。その尻やその掌に、緩すぎたわらび餅みたいな感触があった。後ずさりすると、道路がずるずると剥けてくるようだった。そのずる剥けの道路の下にもやはり、青黒い不定型の何かがみっちりと覗いているのだ。
「だから、これは、一体、なんなんなんだぁー!」
 チン。という音がした。彼女が刀を鞘に収めた音だ。途端に辺りは先程までのトンネルの内部である。彼女はスタスタと僕のところへ近寄ってきて、一言
「なんてね」
と言った。
「ど、どっきり。これもしかして、大成功? カメラどこ? カメラ。ノロさんが出てくるの? 寝起きは。ブーブークッションは。マンボ ナンバー5は? 以上です。キャップってこの場合は、三波伸介なのそれとも小野ヤスシ? まさか、田代?」
 僕は腰を抜かしたまま、言葉を迸らせていた。何かしゃべっていないと壊れてしまいそうだった。だが何が壊れるというのだろう。壊れるべきなにかがまだ残っていたのだという事が、僕には意外だった。
「傷心旅行なんて、そんな生易しいものじゃないって事、思い知らせてあ・げ・る」
 彼女はそう言って、手を差し出した。僕は、とにかく、緊急事態は去ったのだと判断して、差し出された手を握った。掌にわらび餅の感触がした。「ヒッ」と言って手を引っ込めようとしたが彼女は僕の手をきつく握りしめた。掌で何かがぶるぶると震え、くちゃり、と潰れる感触がした。引き抜かれるように立ち上がらさせられると、彼女の顔が真正面にあった。
「たちの悪い冗談だよ」
 と僕は言った。指先の痛みは無くなっていた。
「たちの悪いものは冗談ばかりとは限らないわ」
 と彼女は言った。片手には一振りの太刀を持ったままだ。
「今の説明も、さっきのと合わせて、お願いできるのかな?」
「温泉につかった後でね」
 彼女に手を引かれて歩いていくと、トンネルの中程に窪みがあり、藍染に白抜きの鮮やかな文字で「般若湯」と書かれた暖簾が下がっていた。