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悠里17歳

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「うそ……」
 その名前を聞いて私の鼓動が急に速くなった。入口の向こうからやって来たのは見間違えるはずなんて絶対ない。スティーヴン、そう私のお父さんではないか!
「あ、ああ……」
 私は驚きのあまり声が出なかった。おととい父に勝負を挑んだが、こんなに早く実現するとは思ってもなかったからだ。お父さんだって準備がいるし試合は勘が状況を助ける場面がある。
「約束通り、勝負しようじゃないか」
 エディを挟んで目の前に面を付けて立っているお父さん。面金が邪魔して表情がわからないが、ただならぬオーラを感じる。
「三本勝負、時間は四分。決着付かない場合は引き分け、いいね?」
 紅白の旗を持ったエディが私たちに説明する。二人とも頷くとお互いは両端に別れた。

「悠里ちゃん」私が着座して面を着けようとしている時に後ろから私の肩をポンと叩いたのは篤信兄ちゃんだ「エディ先生言ってたろ?得意で攻めるんだ。守っても一本は取れないよ」
「う、うん――」
 目の前にはお父さんが線の向こうで既に立ち上がって待っている。字まではわからないけど垂れの名前が縦書きの漢字であるのだけはわかる。そして今どんな思いをしているのだろう。私は父の胸の内を透視しようとしたがまるでわからなかった。
 私は大きく息を飲んだ。勝負を受けてくれた事に喜ぶだけじゃ駄目だ。感情と感傷は一切抜きで勝つ、おととい大見栄切ったのだから負ければ恥と思え。偉そうなことかも知れないけど、これだけ自分が成長したことを勝つことで見せたいと思い、力一杯面の紐を締めて引っ張った。
「さ、行ってこい!」
 篤信兄ちゃんに両肩をバシッと一回叩かれて私は線を越えた、もう後戻りできない――。
 礼をして大股で三歩前に出て蹲踞の姿勢を取ると、父の顔が面金越しに見える。いつも接してくれた時のように笑っていない。見たことがないくらい本気の、日本人の目付きだ。

   「始め!」

 審判はエディが務める。大きな威勢のいい声でここでの最後の試合は始められた。
 大きな声を張り上げるお父さん。私も負けじと張り上げた。
 堂々と背筋の伸びた中段の構え。動きが少ないのは余裕の証明だ。それだけで練度がわかる。レベルで言えばエディと大きく変わらないだろうか、私の全体を見てこちらの一撃を見据えている。
 
    ヤァァァーーーーッ!

 自分の間になった瞬間に飛び込んだ。返されることなんか考えず、一撃で決めるつもりでメンを放った。刃筋は申し分なかった、しかし上背の分だけ竹刀が届かず面金をかすめたが、周囲からは手を叩く音が聞こえた。
 それからお互いに打ち合うも有効打が出ない、鍔迫り合いになってもお父さんの目付きは鋭いままだ。私の動きを観察しながら機を窺っているのがわかる。こっちも気持ちだけは負けたくないのが張り上げた声に変わった。
 一瞬間が切れて体を後ろへ逃がして一呼吸すると、周囲の雰囲気が私の第六感に情報として入ってきた。今まで何もしてくれなかった父が対等の立場で相手してくれている――、勝ち負けを考えるよりも前に、とにかく私は嬉しかった、楽しかった。
「感傷に浸るな、それでは勝てんぞ!」
目の前のお父さんか、または自分の心か?私は脳裏に直接入り込んで来た声で我に返り、竹刀を握り返した。
 手数を見るとメンを打つ時にわずかに胴が空く。私はこれを見逃さなかった。遠間になるとメンが来るその一瞬で抜き胴――、これだ。速さで勝れば先に届く筈だ。私は父の動きを観察してその一瞬のために力を溜め、遠間のメンをじっと待った。
「来たっ!迷うな悠里!」
 お父さんの竹刀が上がったその瞬間、私も構えを上げその途中で体を右に移動させた。メンが来る、頭の上から面に向けて真っ直ぐ落ちてくる竹刀を恐れず、自分のトップスピードで竹刀を左に振り下ろした。

   ドオォォォーーーーッ!

 手応えを感じた。しかし同時に頭にも衝撃を感じた。自分の中ではほぼ同体だったが、自分の読みは申し分なかった。
 残心で無意識に振り返り構えを取ると

   面あり

 とエディの声が聞こえた。我に返った私はチラッと右を見ると白い旗が上がっていた。残念、私の方が僅かに遅れたか。でも手応えはあった、攻め方は間違っていない、私はそう直感して大きく上下素振りを一回した。

   「二本目!」

 気を取り直して構えを取る。試合は先に二本取った方が勝ちだ。一本勝ちは自分のルールでは負けだ。取られた事を気にしてはいけない。 
 眼前のお父さんは一本とっても様子を変えず落ち着いている。しかし、その時一瞬だけお父さんの間が抜けたように見えた。
「しまった」
 踏み込めなかった。一瞬のチャンスを逃した。しかし、本人は無意識だろうけどお父さんは私にヒントを落としてくれた。
「悠里ちゃん」
 後ろにいる篤信兄ちゃんの声を聞いて私にもわかった。お父さんは私がドウを打つのを知ってわざとドウを誘ったのだ。読みが足らなかった。
 胴が開く、だけどそこでドウを打つより面を打った方が距離が近い分速く打てる。
「これだ!」
邪推かもしれないが、エディはさっきの稽古で私のメンを引き出そうとしていた意味が初めてわかった。父にはメンで立ち向かえということか。
 激しい打ち合いのあとの間が離れた一瞬、無意識に私の竹刀が下がろうとした瞬間にお父さんの竹刀が動いた。
「見えた!」この瞬間だ。ここで踏み込むのだ悠里!そして、迷うな! 

   ヤァーーーーッ!

 からだが自然に反応した。私はお父さんのメンに合わせるように私も負けじと渾身のメンを打った。思いっきり打ち抜いてすぐに振り返って残心。

   面あり

 エディの声を聞いて、視界に赤い旗が上がっているのと拍手の音が第六感に入って来た。心の中で小さく「やった」と呟いた。
 あと一本、取れば私の勝ちだ。大きく肩を振って目の前の相手に集中した。さっきの感覚だ、あの感覚でもう一本取るんだ。形勢逆転だ、流れはこっちに向いている!

   「勝負!」

 エディが叫んだ途端、お父さんの左足がゆっくりと前にせり出したかと思うと、中段の竹刀がスーッと斜め上方に上がり、頭上でピタッと止まった。
「えっ……、うそでしょ」
 周囲のどよめきが聞こえた、それもその筈だ。お父さんは私相手に女子の剣道では滅多にみない上段の構えを見せたのだ。
 上段構えができるということは相当の練度があることだけでなく、私相手に上段を取るということは、さっきの一本でお父さんを本気にさせたということだ。
 私にとっては初めての上段使い。見取り稽古でしか知らないその構え、正面から見たら正直言ってどう入り込めばいいかわからないし、不用意に近づいたら強烈な一撃が面に向かって振り下ろされそうで恐怖を感じる。しかし私は、この時不謹慎にも目の前の上段を見て、美しいと思ってしまった。  
「攻めないと勝てないぞ!」
 我に帰り分かってはいるけど懐に入り込めない。気が付けば横から

   「勝負あり!」

と白い旗を上げて声を上げるエディの声が聞こえていた。メンを打たれたのは覚えている。ただどのように打たれたのかが全く思い出せない。
作品名:悠里17歳 作家名:八馬八朔