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Bhikkhugatika

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公平な関係


 ダイアリー。
 慈しみとは何だろう。相手がして欲しいことをしてあげることである、と言えるかもしれない。しかし多くの人は、自分が本当に相手にして欲しいことを知っているだろうか。知るはずもない。多くの人は、自らについて知ろうとせず、他人について知りたがるばかりだ。
 相手がして欲しいこととは、彼が「これをして欲しい」と言ったことではない。もしも「これをして欲しい」と言われたことをしてあげるのが慈しみ深い人なら、誰とでも寝る女こそが最高の慈悲の人ということになる。
 慈しみある真に女らしい女というものは、自己を批判的に見ることのない、世間にありふれた、誰が誰か見分けのつかぬ、凡俗な男の目には、自分の言いなりになってくれる女としか写らない。そこで彼らは、彼女を呼び止める。
 「君は俺を幸せにしてくれるんだろう?だったら俺と寝てくれよ。君は愛ある人だから、俺を拒絶して、俺を傷つけたりはしないよね?」
 彼らはもちろん、この真意をむき出しにすることには用心する。対等な公平な友情を結ぶふりをする。騙しやすいと見なしたものの、自分が自分のおよそ動物に共通の利己的色欲に従っているに過ぎないことを彼女が見破るかどうか、様子をじろじろ見ながら。

 色欲を叶えて欲しいと迫る男と、苦しみや悲しみを慰めて欲しい、憎悪に同意して欲しいと迫る人は、変わるところがない。自分の欲望を自分で処理して自らを律することのない、一方的な要求であることにおいて。彼らは、その要求が受け入れられないと、「君は友ではない」と怒るが、彼らは、公平ではない。自分の欲望を叶えてくれる人が友であるなら、要求するだけの彼らは、自分が誰にとって友となることができると思うのだろうか。彼らは、どういうわけか、自分だけは要求するだけでも友たりえると思っている。
 色欲を叶えてやる女が慈しみある、友情ある友なのではない。慰めや憎悪への同意をする者が慈しみある、友情ある友なのではない。一方的に要求する方法を否定して、公平な対話にしか応じないことで、彼らに自分で自分を律するきっかけを与える者が真に慈しみある、友情ある友であるし、それこそが、彼ら自身が気づいていない、彼らが真にして欲しいことだ。
 実に彼らにとっての真の苦しみは、色欲が叶えられないことではない。苦しみや悲しみを慰めてもらえないことではない。憎悪に同意してもらえないことではない。実は彼らにとってそれは、些細な苦しみでしかない。彼らの真の苦しみは、自分勝手な欲望の解消を他者に求めることで、それに応じてもらい続けることで、いつまでも自分自身で自分を満たし、人と公平な関係を築けないこと自体だ。

 ブッダ・シャカムニは臨終の間際アーナンダに、チャンナという弟子に黙殺する罰を与えるように言った。
 「チャンナは、自分の欲することを何でも言ってもよい。しかし修行僧たちは彼に話しかけてはならないし、訓戒してはならないし、教え諭してはならない」Maha-Parinibbana-Suttanta 23-4
 ダイアリー。思うのだけど、チャンナという男は、頼まれてもいないのにひとりで勝手に他人を批評しながら世間をうろつくような男だったのではないか。人とこのような一方的な関係しか結べぬ者とは、確かに一切の会話をするべきではないからね。彼が自分の結ぼうとしている不公平な人間関係について、自分で気づくまでは。
作品名:Bhikkhugatika 作家名:RamaneyyaAsu