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剣(つるぎ)の名を持つ男 -拝み屋 葵【外伝】-

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 *  *  *

 トレーニングルームは、本部ビルの地下に設置されている。
 空手は勿論のこと、柔剣道や、その他の格闘技全般の鍛錬が可能になっている。簡単に言えば、畳張りと板張りの両方が用意されているということだ。
 佐佑を待っていたのは、白い道着姿で道場の中央に正座するクローディアの姿だった。その腰には有段者の証である黒い帯が締められている。
 道場の扉が開かれた音に反応し、クローディアはゆっくりと瞼を上げ、凛と張り詰めた空気に、佐佑は俄かに気を引き締めた。
 佐佑はその場で裸足になり、一礼のあと道場にその足を踏み入れ、クローディアの正面に座った。その間、クローディアは目こそ開いていたものの、その視線は正面を真っ直ぐ見据えたまま、微動ださせていなかった。それでも、クローディアの視線は正面に座った佐佑の瞳を寸分の狂いも無く捉える。そこに浮かべていた佐佑の幻が本物と重なった。それだけのことだ。
 しかし、佐佑を見据えるクローディアの瞳には、明らかな困惑の色が浮かんでいた。
「クロ」
 佐佑の呼び掛けと同時に立ち上がったクローディアは、開始線まで進んで立ち止まる。
「……サユウ、あなたが?」
 深い悲しみに圧し潰された弱々しい声は、かろうじて佐佑に届いた。
 しかし佐佑は答えない。表情にも、視線にも、すべてにおいて変化を見せなかった。
「あなたがスコット・ローレンスを殺したのね?」
 明確な意味を持った言葉が、再び佐佑の耳に届けられると、佐佑は、そうだ、とだけ答えた。
「構えて」
 クローディアは右足を引き、空手の構えをとる。左手を前に出し、右手は胸元へ引き寄せる、基本とも言える構えだ。
 一方の佐佑は、正座の姿勢を崩さずにクローディアを見上げていた。
「本気なのか?」
「……構えなさい、グラディウス」
 佐佑は、対峙する相手が発した二度目の声を聞いて、ようやく立ち上がる。そうして開始線まで進み、構えず自然体のままで動きを止めた。
「このままでいい」
「甘く見ると痛い目にあうわよ」
「戦いに開始の合図はない。無用な情けは自らの生命を脅かす」
 佐佑は無防備なまま歩き出した。
 二人の距離は、あと一歩で間合いに入るというところまで近づいた。しかし佐佑は、微塵の躊躇も見せずに次の一歩を踏み出す。
 クローディアは、すり足でもなんでもない散歩中のような気安い一歩で間合いに入り込んで来た佐佑に圧されたが、後退しそうになる右足に力を込めることで、何とかその場に踏み留まった。
「セァ!」
 クローディアの右拳が、二人の間に広がる空間を打ち抜く。その一突きは、彼女の腰に巻かれた帯が伊達ではないことを証明するのには充分なものだった。
 佐佑は、上体を後方へと反らして拳から逃れる。拳との間はほんの数センチだ。そうして重心が後ろに傾いた佐佑に対して、クローディアは下段蹴りを放って追い打ちを掛けた。水平に薙ぎ払うのではない、上から下に振り下ろされる、破壊力を伴ったローキックだ。
 佐佑は、上体が後ろに反り返ったまま、大きく前に一歩踏み出し、互いの太腿を接触させることで下段蹴りの威力を削ぎ落とす。
 身体を弓なりにしならせた状態での前進は、並みの筋力とバランス感覚では到底成し得ないものだ。
 密着した状態になっても、クローディアは攻撃を止めない。
 左掌底で顎を狙って注意を引きつけ、死角となる反対方向から頭の急所コメカミを狙う右拳を放ったが、どちらの攻撃も肘関節を抑えられて失敗に終わった。
 一旦離れて距離を取ったクローディアは、主導権を握るために再び攻め込む。
 気合の声と共に放たれたクローディアの右前蹴りに対し、佐佑は左足を引いて身体を九十度回転させて避けた上で、手刀を加えて叩き落とす。
 クローディアは右足を叩き落されたその勢いを利用して、左正拳、右中段と、怒涛の連続攻撃を見せたが、佐佑は両手で軌道を逸らし、そのことごとくを受け流した。
 それは、酷く不恰好な鎮魂舞踏だった。
 クローディアは、その顔に今にも泣き出しそうな深い悲しみの色を湛えていた。相手役の佐佑も、悲しげな表情を浮かべて共に踊っている。
 クローディアは泣いてるのだ。
 エージェントの死を嘆いてはならない。私情は目を曇らせ判断を鈍らせる。だからこそ“職場恋愛”が禁止されている。
 禁止されていたとしても、人とは恋してしまう生き物だ。佐佑とクローディアの他にも、隠れて恋人関係を築いている者たちは存在しているが、それらは公然の秘密となっている。
 クローディアの中段突きが命中し、佐佑の顔が苦痛に歪む。
「少しは効いた……かな」
 にっと白い歯を見せて笑い、佐佑はそう言った。
 クローディアは、崩れるように佐佑の胸に顔を埋める。
「分かってた。あなたが理由もなくそんなことするはずないって。だから余計にどうしようもなくなってしまった。どうしたらいいのか分からなくなった。彼は大事な親友だったのに、帰ってきたのがあなたで良かったって心底安心したの。私はそう思ってしまった自分が赦せなかった。あなたを責めてもどうにもならないって分かっているのに……」
 声にならない嗚咽を繰り返すクローディアを、佐佑は何も言わず抱きしめた。

 そんな二人の一部始終を、シェリルは扉の隙間から覗いていた。
 シェリルは興味のない素振りをしてはいたが、やはり二人のことが気になって仕方がなかった。ケンカの原因を知りたいという思いがないわけではないが、もしケンカをしているのならば、間に入って仲直りさせてあげたいと思っていたことも事実だった。
 オペレータとして配属されているシェリルは、地下のトレーニングルームを使用する機会はない。配属されたときに一通りの戦闘訓練を受けたものの、それはほぼ形式的なもので、一般人とほとんど変わりない。クローディアのように仕事抜きで武道を学ぶ気にはなれなかったのだ。
「出番なし、ね」
 二人の様子から自身の出番がないことを悟ったシェリルは、せめてもの嫌がらせとして、足音を消すことなく地下室を出て行ったのだった。