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大竹 和竜
大竹 和竜
novelistID. 52505
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Mut-ae-volution 射手 プロローグ

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彼が物心ついたころには、家族など居なかった。それどころか人間としての姿もなかった。鏡を見れば、黄色く分厚いクチバシと、鋭いワシの目に睨まれたが、生まれたときからそうだったので大して気にならなかった。キメラ症候群とかいうウィルス感染症のせいだが、そういう話は今の彼には余分なぐらいだ。
 まさに今、彼が気がかりなのは、三十メートル先に見えるホテルの窓の中だ。彼は、ホテルの向かいのくたびれた木造アパートから、かれこれ数時間、その窓ばかりを気にかけている。もう深夜も1時を回っていた。
 彼は部屋の電気を消し「しくじるなよ」こうつぶやいた。
 彼――フランシス・カーターは、目を閉じて狙うべき男の顔を思い出す。スーツ姿で、白髪の目立つ髪。深く鋭く刻まれた皺が印象的な男は、先ほどから気にかけている窓にそろそろ現れるはずだ。
 彼は目を開いた。窓を開けて、改めて向こうを眺める。豪雨のせいで向こうのホテルまでの景色は白く霞んでしまっているが、彼がたじろぐことはない。彼にははっきりと見えたのだ。向かいの部屋に動きがあったのが。
 彼は、彼の武器を持ち、しっかりと構えた。弦に矢をつがえ、引き絞る。彼はいつでも、この安っぽい紫色の、アーチェリーの弓だけで仕事をこなしてきた。
 豪雨の向こうを睨みつける。いや、狙う。開け放ったアパートの窓枠はぼやけて消え失せ、向こう側のホテルの窓だけが拡大され、視野に貼り付けられた。雨粒がガラス面を駆け下りている。
 その向こうに、呑気そうにスーツの男がやってきたのを彼の目が捕らえた。タイミングは完璧。
 ワシ頭の冠羽が広がり、両腕の羽毛がざわついた。
 そして、弦を引いていた指を離す。矢は豪雨に打たれながらも、狙い通りの軌道を描き、スーツの男の胸へと向かっていく。そして、ホテルの窓を突き破り、鮮紅色の霧を吹き上げた。
ふと、彼の視界が元に戻る。男が、胸に矢を立てたまま、出窓のあたりでのたうっているのがぼんやりと見える。しばらくそうした後、男は出窓に突っ伏し、痙攣しはじめる。そして、奇妙な姿勢のまま動きを止めた。
 フランシスはそれを確認すると素早く姿勢を低くし、まず弓を細長い鞄にしまう。続いて、まとめておいた荷物を抱えて部屋を飛び出した。アパートの鍵を落ち着いて閉め、素早く階段を降りる。風はないが、部屋の中から見たよりも酷い雨が降りしきっている。雨の音以外には何も聞こえない。
 彼は愛用の弓を、待機していた車のトランクに突っ込んだ。そしてそれに乗り込むと、仲間の運転手に合図を出す。車体はまるで暗殺などなかったかのように、そろそろと発進する。
「よくやった、フランシス。相変わらず鮮やかな手並みだな」
 運転手はやや荒い息で暗殺者フランシスを褒めた。運転手がハンドルを捻ると車体は右折。先ほどフランシスが狙撃を行った窓の下を通る。
 褒められた当人はいい加減な返事をして窓の外を眺めている。ちょうど窓の真下に差し掛かったとき、暗殺者は歩道に何かを見つけた。土砂降りの雨に加え、街灯の光が反射してよく見えなかったが、写真立てであることがわかった。そして、そこに収まっていた写真に、先ほどのスーツの男と女、そして犬頭の若者が写っていたのがかろうじて見えた。見えただけだった。

「よくやった、フランシス君。これで民主和党の連中も我々キメラ第一民主主義、そして我らが指導者の偉大さを思い知るだろう」
 翌日、フランシスは暗殺の成功を報告していた。ワシの視線の先には、軍服を着た、人間の顔をした男性。頬の肉は醜く垂れ、そこに皺が長々とだらしなく伸びている。ブルドッグと見間違えるような顔だ。仕事のてん末を報告するたびにこの顔を見るとなると、つくづく奇妙な気分になる。キメラ症ではないのに、自分と同じぐらい人間離れしたような面構えをしているからだ。なぜ軍服を着ているのか?詳しいことは知らない。
 ともあれ、フランシスのようなキメラ症患者は、本来はこういうような人間の姿として生まれるはずだった。
 キメラ症というのは、人間の遺伝子が、ウィルスによって他の動物のものとすり替えられる病気だ。どんな遺伝子が、どの動物とすり替えられるかは患者によって大いに異なる。フランシスの場合なら、どこぞの国の、カンムリワシとかいう猛禽類の外見がウィルスによってもたらされたようだ。もっとも、どんな種類の鳥か、なんてどうでもいい。確かに知らされてはいたが、その病気で面倒な生き方を強いられていることに比べてはどうでもいいと思っている。
 それでも内心、目の前の軍服のような見た目の人間に生まれないでよかったと思いつつ、彼に向かって一言述べた。「ありがとうございます」と。思っていることと裏腹、というわけではなく、これは心からの言葉だ。
 コンクリートがむき出しのぼろ臭い部屋に、磨きこまれた木製のデスクが鎮座している。軍服の男の部屋だ。窓からは南米の日差しが差し込んでいる。その窓の上を見ると、コンクリ壁にはおよそ不釣合いな瀟洒な時計が掛かっている。それには液晶パネルがはまっており、日付を示してくれている。二〇六〇年、八月十三日、と。
 男はしゃがれた声で語りはじめた。自室の光景に陶酔したのか、映画に出てくる軍の幹部のように。
「君はわが国の未来を、そしてキメラ症の未来を明るく照らすべく、今後とも活躍してほしい。彼ら民主和党に捨て置かれた哀れなキメラ症患者達を救う、我らが主導者の理想を実現するために。」
 軍服の男と同じように陶酔するまいと、冷静にやりとりする。軍服の言うことももっともだとは思うのだが、彼のように無駄に酔ってしまっては、理想の実現からは遠のいてしまう。
 理想というのは、この国のキメラ症患者にも主権を取り戻させることだ。南米にあるこの小国のキメラ症事情は酷い。キメラ症発見の大陸にあるにもかかわらず、キメラ症患者の肩身はことごとく狭い。与党である民主和党という政治派閥の掲げる方針が、キメラ症発見以前の旧体制のままなのだ。それどころか、発展途上のこの国では、キメラ症患者を人間として認識しない風潮すらある。単純に、見た目が違うからだとか、遺伝子が違うので別の生き物だという理由まである。どうやら自分もそのうちの一人らしい。
 これが一般の人間の間での差別だけならまだしも、つい先日のとある裁判は酷いものだった。公共施設は、キメラ症患者の利用を拒否してもよい。こんな判決が裁判所で下ったほどだ。とうとう、司法がキメラ症患者と健常者とを等しく見なくなった、ということになる。三権分立が聞いてあきれるものだ。
 そんな、日々更新される旧体制の下、虐げられたキメラ症患者が寄り集まって出来た政治派閥がフランシスのいるキメラ第一民主主義だ。
「民主和党のあの男は、我らが主導者のやり方を、『行き過ぎた悪性の突然変異だ』などと非難した。我々の主導者の偉大な導きをだ。それに対しての君の制裁は、下されて当然だったのだ。これは誇るべきことだぞ」
 話を続ける軍服は、さらに気分を高揚させて語りだした。あの男、先日ワシ頭をもってして狙撃したスーツの男のことだ。