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赤い涙

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5.冷たい雨



 木枯らしが町に吹くようになった頃、昂は風邪を引いた。症状は軽かったが、樹の許に行くのは憚られた。ただでさえ弱っている彼女に風邪を移してしまったら…昂はそれが怖かったのだ。完全に治ったら行こう、そう思っていた。そして、その旨を京介に伝えた。
「ああ、解った。後でそう伝えておくよ。」
京介はそう返した。
 だが、その三日後のことだった。
「理数科二年の根元昂君、今すぐ事務室に来てください。」
そろそろ三時間目が始まろうとしていた頃、昂は校内放送で呼び出された。
「根元です。なんでしょうか。」
「笹川さんって人から、根元君を呼び出してほしいって。樹の事でって言えばわか…」
樹の事で、京介が突然学校にまで電話してくる…(まさか、樹ちゃんが…)昂は事務員が説明を終える前に、彼女の手から受話器をひったくっていた。
「もしもし、昂です!」
「根元君、助けてほしい。樹がどこを探してもいないんだ。あの体で雨に当たったら…根元君に心当たりの場所はないだろうか。」
(樹ちゃんが行方不明?!)窓を見ると、外には冷たい雨が降り始めていた。
「待っててください、今行きます!」
昂は受話器を事務員に放り投げるように渡した。
「根元君、今の電話、どこから?ねぇ、どこ行くの!」
昂は事務員の質問にも答えないまま駐輪場に向かって走っていき、自転車に跨ると、一目散に笹川家に向かって自転車を漕ぎ始めた。

 「ちゃんと、君が風邪を引いていて会うのを控えているのは言ってたんだが…」
笹川家にたどり着くと、京介は、沈痛な面持ちで昂にそう言った。
「どこか、あの子の行きそうな場所に心当たりはないかい。」
しかし、そう言われても一緒に住んでいる兄の京介ですら分からないことが昂に分かるはずもなかった。思えば、昂と樹とはこの家の内と外のほんの小さな範囲内でしか一緒にいたことはない。(俺ら、デートしたこともなかったんやな。)そう思うと昂は無性に寂しくなった。
 そう言えば…と昂は思った。風邪を引く直前、樹は不意に
「昂さんのお家も見てみたいです。ここから見えますか?」
と自分の部屋の窓を指さして言った。高台にあるこの家の庭からは結構遠くまで見渡せたが、昂の家は見える範囲から少しだけ南側にあった。
「見えへんのちゃうかな。けど、もう少し高いとこに行ったら大丈夫やと思うんやけど。」
と、昂はその時そう答えたのだ。(もしかしたら、ここより上に登って俺の家探そうと思たんとちゃうやろか。)
「そうや、坂の上!」
昂はそう叫ぶと、笹川家を飛び出し、山道を登り始めた。しかし、あんなに焦って電話してきた京介が昂に付いて来ないのだ。(何でや!)昂は少し腹立たしくなったが、今はそんな事を考えている時ではないと思った。一刻も早く見つけないと、取り返しがつかないことになってしまう。

 そして、昂が思った通り、急な坂道を登り切っていきなり視界が開けた所に樹はいた。彼女は大きな木の根元にぺたりと腰を下ろしてまっすぐに前を見つめていた。
「樹ちゃん!」
昂は名前を呼んで駆け寄った。しかし、彼女からの返事はなく、近寄って肩を抱いた昂の腕の中に、彼女は力なくその身を預けた。
「樹…ちゃん?」
咄嗟に昂は樹の口元に手をかざした。(い、息してへん…)樹はその目を見開いたまま既に事切れていたのだ。
(樹ちゃん…お、俺のせいや。俺が三日も行けへんから心配して俺んとこ来ようと思て探しにきたんや。)
「うわぁーっ!」
昂は樹を抱きしめて号泣した。
「ゴメンな、こんなに俺の事待っててくれたなんて思てへんかったから。ホンマにゴメンな。なぁ、もっかい何でもええからしゃべってくれへんか?なぁ、お願いや、こんな早よに逝ってしまわんとってくれ!」
昂は樹にそう懇願したが、樹はもう何も言ってはくれなかった。

 依然、冷たい雨は降り続いていた。昂は茫然と樹を抱きしめたままその場にたたずんでいた。


作品名:赤い涙 作家名:神山 備