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ヤマト航海日誌

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2018.10.4 その正しい答は〈2〉だ!



この日誌で〈シュルツの選択〉の話をおれがしたのはいつのことだったかな。『2199』の沖田と古代がもしも正気でちゃんと波動砲を撃つのならシュルツには次のみっつの選択肢しかないと言うやつだ。


1.波動砲で冥王星ごとドーンと吹き飛ばされて死ぬ。

2.皆を連れて(もしくは自分だけ)逃げる。

3.降伏して「ごめんなさいもうしませんコスモクリーナー代わりに取ってまいりますからどうか許してください」と言う。
(反射衛星砲で〈ヤマト〉を迎え撃つは〈1〉)



これをこないだ〈ハーメルン〉の感想ページの返信にも出してやったら、min305さんに《シュルツは前線指揮官でしかなく、軍人としての彼の任務を考えれば、その3つのいずれも選択不可能です。2199だと二等ガミラスなので尚更です。であれば、手持ちの戦力で何とかするしかありません。》と返されてしまった。

だが生憎と、この御意見は正しいと言えない。太平洋戦争の緒戦において、シンガポールの総司令官パーシバルは母国首相チャーチルから「降伏は許さん。英国人なら〈生きて虜囚の辱めを受けず〉だ、それを忘れたか! 私の言葉は国王陛下の御命令であり神の使命だ。必ず最後の一兵まで戦いそして勝利を掴め。英国人なら戦って死ね! 戦って死ね! 戦って死ね!」との厳命を受けていた。チャーチルは同じ言葉を連日ラジオで全国民に朝から晩まで叫んでいた。

が、歴史が記すように、パーシバルは日本軍がシンガポールに雪崩れ込むやすぐさま降伏した。パーシバルはイギリスの階級社会では支配階級と労働者階級の中間の人であったと言う。〈タイタニック〉に乗ろうとすれば「あ、アナタは二等ですね」と言われるような身分てことね。

結局のところこの件でパーシバルが咎めを受けることはなく、戦後になって国民から石を投げられ選挙で惨敗を喫したのはチャーチルの方だった。だからmin305さんの指摘は正しくないのだが、しかしこれは話がイギリスの場合である。

日本やソ連では事情が異なる。スターリンの政権下では降伏の選択肢は存在せぬので〈1〉か〈2〉を取ることになる。この場合、〈2〉の「逃げる」は〈皆を連れて〉と言うわけにはいかないので〈自分だけ〉ね。そして日本も事情は同じであるためにアッツ島では「手持ちの戦力で何とか」と言う第四の選択をして玉砕。以降、「アッツ島のようにやれ」と言うのが日本軍の合言葉になった。

つまり、〈1〉〈2〉〈3〉の選択肢のどれも選べないために〈4.アッツ島のように〉を選んで自動的に〈1〉になると言うことである。〈アッツ島のように〉は〈1〉であるのだから全部が全部〈1〉なのだ。その意味ではmin305さんの言うことは正しいと言えば正しいのだが、しかしね、どうも。

〈1.自滅〉〈2.逃亡〉〈3.降伏〉〈4.アッツ島のように〉。〈皇軍〉ではソ連と同じく〈3.降伏〉の選択はなかった。「自滅」を「玉砕」と言い換えれば言葉の上では敵に勝ったことになる。試合に敗けても勝負に勝ったことになる。ゆえに栗原は硫黄島で〈アッツ島のように〉を選んで玉砕。試合に敗けたが勝負に――勝ったか? 勝っていないよな。ただ自滅しただけだよな。「テンノーヘーカバンザイ」と叫んでミジメに死んだだけ。

だからやっぱりmin305さんは正しくない。よくよく見れば〈2〉の「逃亡」は選ぼうとすればできなくないので、今現在の北朝鮮から脱北する者らのように生きたければ逃げるのがいい。どうせ昭和の日本がおしまいなのと同じようにガミラスがダメであるのなら、シュルツはここで利口になって自分だけ地球に亡命するのが正しい。この問題の選択はゆえに〈2〉が正解なのだ。

ガミラス総統デスラーはヒトラーがモデルであるとよく言われるが、この両者は全然似てない。名前が〈○○ラー総統〉であると言う以外の類似点はゼロだ。なのにどうしてそう言われているかと言えば、それは本当にデスラーと似るのが昭和裕仁であるからではなかろうか。〈デスラー イコール ヒロヒト〉と気づく人にはあまりに自明であるがため、気づいた人は気づかぬフリして「デスラーはヒトラーがモデルなのであろうが……」なんてしらばっくれて言ってきたのじゃないだろうか。

1941年の開戦前、アメリカの駐日大使が昭和裕仁を訪ねて再三言っていた。


「重慶爆撃の件ですが、あれはすべてがあなたの意向で行われているそうですね。すぐやめさせていただきたい」


これに対して裕仁は、


「抗議抗議抗議抗議、あなたに会うといつも抗議だ。日本人は大正の世でやたらと数が増えたのだから、移住先を求めて何が悪いのですか。チャンコロなんて滅ぼして当然でしょう。野蛮人だ」


と、ニタニタ笑って応えるばかりであったと言う。まさにデスラー総統そのもの。『新たなる旅立ち』以降、過去の悪行を都合よく忘れて〈平和の象徴〉気取りのデスラーはまさに昭和裕仁そのもの。

このふたりはピタリ完全に同一だ。そう言えば『ルパン』のカリオストロ伯爵も昭和裕仁そっくりだな。やっぱり戦後の日本人が〈悪の極み〉を描こうとすると昭和裕仁になるんかしら。

そりゃ無意識にそうなるかなあ……と、こんな話をするために久しぶりにここに帰ってきたのじゃなかった。例によって前置きが長くなったが本題は別なのである。

大体、元々どうしておれがmin305さんにムキになって反論されることになったかと言う話をここでしたかったのだった。あっちで書いても長くなるし、どんどん話が変な方にズレてくばかりなものだから(いや、それもおれが、故意に話をズラしていったわけなんだけど)、おれがあそこでほんとに言いたかったことが途中でどこかに行っちまった。

だからそれを今ここに書いておこうと言うわけなのだ。それが今回、この日誌を久々に更新する理由である。

で、なんだっけ。ええと……ホラまた忘れちまった。えーと、えーとね、なんだったかな。そうだ、「死角だったんじゃないんですか」だ。『2199』地上波第五話の南部のセリフ。このセリフがおかしいと言うツッコミをおれがあちらでしたのだけれどmin305さんがわかってくれず、《2つ目の砲台があっても、先に基地を叩いてしまえばそれでいい、ということだったんじゃないですかね》とか《反射衛星の制御信号を解読した時点で、砲台の数は問題ではなくなったんですよ。ヤマトを狙える位置にある反射衛星を破壊すれば、砲台が何基あろうと無関係なので》なんてな返事が返ってくることになってしまった。

いや、ちょっと待ちなさい。砲台の数が無関係なわけないでしょ。砲台の数が一基か複数かより重要な問題なんかないでしょう。砲台の数が複数ならば〈ヤマト〉は勝てない。絶対に勝てない。

それは砲がズラズラ並ぶシンガポールの要塞に〈大和〉がただ一艦で突っ込んでくようなもんであり、パーシバルに蜂の巣にされるだけじゃないですか。シンガポールは正面から船で攻められる場所ではない。裏から攻められないのなら、日本が勝つには〈大和〉の46センチ砲に核砲弾を込めてドーンとぶちかます以外に方法がないでしょうが。
作品名:ヤマト航海日誌 作家名:島田信之