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短編集『ホッとする話』

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 唐の劉尭は中央から派遣された役人で皇帝の側近に仕える諸侯の門下生だった。今の任務は同門の仲間である李凱と共に都を離れ西方の治安維持を任されている。試験の成績も武芸も目立つ程でもないが、素直で人を見下さないその性格と人柄は部下からの信頼も厚い。一方で相棒の李凱は武芸に優れ、皇帝の側近にもなれるかも知れないほどの器を持つ人物である。
 李凱は秀でた能力もあってか、上昇思考が強く時おり大口を叩いて周囲の人間の目くじらを立てるのがたまに傷であるが、純真でおっとりとした劉尭が彼を諫めることで平衡を保ち西方をうまく治めていた。

 二人はつかの間の宴の合間、盃を片手に池のある中庭に出た。東の空の向こうには二人がやって来た洛陽の都がある。池の遥か上方には雲ひとつない空に見事な満月が二人を見下ろしていた――。
「西方の治安を我に任せるなど、中央もどうかしている」
 凱は西方への派遣は自分の本意ではない。中央の状況が読めないからだ。そのうえ西方の治安維持は日に日に状況は厳しくなっている。
「凱よ、そう言うでない。ここへ来たからにはここで経験を積み、将来この経験を活かせば良いではないか」
 そう言って同門の仲間をいさめるのは尭だ。いずれは都に帰りたいのは同じであるが、尭は凱とちがってこの地への派遣を前向きに捉えている。こののんびりした相棒の性格を凱は時折良く思っていないときがあった。

「李凱さま、劉尭さま」
 二人が月を眺めているところに、使いの者が一通の信(手紙)を届けた。尭は手紙を手に取り一見した。送り主は都から劉尭に宛てられたもので、二人が仕えている諸侯、連寿王からのものだ。
 尭は手紙を受け取ると送り主の名前を確認し、その封を開けた。

   西方の現状報告のため、
   一度都まで戻って来ること

「西方を離れるのは危険だと思うのだが、報告ということはどういうことだろう」
 尭は手紙を一読し、主君の考えが分からず首をかしげた。
「しかし、なぜ尭だけに宛てられたものなのだ」
 尭が手紙を読んでいるのをお子で見ていた凱は、戻ってくるよう言われたのは自分ではなく尭であることに納得がいかない様子で口を挟んだ。
「それだけ凱は必要とされているのだろう。また私も戻って来るさ」
 尭がここを離れれば守りは手薄になることは明らかである。さらに、道中は決して安全でない上に道程も長い。二者択一で連絡役を指名するのなら自分を選び、優秀な方をこの地にとどめておくことの方が賢明であると説明すると、凱はしぶしぶながらも頷いた。
「折角都へ行くのだ。麗麗に何をもってゆけば良いだろうか」
 尭は寿王の愛娘、意中の人であるがその控えめな性格と彼女は仕える主君の娘であること、そして競争相手が多いことが壁になっていてその願いは叶うはずではないと思っている。それでも彼女を少しでも微笑ませたいと思い思わずその名前が口からこぼれた。
 凱は一度尭の表情を見たあと、ゆっくりと夜空を見上げた。今にも落ちてきそうな大きな月が池の上に浮き、その陰が池の水面にも映っている。
「麗麗は鏡が好きなのだ。そうだな、あの満月のような」
 一方の自信家である凱は都にいた時から自分こそが麗麗を妻に取ると言い張ってきただけに、彼女の好みをよく知っている。尭もそれを知って質問を投げかけてみた。
「ほう、満月のような鏡か」尭は水面に映る月を見て答えた「とにかく明日発つので、道中で買うことにしよう。それまでの間西方の治安をよろしく頼む」
 尭は盃を手にしたまま凱を残して屋敷の中に戻った、明日から長い旅に出る。早速随行者を選び出発の準備を始めることにした。

   * * *

「ちくしょう、なぜ奴をよこすのだ」
 誰もいなくなった庭に残った李凱の口から思わず言葉が漏れた。二人の主君である連寿王はいつも劉尭を重用する。しかし尭には野心と言うものが微塵もなく、与えられた任務を全うするだけの役人である。凱は共に派遣されてきた相棒をそう評していた。
 主君が重要な前線から下がらせてまで都に戻すということはそれだけ重要な会議をするのではないかと考えた凱はそれに外されたことに頭に血が上ってくるのを覚えた。その上、尭が意中の人である麗麗の話題を出すなという呑気なところにも許せない。
 成績も実績も尭より自分の方が優秀なのに、何故だ、何故だ、と凱は心の中で言葉を繰り返した。
「覚えておれ、劉尭」
 凱は手にした盃を池に映る月に向けて投げつけると月は波打つ水に飲まれるように消えた。
「まあ、よい。あいつは我の助言を聞いておるからのう――。麗麗は私のものだ。そして、諸侯の座も」
 李凱は池に背を向けて屋敷に戻ると、水面の月は再び静かに浮かび上がった――。