小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

秋子さんの秋刀魚

INDEX|2ページ/3ページ|

次のページ前のページ
 

「あ、そうだ」
 薬缶が音を立てる直前で火を止めて、秋子さんが、何かを思いついたように声をあげた。
「今日お母さんが遅いんだったら、私が夕食作ってあげようか」
「えっ……でも、悪いよ。ちょっと寄っただけなんでしょ」
「良いのよ」
 笑顔で言いきられてしまい、俺はそれ以上反対することはできなかった。それに、久しぶりに秋子さんの手料理を食べることができるのは、やはり嬉しかった。
「はい、お茶どうぞ」
「あ、ありがとう……ございます」
 湯呑を受け取って頭を下げる。秋子さんは楽しそうに笑った。
「どうして急にかしこまるのよ」
「いや、なんとなく……」
「変なコウ君」
 俺は顔が火照るのを感じながら、とりあえず身を起こした。居間に一つだけ置いてある机に向かい、湯呑に口をつける。秋子さんは再び台所のほうへ行き、冷蔵庫を開けた。中に首を突っ込んでガサゴソと音を立てている。
「うーん、そうだねえ。あんまり材料が無いなあ」
「今日はコンビニ弁当で済ませようと思ってた」
「それは駄目だよ、栄養が偏っちゃうから」
「分かってるけどさ」
 秋子さんは進学した大学で栄養学を学んでいた。栄養士の資格も持っている。しかし、栄養士として働くことなく、今の旦那さんと結婚したのである。
 秋子さんの旦那さんは幸せ者だ。栄養のバランスに見た目、それに味も完璧な、秋子さんの料理を毎日食べることができるのだから。
「コウ君、何か食べたいもの、ある?」
 冷蔵庫を閉めて、秋子さんが問う。
「食べたいものかあ」
 改めて問われると、何を食べたいのか分からなくなるものだ。俺はお茶を啜り、低い天井の木目模様を見つめた。一年前まで秋子さんが作ってくれていた料理の数々を思い出す。鶏肉とごぼうの炒め物、チンジャオロース、カレー、秋子さんオリジナルドレッシングのかかったサラダ、グラタン、……。
 秋子さんが自分の湯呑を持って、俺の隣に座る。俺の答えを待っている気配がする。その時、一つの料理が頭の中に浮かび、俺は小さく叫んだ。
「あ」
「なになに?」
 秋子さんが身を乗り出す。
「秋刀魚……秋刀魚が食べたい」
 そう、ちょうど今時期、秋の深まるこの季節になると、秋子さんはいつも秋刀魚を焼いてくれた。学校から帰って来て最初に吸った空気の香ばしさを、今でも鮮明に思い返すことができる。
 しかし俺の言葉に、秋子さんは首を傾げた。
「秋刀魚かあ。もっと手の込んだものでも全然構わないんだけど……本当に良いの?」
 俺の顔を覗き込む秋子さんに、俺は力強く肯いて見せた。
「秋子さんの秋刀魚は最高だから」
「……そっか。了解」
 秋子さんは一つ肯くと、緑茶をぐいっと一気に飲み干した。それを置くと、畳に丸めてあったジャケットを羽織り、鞄を手にした。
「それじゃあ買い物、行ってくるね。美味しそうな秋刀魚をゲットしてくるから」
「あ、俺も一緒に行くよ」
「良いから良いから。昔からコウ君は買い物についてなんて来なかったでしょ。今更ついて来られると変な感じがするよ」
「そ、そう……分かった。行ってらっしゃい」
「行ってきます」
 秋子さんは朗らかに笑い、買い物へ出かけて行った。
作品名:秋子さんの秋刀魚 作家名:tei