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ベイクド・ワールド (下)

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 瞬間、The Baked Worldのメンバーがステージに登場した。観客のボルテージは最高潮に達した。どうやら、三人の男によるスリーピース・バンドのようだ。そのうち、誰がボーカルなのかはすぐに分かった。紘一さんは、藤峰和夫と言っていた。彼の瞳は虚無感のようなものに満ち満ちた顔をしていた。それは、人を惹きつける不思議な魅力のようなものにも見えた。藤峰は観客には目もくれず、ステージにセットされていた黒のリッケンバッカー620を肩から下げると、がむしゃらにかき鳴らした。ノイズのような歪んだ音がハウス全体に響き渡った。心臓に直接響くような荒々しいノイズだ。ベースの男も、フェンダー・ジャガーベースを手にもつと、指で強くはじき、歪んだ低音を鳴らした。歪んだギター音と歪んだベース音は混じり合い、会場でけたたましくこだました。瞬間、ドラムスの男はスティックを叩き、まるで暴れるようにリズムを刻んだ。観客は大声で叫びながら、跳ね上がった。腕を突き出し、絶叫した。

 そして、曲がはじまった。

************************************
暗闇の中で 僕は探していた
君に伝えるべきことを
悲しみは何処で生まれ 何処へ消えて行くのか
焼かれた世界が包み込む 君の世界を包んでいく

鉄塔の上から 君は落ちて行った
僕は伝えるべきだった
喜びは何処にも行けず 独り死んで行くのか
焼かれた世界を包み込む 僕の世界を包んでいく

透明な林檎を齧って 透明な暴力を吸って 
僕は透明になっていく 僕は透明になっていく

透明な林檎を齧って 透明な暴力を吸って 
君は透明になっていく 君は透明になっていく
************************************
 
 藤峰は歪んだノイズに満ちた音楽のもと、しゃがれた声を、ほとんど叫びにも似た声で歌い上げた。有名な曲なのだろうか、観客たちも同じように口ずさんでいた。不思議な印象を受ける歌詞だった。僕は、歌詞のなかに出てくる『焼かれた世界を包む』という文章が少しだけ気になったが、それはきっとベイクド・ワールドとは関係ないだろうと思った。つまりそれは単なる詩だ。
 沙希はステージを眺めながら、藤峰が歌う姿をじっと見ていた。歌とか興味がないように思っていたけれど、そうでもないようだった。ふと僕は、彼女は普段いったいどんな歌を聴くのだろう、と思った。想像してみたけれど、まったく思い浮かばなかった。沙希に似合う音楽は不思議なことにまったく思い浮かばなかったのだ。それから、そんなことは考えなくていい、と僕は思った。とりあえず、今日は音楽を楽しむのだ。
 曲が移り変わり、バラード調の曲になっても、最初の曲よりもさらに激しい曲になっても、沙希はずっと僕のパーカーの袖をつかんでいた。だから、僕は音楽に合わせて身体を揺らすこともできなかった。つかむ彼女の手がほどけないように、僕は黙ってステージを眺めながら曲を聴いていた。それでも僕は楽しかった。沙希と一緒にいるだけで何故か楽しい気持ちになった、自分でも不思議だったけれど。
 藤峰はMCを一切挟まずに歌い続けた。まるで疲れを知らないようだった。自分が流した汗で転んでも、転んだまま歌い続けた。それほどまでに熱中できる何かがあるということに対して僕は羨ましく思った。僕は今までに何かに熱中したことがあるだろうか。きっと、ないはずだ。Nirvanaをギターで弾いても熱中はしないし、本をいくら読んでも熱中しなかった。そして、たった今も熱中せずに黙ってライブを見ているのだ。きっと、僕は『冷たい』のだろう。僕は玲とは違い、きっと『冷たい』のだ。ただ、それが自分らしさだとも思うし、僕は特にその性質を変えようとは思わなかった。ただ黙って受け入れるのだ。
 藤峰は放心状態のように足をふらふらさせながらも歌い続けていた。Tシャツは脱ぎ捨てられ、上半身裸になった。汗をだらだらと流しながら、ひたすら歌い続けた。おそらく、彼にとって、歌うことが役割なのだろう。
 気がつけば、最後の曲になっていた。最後はゆったりとした長いバラード曲だった。藤峰は座りながら、身体を横に揺らしながら歌った。目の焦点は虚空を見つめていた。それでも、その歌声には何か心に響くものがあった。感動して泣きだす女の子もいたくらいだから。

 最後の曲が終わると、バンドメンバーはそそくさとステージを後にし、何もなかったかのようにステージは静かになった。「アンコール」を叫ぶ観客もいたが、彼らはいくら呼んでも出てくることはなかった。

「沙希、ライブはどうだった?」と僕は訊いた。
「楽しかったよ」沙希は僕の裾を持ちながら、そう言った。もう裾から離してもいいのに、彼女は離そうとしなかった。
 ふいに、紘一さんと陽子さんがこちらへやってきた。「いやあ、よかったねえ。昔とまったく変わらない。The Baked Worldはやっぱり最高のバンドだよ」と紘一さんは興奮した様子で言った。「君も気に入った?」
「とても、いいバンドですね」と僕は言った。嘘ではない。確かに不思議な魅力のあるバンドだったのだ。特に、藤峰という男には妙に惹きつけられる雰囲気があった。あの虚無に満ちた瞳が印象的だった。
「実はね…‥」と紘一さんが僕の耳元で話した。「実は……このあと、彼らと会う約束をしてるんだけど、君も来てみるかい?」
 僕は驚いて、すぐに声が出なかった。
「さっきライブが終わったとき、ステージに向かって話かけたんだよ。彼はすぐに僕に気づいてくれた。やっぱり忘れてなかったんだ」紘一さんは陽子さんに、どうだと言わんばかりに腕を上げた。陽子さんは親密感に満ちた苦笑を浮かべた。「楽屋に少しだけ顔を出すことができるんだ」
 しかし、僕は面識もないし、別に会う必要はないな、と思った。僕が断ろうとしたとき、沙希が声を出して僕を遮った。
「会ってみたい」と沙希が言った。
「沙希さんもThe Baked Worldが気に入ったみたいだね?」と紘一さんが言った。
 沙希はこくりと頷いた。僕はとても不思議に思った。それほどまでに沙希が音楽に対して興味を持っていることに。結局のところ、僕たち四人は彼らのいる楽屋へと足を運ぶことになった。

 楽屋は予想以上にこぢんまりとしていた。両面が鏡張りになっているのだが、段ボールが溢れかえっていて、鏡は隠れ、ほとんど姿を映し出すことは出来なかった。また、部屋の半分近くは音楽機材によって占領されていた。藤峰のリッケンバッカー620と、ベースの男のフェンダー・ジャガーベースが壁に立てかけられていた。
 部屋に入った紘一さんの姿を見つけた藤峰は急に表情を緩めて、「野崎さん、本当に久しぶりです! 会場で顔を見たときは驚きましたよ!」と言って、こちらに駆け寄ってきた。奥で、二人で話していたドラムとベースの男も紘一さんを見てから挨拶をした。
「村居君に、猶井君も元気そうだね」と紘一さんは言った。どうやら、ドラムが村居で、ベースが猶井らしい。二人は紘一さんに対して笑みを浮かべた。