小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

アインシュタイン・ハイツ 102号室

INDEX|9ページ/19ページ|

次のページ前のページ
 

 志摩さんがそんな風に言う、ということはつまり、志摩さんが叔父の隣に引っ越してきてからこっち、叔父の部屋を訪れるような女の人はいなかったのだろう。勿論、叔父が恋人とは外で会う主義だ、とか言うのなら話は別なワケで、志摩さんが言うとおり「部屋に女の人が来た試しがない」というだけで叔父に恋人が居ない、と判断するのは早計であるわけだが。
 しかし、「キヨちゃん」が叔父の恋人でないとしたら、ほかに当てはまるのはどんな関係の人物だろうか。少なくともただの友人なら、鍛治野さんが叔父に「良いのか」なんて聞かないよなぁ、と思いながらも、店内に部活帰りらしい坊主頭の高校生の集団が押し寄せてきたのでそれ以上は聞けず、俺は急に忙しくなった志摩さんに笑いながら軽く手を振って、賑やかになったコンビニを後にした。

■■■

 俺は本来ならこの春から大学生だった筈だが、両親が死んで色々ごたごたしている間に、進学する予定だった大学の入学手続きや、その他諸々のことが空中に放り出されたまま入学式が終わってしまっていたので、叔父や鍛治野さんとも相談して、この際潔く一年浪人することにしていた。
 現在手続き中で正式な俺の保護者を名乗ることができない叔父に代わり、鍛治野さんが大学に問い合わせて話を付け、「休学扱いにすることもできるぞ」と言ってくれてはいたのだが、父方の親戚との問題や遺産相続の問題、家に残された遺品の整理など、俺の前途に積みあがっているものは、一ヶ月や二ヶ月休学したところで片づく事だとは到底思えない。それならいっそ一年かけて山積みの問題を片づけつつ、じっくり自分と向き合いながら今後の身の振り方を考えた方がいいと思ったのだ。
 そんなワケで、今現在の俺には時間が有り余っている。叔父が不在ならそれは尚更で、部屋に一人残った俺は、いろんな意味でフリーダムに過ごしていた。
 何しろ叔父の部屋には時計やカレンダーは勿論、テレビもラジオも、とにかく世間に流れている時の経過を示すような物が一切合切なかったのだ。部屋の隅っこで埃を被っていたテレビは、スイッチをいれてみればザァザァと白黒の砂嵐を映し続けるだけだったし、ラジオもただ雑音がうるさいだけだった。
 もしかして電波が入っていないのかと思えばそうでもなく、隣の志摩さんの部屋や、その他の方々の部屋ではきちんとテレビもラジオも問題なく視聴可能なようなので、おそらく機械の方が壊れているのを、叔父がそのまま放置しているのだろう。俺が現代っ子の大抵がそうあるようなテレビっ子だったら、これは非常にゆゆしき事態である。
 しかし、そんなことは俺からしてみれば、かえって好都合だった。俺は元々テレビもラジオもそんなに見たり聞いたりする方じゃなかったし、手帳やカレンダーを見て綿密に何かの計画を立てたり、時計を見ながら何時までに何かを終わらせようと決意したりするような、そんなマメな性格でもなかったからだ。
 世間で真面目に働いたり、学校に行ったりしている方々には大変申し訳ないことだが、俺は叔父の部屋に時間の流れがないのをいいことに、毎晩何もかも忘れて心行くまでぐうぐう眠って、昼は部屋で本を読んだり、部屋の壁際に据え付けられた棚どころか床の上にまで積み上がっている大量のCDの山を物色して、叔父の一人暮らしの割には立派なオーディオセットで聞いてみたりした。
 夜はノートパソコンで近くのレンタルビデオ屋から借りてきたDVDを徹夜で見たり、部屋の小さな冷蔵庫にあったビールやチューハイの缶をこっそり拝借して、ぐでんぐでんに酔っぱらってみたりもした。
 食事にも全然苦労しなかった。志摩さんがちょくちょくコンビニの弁当を差し入れてくれたし、ハイツの共同の台所には、時々誰かが作ってくれたカレーが「作りすぎてしまったので食べてください」の張り紙付きで置いてあったりもした。ほかほかのご飯に山盛りよそったカレーを口にしたその時ばかりは、古きよき日本の助け合い精神に本気で感謝したものだ。
 両親の葬式の後連絡を取っておらず、とりあえず生存報告ぐらいはしといた方がいいだろうと電話をしてみた地元の友人は、そんな俺の近況を聞いて「カズちゃん、元気ねぇ」と、呆れたように笑った。
「けど、浪人だなんてカズちゃんも思い切ったわねぇ。まぁ、しょうがないところもあるのかしら。何しろ、一生のことを今決めろって言われてるようなものだしね、カズちゃんの場合」
「そういう感じになっちゃってるよな、不本意ながら。けどこの際だし、いろいろしっかり考えるよ。幸い、親父の印税とか保険金とかで、俺が大学出るぐらいまでの金ならなんとかなるっぽいから」
 今も昔と全く変わらない響きで、俺を「カズちゃん」と呼ぶ。
 悠子は、俺が七歳の時に今の家に引っ越してきてから、ずっと隣に住んでいる幼なじみだ。
 色が白くて真っ黒の髪が長い、全体的な印象が市松人形みたいな奴で、その外見にふさわしい、おっとりした喋り方をする。電話越しに聞いても変わらないその喋り方に、俺が思わず苦笑いしながら言うと、悠子は平安時代の貴族みたいにころころと声をあげて微笑んだ。
「そうなさいな。けど、今回みたいにいきなり行方不明になるのだけはやめて欲しいわぁ。柊ちゃんとか朔夜ちゃんなんか半狂乱だったんだから。「西崎が自殺なんかしたらどうしよう!!」って」
「なんだそれ。しないよ、自殺なんて」
「やだわ、何言ってるのかしらカズちゃんってば。そういう風に考えられたっておかしくなかった風情だったのは、何処の誰?」
 言われた事に瞬きをする。
 ぶっちゃけたことを言ってしまえば、両親が死んだと警察から電話を貰ってから以降、叔父の家に転がり込むまでの間の俺の記憶は全てが茫洋としていて、ほとんど何も覚えていないのだ。
 両親の葬式のことですらおぼろにしか覚えておらず、なるほど、葬式に来てくれた友人たちに、俺はそういう風に見えていたのか。
「けどまあ、今は大分まともになったみたいよ。声がすごーく元気そうだもの、先月よりはって話だけど」
 それは、思わずはっとしてしまう程度には衝撃の自覚だった。
 そんな俺の一瞬の沈黙に気付いたのかそうじゃないのか、電話の向こうでいつもより声をずっと優しくした悠子は、歌うようにそんなことを言った。
「十年間、ほとんど毎日顔をつき合わせてきた幼なじみより、一年に三回会うか会わないかの人の方を頼るなんてちょっぴり癪だけど、カズちゃん、よっぽどその叔父さんって人のとこが性に合ってるのね。カズちゃんのおばさまも、とっても良い人だったもの。あたし、大好きだったわ……だから、そのひとも良い叔父さんなのね、きっと」
「うん。良い意味で、放っておいてくれるひとだからな、叔父さんが。こっちに来て、思う存分ぼーっとして、大分すっきりしたよ。しかし、それじゃあ柊二たちには予想外に心配かけちゃったなぁ。連絡もしないで、悪いことをした」
「カズちゃんが謝る事じゃあないわよう。まぁ、なにはなくとも、気が済むまでゆっくりしてらっしゃいな。柊ちゃんたちにはあたしから連絡しといてあげるから、感謝してくれてもいいのよ?」