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203号室 尾路山誠二『アインシュタイン・ハイツ』

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約束:(2)



 少女と出会ったその日は、雨が降っていた。六月の梅雨の真っ只中だった。
 土砂降りとまではいかなかったが、傘を差さなければ五分もしないうちにずぶ濡れになってしまうような雨だった。店先の路地裏は暗く、その道を歩いていると雨に打たれ続ければ暗闇に溶けていってしまうような不安を覚えたが、【ルーフ】に入れば暖かな空間が広がっていたいつも安心させられる。それは室温という意味でも、人情という意味でも、だ。
 私はその日、一人の常連のお客の相手をしていた。お客の男は、一年以上も前から週に一回のペースで通いつめており、来店するたびに私を何かの仕事にスカウトしようとした。その時は何にスカウトをしようとしていたのかは知らなかったが、後に就職に困っているときに自分が経営する便利屋という会社に私を雇い入れてくれることになる。男の名前は丸腹という。スカウトの話題が出るたびにすぐに話を逸らしてお酒を飲ませた。丸腹は節度ある男で決してしつこく誘うことはせず、そのうちにスカウトの話題は一種のお約束みたいになりつつあった。
「ねえ、ネネちゃんって幽霊信じる?」
 唐突に丸腹は、グラスに入ったワインを揺らしながら言った。ネネというのは私の源氏名だ。尾路山にネネと呼ぶように言うのは、半分ほど冗談ではあったが、もう半分は真実だった。
「あら、いきなりどうしたの?」
 丸腹が言うには先ほどこの店を訪れる前に子供の幽霊を見たという。この店を見つめていて、男が訝しく思って様子を窺っていると、しばらくして歩き去ったという。その後を追って一本先の路地を曲がったところ、その子供はいなくなっていたそうだ。
「もしよかったらお祓いしようか? そっち系の勉強をこの前終えたところなんだ」
「すごいわね。職業は祈祷師かなにか?」
 まさかと首を振って大きく酒を煽っていた。
 数時間後、泥酔一歩前の状態にまで酔った丸腹は、眠くなったから帰ると言い出し、とても金銭を扱える状態ではなかったのでツケとくことにして帰路へと送り出した。
「気をつけてね。またいらっしゃい」
「おーう、俺はビッグになるぞー、ヒック……うあー」
 店前まで呼び出しておいたタクシーに乗って丸腹は去っていった。降りるときにお金を払えるのかどうか心配だったが、私には関係ないかと思いすぐに店内に戻ることにした。雨脚強くなっており来客数は少なかったが、それでも足しげく通ってきてくれるお客がいてくれるので、私は姉さんたちとお母さんのフォローに回ろうと考えていた。
 その時、子供の叫び声が聞こえた気がした。
 辺りを見回すが暗闇以外に何があるのかわからない。しかし、ふと、先ほどの丸腹の子供の幽霊が店を見上げていたという話を思い出した。
 まさかとは思いつつも、もし本当に子供が店を見上げていたとしたらその子は姉さんたちの兄弟かなにかじゃないだろうか、と思いついて非常に気になった。姉さんたちに子供はいないはず。お母さんに関しては、義理とはいえ私が彼女の娘であるため子供がいないことを知っている。
 もし本当に幽霊がいたとしてもちょっとした話題作りになるだろうと思い、私は路地の向こうへと歩いた。幽霊に怯える女に男は弱い。
 聞いた話に出てきた路地を覗いてみた。
 やはりそこには暗闇が横たわっているだけで、生き物の気配はない。何かの工事があるのか、道の先には通行止めのポールが立っていた。
 やはり何もない。こんな子供じみたことをするなんて、と苦笑して引き換えそうだったときだった。
「いでよ、タイゴン! いでよ、ライガー! いでよレオポン!」
 アニメのキャラクターか何かだろうか。可愛らしい名称を唱える少女の声が聞こえてきた。
 どうやら通行止めのポールの向こう側からその声は聞こえてきてるらしい。急いで見に行ってみると、子供の生首が地面から生えていた。
「いでよ、えーっと……タイタイゴン! いでよ、いでよ……うーんあと何あったっけ? タイポン? えーっと……もう何でもいいから来てよ! 助けてよ! 誰か、誰かぁ……お母さぁん……」
 語尾が鳴き声で震えていた。
 そっと傘を少女の生首の上にかざすと、不意に雨が止んだことに驚いたのか、首が空を見上げた。空の変わりにビニール傘の一辺が見えたことで、ようやく私の存在に気がついた。
 少女の首はぐるりと回転して私と対峙する。
「あっ、お母さん」
 少女がぽつりと呟いた。
「私はネネよ。お母さんじゃないわ。ところで生首さん。こんなところで何してるの?」
 しゃがみ込んで顔を近づけてみる。顔色が悪い。丸腹の言うとおりなら一時間以上も雨に打たれていたことになる。濡れるのを覚悟して傘を傍らに置き、生首が埋まる穴にそっと手を入れて胴体を引き抜いた。少女が中で回れるぐらいだから、簡単に引っ張り出すことができた。どうやら工事で開いていた穴に少女は落ちてしまったらしい。
「お家に帰ろうとしたらね、つるってなって、ゴチンとなって、ひゃらら〜ってなった」
 ひゃらら〜の部分がよくわからなかったが、おそらく落っこちたと言いたいのではないだろうか。
「大丈夫? 怪我はない?」
「うん大丈夫。でもお腹すいた。早く帰ろうお母さん」
 また少女は私をお母さんと呼んだ。
「あのね、私はあなたのお母さんじゃないのよ。私はネネ……いえ、このみっていうの」
 そう諭すの聞いた少女は、本来なら子供が暗闇の中、数時間に及んで雨に打たれたら感じた孤独や寒さに対しての苦痛を表すのだろうが、それらを感じさせないきょとんとした表情でパチクリと瞬きをした。
「なに言ってるのお母さん。お母さんがお母さんじゃないはずないじゃない」
 何を言っているのかわからなくて、私もきょとんとしてしまった。


「お母さんがいっぱい!」
 とりあえず仕事も残っているし、少女を一人で夜道を帰すわけにはいかないのでお店の中に入れることにした。裏口というものがないのでお店の入り口から入らなければならない。そうしてお店に入り、中で働く姉さんたちやお母さんを見た少女がそう叫んで目を丸くしていた。
「ネネちゃん、だぁれ? その子」
「大変、濡れてるじゃない!」
「ちょ、ちょっとネネちゃん! も、ももしかして君の子供!?」
「嘘だろ!? ネネちゃん独身って言ってたじゃん!!」
 店内がいつもとは別の騒々しさに包まれた。私の熱狂的なファンが驚愕を表情に貼り付けて迫ってくる。それらを宥め、お客たちの誤解に適当に話を合わせながら裏の休憩室へと向かった。裏に引っ込む前に、私のお母さんがちらりと視線を寄越してきた。
「すぐに戻るから」
 その視線に返事をするようにそう言った。あと数十分もすれば閉店だ。休憩室に少女を待たせようと考えていたのだけれど、
「いいよ、もう上がりな」
 お母さんは見知らぬ少女を連れてきた事情を訊くこともせず、微笑んだ。私が裏に引っ込むことにお客からはブーイングが上がったけれど、姉さんたちが上手く宥めていた。