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みやこたまち
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電話の中

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2 囹朿(れいし)



 冷蔵庫を開けようとした時、ゴキブリの蠢く気配を感じた。だから止めた。代わりに、玄関の扉を開けると夜明けの消失点が手に届くかと思われる程、近くにあった。いきなり現れた新聞配達から直接受け取った朝刊で、手が真っ黒になった。汚いとは思わない。ただ、手が汚れただけだ。
室崎は、腰にまいたバスタオルがずり落ちそうになるのを慌てて抑えた。扉を閉め、ジャージを着て、財布と定期とをポケットに突っ込んで外へ出た。無防備に外気を吸い込んだためか、大きなくしゃみが出た。咄嗟に、腰のあたりを抑えている自分に気づいて、室崎は苦笑した。そのままコンビニにはいり、弁当と牛乳と雑誌を数冊買った。
「お弁当はあたためますか?」
「いいよ。そのままで」
 店員は隣のバイト仲間と会話をする合間に、室崎の相手をした。室崎はそのバイトのしまらない口許に怒りをおぼえたが、すぐに馬鹿馬鹿しくなった。
 足を引きずりながら、部屋に戻り、椅子に座ると尻に違和感があった。ポケットを探ると財布と定期が出てきた。なぜ、定期をもって出たのかと室崎はしばらく考え込んだ。そして、仕事のことを思い出した。
 電話の前に椅子をひきずっていき、弁当を膝にのせる。こぼれた汁で、ジャージに染みが出来た。

(プ-ッ)「あ、室崎です。昨日の夜、足を折って、救急にいきました。当直医が肛門科しかいなくて、松葉杖が今日の昼にならないと手配できないそうですので、今日は休みます。なんか、靱帯が伸びてるとかで、ちょっと時間かかりそうです。また連絡します」

 左の耳はやはり痛い。この痛みは小学校のころ、耳全体がしもやけにやられたときの痛みに似ていた。室崎は食べかけの弁当のご飯に左耳を押し当てた。左耳を包む、ねばねばとした柔らかさと、適度な冷たさは、何にもかえがたいほど気持ち良かった。しばらくそうしていると、電話が震えた。
室崎は弁当から顔を上げた。弁当は、ほんのすこしの距離だけ耳に付いて持ち上がり、その後、パタリと落ちた。室崎は、この瞬間に弁当の消費期限が終わったのだと思った。
 受話器をとる。左耳と受話器との間に違和感がある。声が裏返る。

「モシミシ。(咳払い)もしもし。室崎です」
「あ。元気ないね、やっぱり。足折ったんだって? 何してたの。大丈夫?」
「足? ああ。しばらく安静だそうです」
「それだけ? 骨折でしょ。松葉杖でしょ?」
「骨の問題じゃないそうです。もっとこう、精神的な問題で…」
「メンタリティーを持ち出すってのは、仮病学のセオリーから言っても、偽証の必要十分条件ね」
「メンタルな骨折なんです。つまり、比喩としての骨折。理解を求めてるんです」
「原因は?」
「電話です。いや、耳か。煙草か。まあそういったものの因果律で」
「電話、耳、煙草。ね。まあいいわ。休んでよし」
「ごっつあんです」
「お見舞いに行ってあげようか? お邪魔でなければ」
「邪魔だなんてとんでもない。それならアイスノンが欲しいんですけど」
「ふうん。寝てるあいだにそっと行って、心臓の上にくくり付けていってあげようか?」
「冷やす場所としては、まあ、神話的にいっても宗教的にいっても共同幻想的にいっても、間違いじゃないんですがね。現実的に冷やさなきゃならないのはもっとこう唯物的かつ、即物的なモノなんですよ」
「分かってるわよ。自分でしなさい。今日、クライアントに会うの。忙しいの」
「親身な言葉、ですね」
「それが仕事よ。いつからこられるの? 有給で賄ってあげるけど、毎日電話はいれるわよ。出なかったらアウト。いいわね」
「在宅勤務可でしたっけ。うちの会社は。合言葉は何ですか?」
「まあ。愛よ。愛。特別待遇だからね。貸し」
「勿体無いことで…」
「いいから。さっきのコピー、なかなか良かったわ。それじゃ。お大事に」

 耳の穴につまった一粒の冷え飯は、いったい、聞こえてくる言葉に作用するのか、それとも話す言葉に作用するのか。いずれにせよ、あと三日は家にいられると室崎は思った。

作品名:電話の中 作家名:みやこたまち