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アインシュタイン・ハイツ 102号室

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Scene.2-1 アインシュタイン・ハイツの幽霊 1




 母方の祖母……俺の母と叔父の母親にあたる人が亡くなったのは、叔父がまだ小学生の頃だった、と聞いた。
 何かの病気で、ずいぶん長く寝込んだ末の最期だったと言う。祖父に当たる人は、叔父が生まれる前に亡くなっていたので、当時大学生だった母は、小学生の弟を抱えて随分途方に暮れたらしい。母親の長患いで貯金も乏しく、頼れる身内もおらず、ましてや弟はまだ小学生で、こうなった以上は卒業間近だった大学を辞めて働くしかないと覚悟を決めた母は、しかし当時まだ交際中だった父に「中退だなんて勿体ない!」と猛反対された。
 その頃、父は母の通う大学の講師をしていたらしい。その傍ら、駆け出しの小説家としてもなんとか軌道に乗り始めていた頃で、父は「ここまで続けたのだから、大学はきちんと卒業しなさい。君と弟の面倒ぐらい、僕が見る」と母に結婚を申し込んで叔父を引き取り、叔父は中学を卒業するまでの三年間を父と母と三人で、まるで親子のように暮らしたのだそうだ。
 しかし、叔父が十五歳の時に俺が生まれたのをきっかけにして、叔父は遠方にある寮制の高校に奨学金で進学を決め、当時父と母と共に暮らしていた家を出た。
 父も母も随分と叔父を引き留めたらしいが、叔父の方が笑って取り合わなかったのだと言う。
「西崎さんや姉貴に遠慮してるわけじゃなく、自分で生きていく方法をちゃんと勉強したいんだ」と言って出ていった叔父に何も言えず、自分の方が置いて行かれたみたいで少し寂しかった、というのは、あまり昔のことを話さなかった母が、珍しく思い出を語ったときに話してくれたことだ。

■■■

 叔父の家で寝起きするようになって暫くは、俺は本気で呆けて過ごした。
 両親の葬式の直後にしたような感じではなく、本当の本気で呆けていた感じだった。脳が溶けたようにふわふわとしていて、何をしていても眠く、俺は始終寝てばかり居た。昼間、叔父に揺り起こされて「とりあえず何か食わないと体に悪いから」と言われ、用意された食事を取り、また倒れ込むように眠って、目が覚めたら次の日の昼間だった時は流石にびっくりしたが、寝覚めが妙にスッキリしていたので、たぶん俺には必要な睡眠だったのだろう。
 そして叔父は、俺がそんな風に過ごしている間ずっと部屋にいて、俺を思ったとおりの適当さで放って置いてくれた。
 下手な慰めも過度な心配もせず、必要最低限な食事とどうしても用事があるとき以外は構うこともしないで、本当に放って置いてくれた。
 叔父が今どんな仕事をしているのか俺はよく知らなかったが、俺のためにその仕事を休んでくれているのかもしれない、と思うとひどく申し訳なかった。けれど、ベッドの中でふと目を覚ましたとき、窓辺で本を読んでいる叔父の後ろ姿や、壁際のオーディオセットの前でヘッドホンをつけて音楽を聴いている叔父の姿が視界の隅に見えるだけでも、俺は安心して、本当に涙が出るほど安心してまた眠ることができたので、俺はこの際叔父の好意に徹底的に甘えることにした。
 この恩はいつか返そう。だいぶ先の話になるだろうけど、絶対。

「んじゃあ、やっぱり「養親」じゃなくて「後見人」って形で行くつもりで居るのね、お前としては」

 そして、俺がそんな風に叔父に甘えきった生活を送っていたある日、久しぶりにスッキリした気分で買い物に出た俺が部屋に戻ろうとすると、少しだけ開いた部屋のドアから叔父の物ではない声が漏れ聞こえてきたので、俺はドアノブにかけようとしていた手をぎくりと止めた。
「別に養子にしてもいいんだけど、アイツも十八だろ?再来年には成人式だっつーのに、今更名字が変わるってのもどうかと思うし、大体姉貴と西崎さん以外の親なんて、アイツだって嫌だろうしなぁってより以前に、俺に人の親は無理だよ。なれて保護者が精一杯だっつの」
「謙虚だねぇ、お前さんは。マジでそれでいいの?向うさんはバリバリ養子にするつもりだったみたいだけど。親になった方が、いざって時に使える権限は大きいからなぁ」
「親の権限に興味なんざねえよ……つか、向うの弁護士さんは何て言ってンの?」
「あー、なんかな。未成年者略取誘拐だのなんだのって、うるせえのなんのって。ぶっ殺すぞ!なんて怖いお兄さんの電話が事務所にきてなぁ。いやー、笑った笑った。あんまりにも面白かったんで、思わず録音しちまったよ。いざ裁判ってことになったら、証拠物件として提出してお前にも聞かせてやるから、楽しみにしとけ」
「なんだそりゃ。楽しみにってなんだよ。相変わらず悪趣味だなテメェは……まぁ、何にしろ悪いな、迷惑かけて」
「いや、全然。こんなん慣れっこだから気にすんな」
 声の主は、何日か前に「知り合いの弁護士だ」と叔父から紹介された人だった。
 叔父の古い友人らしいが、東映のヤクザ映画から抜けて出てきたみたいな強面に、明らかにその筋の人しか着なさそうな深紫色のスーツにグラサンまでかけられてしまえば、弁護士さんなんだ、と納得するより先に俺が怯えてしまったのも、無理はあるまい。
「んで、ざっと調べてみたんだけど、お前の義理の兄貴って結構有名な人だったのね。本屋に行ってみたら追悼コーナーがあったよ。雑誌でも追悼企画されるぐらいの人気はあったみたいだしさ。もっと早く言ってくれれば、サインとか貰いに行ったのに」
「ばか言え。実の兄弟ならともかく、西崎さんは姉貴の旦那だぞ。ヤクザ崩れのダチが欲しがってるんでサインくださいなんて、そんな迷惑かけられるか」
「ヤクザ崩れって、ひっでぇこと言うなぁ。いいじゃないの、サインぐらい。遺産乗っ取り企てるよりはよっぽど可愛いもんだろうが。ったく、お前変なとこで律儀だよな、ホント……ってわけで本題に入るけど」
 俺が戸惑っている間に、叔父と弁護士さんの話はどんどん先に進んでしまい、俺は完全に部屋に入るタイミングを逸してしまった。
 それで仕方なく立ち聞きの風情に甘んじながら、部屋からの声に耳を澄ませていると、話の内容はどうやら俺についてのことだったようなので、俺は軽く瞬きをした。
「向うの伯母さんって人が、お前の義理の兄貴から借金重ねてたのは事実みたいだな。西崎氏の出版エージェントが借金の証書綺麗に残してくれてたのを俺も確認したから、これは確実。つかその伯母さん、経営してる店も火の車で、とてもじゃないけど保護者として子供育てられる環境じゃねえよ。他の親戚もどっこいどっこいで、これなら親としても保護者としてもお前の方がまだマシだって、俺でも思う……そう考えるとアレだな。あの子が通帳と実印持って出てきたのはデカイね。気がついたら銀行口座の中身が空になってましたなんて、あの親戚ならありうるぜ」
 俺がこの部屋に転がり込んで三日目に、俺は叔父と今後のことについて、小さな話し合いをした。
 具体的には遺産相続のことと、俺の今後のことについてだ。半分自暴自棄になっていた俺にはどうでも良いことのように思えたが、叔父はそこだけは「今の内にはっきりさせておけ」と言って譲らなかった。