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みやこたまち
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クロスワードパズル考(宇祖田都子の話より)

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 だから、私は待っていさえすれば良かったのでした。そう。ビデオ鑑賞中に宅配便が届いたので一時停止しているのだと考えれば良いのでした。用が済んだらまた再生ボタンを押せばいいのです。ビデオにとってこの一時停止の時間は存在しないのです。彼にとっての私が、なのか、私にとっての彼が、なのかは分かりませんし、どちらもが主張し得ることなのかもしれませんが、とにかく、待たされているのだという意識が生じない限り「一時お預け」を食らっているのだという苛立ちとは無縁でいられるのだということだけは確かなのです。

 彼の世界とは、彼の感知する世界であって私のそれとは異なっている、というだけのことです。彼が見ている私、私が見ている彼、どちらに主体があるのかを、問題として取り扱うのは間違っていると、私は考えていました。

 やがて、彼はコーヒーを手に戻ってきました。「喉が渇いてしかたないんだ」と以前にも言っていたっけ、と私は思い出しました。両手にコーヒーカップを持っています。でもそれは私の分ではないのだということを、私はあらかじめ知っていました。彼もいちいち断らず、一杯目を飲み干すとすぐに二杯目に取り掛かったのです。彼の部屋に染み付いているコーヒーの香りと湿り気とは芳醇で刺激が強すぎました。しかし、彼が語りつづける為に必要な精神的緊張を持続させるためには、希薄すぎるのでした。

「この専門誌というのがまた酷い代物だった。膨大な量のクロスワードパズルのほとんどは投稿作品だったのだ。問題の製作に関わるのは可不可ない。けれど皆、自己検閲を忘れているものばかりだったので、これにはほとほと参ってしまった。自己検閲というのは、例えば暇潰しのつもりで問題製作する奴にとっても、自分の知識をひけらかしたいという奴にとっても、またクロスワードパズルの常識を覆すだけの画期的方法を発見した高揚、そんな物はただの浅学に過ぎないのだが、に駆られた奴にとっても、同様に糾弾されるべき問題だった。一体だれが、こんな物に時間を費やしたいと思うのか?

 そりゃ、僕は真の天才的仕事が皆無だとは言わない。それに職業的クロスワードパズル作家が携わった物が皆無だとも言わない。だが、当時入手できた全てのクロスワードパズルは、くだらない物だった。それは、悪意だ。何の役にも立たない。時間潰しが拷問だとしたら、まさにそのためにのみ使用可能な代物だ。だが、僕は忍耐した。何故なら、経験のみが資格を得ることが出来るという事を僕は知っていたからだ。

 海外へ行った事が無い人間は、外国旅行についていかなる判断も感想も述べる資格は無い。ウツボを食った事のない人間にウツボ料理の感想を述べる資格は無い。何故なら、それは自分にとって観念的空論でしかなく、常に紋切り型の模倣にしかならないからだ。そんな陳腐な言葉を口に出してしまった事に羞恥を感じるに人間は、自分の語り得る事が何かを十分に自覚しているものさ。他人は相手の言葉を聞いて、それが既知の内容と同じ構造を持っている、もしくは、全くの繰り返しであるという事に気づいたとき、相手の底が知れたと思う。僕は下らないながら随分と本を読んだ。その中にはわりと面白いコントが少なからずあった。

 ある時、知人が誰かを笑わせていた。知人は自分の体験だといって、その割と面白いコントと全く同じ事を吹聴していた。それは僕の中では既知のコントだった。だが、相手はそれを知らず、知人は会場の衆目を集めていた。もちろん、聴衆もそのコントは既に広く流通しているネタだという事を知りながら、笑っていたのかもしれない。そこで、「それはもう知っている。本に載っているし、テレビでもやっていた」などと告げるつもりは無かった。僕はもともとその知人を評価に値するとは思っていなかったが、それ以来目もあわせていない。そこで笑っていた連中ともね。『君にはこんなところは詰まらないだろうね』と知人はシャンパンを手渡してきた。『色々と知ることが多い』と僕は答えた。知人は僕に、もっといろいろ自分から話しかけろと促した。僕はシャンパンを鏡だかアルミホイールだか分からない盆のようなものの上に静かにおいて、ネクタイを緩めながらその会場を出た。僕には知人のような厚顔さは無かった。知人の話術の巧みなことは認めよう。だから余計に腹が立ったのさ。我慢する必要は無かった」

 彼は本当に腹を立てていたようでした。普段は感情を表さない彼にしては珍しい言葉を選んでいたからです。そう。口調、速度、音程、音色、息遣いなどは全く変化しません。彼は発声に関しては全く感情を交えない話し方をします。だから、腹が立ったという言葉を彼が選んだという事から、私はそう推測する、いえ、それと知るのです。
 彼は「殺したい」とはいいません。「殺したいと思った」というでしょう。そしてもし「殺したい」と告げるべき相手がいたとしたら、その相手はもう死んでいるはずです。彼は感情をも言葉にします。実に明快なはずなのだけど、彼の語法に不慣れな人にとっては混乱を来たす原因となっているようでした。

「僕はクロスワードパズルを批判するためにくだらない浪費を行った。この矛盾が不快だったが、無視することはできなかった。クロスワードパズルの可能性を察知していたからだ、ということを知ったのはそれから程なくしてからのことだった。今のクロスワードパズルの主流はね、形式をひねる事だ。一マスに二文字入れたり、漢字を使用したり、キーを無くして数合わせを教養したり、疑似立体にしたり、ばかばかしいほど巨大にしたりね。多様化したように見える。だが、この多様性は進歩ではなく、逃避なのだということに誰一人気づいていない。
 縦書きと横書きとを許し、なおかつ平仮名片仮名漢字ローマ字をも取り込みながら、さらに他国語を貪欲に取り込んできた日本。日本語使用圏にあって根本的な追求をおざなりにしている怠惰を、なぜ誰一人指摘しなかったのだろうね。クロスワードという形式が、何を原理としており、どこまでの可能性を秘めているのかを、なぜ誰も研究しないのだ。形式をいじるのは簡単だ。そして最も危険なことでもあるのだという事実が、なぜクロスワードパズルに限っては免除されるにだと思い込むのだろう。それは皆が暇潰しとしてしか認知していないためだ。そしてこれは暇潰し自体をも冒涜しているのだから、彼らは二重の罪を犯していることになる。

 クロスワードパズルの特質はまず、視覚的である、という事だ。文字が視覚的なのだからね。文字の連なりによって意味が生じる。そしてその複数の意味が交錯する瞬間の緊張が、クロスワードパズルの醍醐味ではなかったろうか。「かなづちの事」というヒントに対して、「げんのう」と書き込むときの徒労感を、君は味わったことがあるかい?

 クロスワードにも学会がある。機関紙も出ている。その中のいくつかは王道を行く素晴らしい作品だった。それぞれの分野に特化しすぎるきらいはあるものの、それでも全てのマスに文字を入れ終わったときに機能し始める意味のアクロバットは、類を見ないものだった。僕は製作に携わろうとは考えない。回答者だけが真に批判しうる立場なのだから」