小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

りんごの情事

INDEX|5ページ/47ページ|

次のページ前のページ
 



「ムサシー、ムサシー」

ムサシを探す龍。
 どうやら彼は途中でムサシを見失ってしまい、途方に暮れていた。
 しかも、気がつけば、すでに空は茜色に染まっており、カラスが鳴いているではないか。
「はぁ。ムサシ、どこ行っちゃったんだよ」
 トボトボと陸橋を歩く龍。その呟きは家路を辿る自動車達が行き交う騒音にかき消される。
 右手の空には沈みゆく太陽が、空を茜色に染め上げている。反対側の空は、すでに薄墨んでいる。
 仁田村達に連絡しようにも、携帯電話は置いて来てしまったから、どうしようもない。龍はため息をつきながら、何気なく河川敷に目をやった。
 ムサシがそこにいれば良いのに。
 そんな淡い期待を抱いて、一直線に続く河川敷を眺めた。
 朱色の市松模様のスカーフを巻いた犬はいるのだろうか。
 遠くに、遠くに視線を遣るが、見つからない。
 龍の気持ちはいよいよ沈んでいくばかりだった。
 探求の光をその瞳に宿すのをやめた時、彼の視界に、あの朱色の市松模様が映り込んできた。なんと、比較的陸橋のすぐ近くの河川敷にいたのだ。
「ムサシ?」
 龍はすぐに走り出し、朱色の市松模様を目指した。
 階段も使わずに、草ぼうぼうの土手を駆け下りた。

 そして辿り着いた朱色の市松模様。
「ムサシ!」
 龍は力の限り叫んだ。
 が、ちょうどそこに居合わせていた者達を見て、はっと驚いた。
「お、龍、なんかムサシいるよ」
 ムサシの背中を優しくなでながら、笑顔で龍に話しかけて来る青年がいた。
 スポーツバックにジャージを着て、いかにも体育会系な青年。
 彼の名は、榎本明吉。龍よりも2個上で、野球の名門に通う高校3年生である。
 そして、あの政宗の弟でもある。
 腹違いの弟なので、こちらは日本人らしい顔立ちをしている。ただ、そのさわやかな笑顔からは、どことなく政宗の雰囲気に近いものがある。
 そして、その隣には女がいた。にこにこと微笑みを湛えている。大人しそうで清楚な感じだが、龍はこの女のことを知らない。
「明吉さん、・・・その人、彼女っすか?」
 龍の問いに、秋吉は不敵な笑み浮かべた。
「ん、そう見える?・・・じゃあ、彼女ってことで。いい?栗山さん」
「え、そ、そんな、突然すぎますよ」
 女は頬を染めながら、否定の意をこめて手を振った。
「はは、冗談だよ。俺はそんな軽い男じゃないから。出会ってすぐの人に告るのは心情に反するし。あ、そうだ、こいつ、栗山さんと同じりんご荘に住んでいる泉谷龍ってやつだよ」
 「栗山」と呼ばれる女は、明吉の傍からひょっこり顔を出し、龍の姿を見て、にっこりほほ笑んだ。察しが付いているとは思うが、彼女は栗山來未である。
「栗山來未です。204号室にこの前越してきました。これからよろしくお願いします」
 龍は、ぼんやりとして、その場に立ち尽くしていた。

−−なんとも優しい響き。

 少なくとも龍には、來未の声が、そのように聞こえただけなのだが、幸せな心地になってくると同時になんだか緊張してきた。
「龍?どした?」
 明吉のその問いに。龍ははっとした。
「あ、あ、えっと、泉谷龍っす。よろしくお願いします」
 と言って頭を下げる龍。腰の角度はぴったり90度である。
 非常に緊張している。今まで、色々緊張してきたことはあったが、それとは質が違う緊張である。痛いくらいに胸がドキドキする。
「あ、あの、顔をあげても大丈夫ですよ」
 龍は來未の言葉にドキドキしながら、ゆっくりと顔を上げると。目があった。静かに微笑む來未を目の前に、龍は顔が紅潮して、熱くなるのを感じた。
どうにも心苦しくなり、龍は再び顔を下に向け、足元の草に視線を落とした。
「栗山さん、こいつ、栗山さんよりも1個下だから、敬語なんて使わなくたっていいんだよ」
「そうなんですか?」
「この前まで中坊だったもんな、って、いい加減顔上げろよ、龍」
 明吉に言われ、龍は機敏に顔を上げた。視線は明吉と來未の間にいるムサシに注がれる。
 ムサシはほんの少しすまなさそうに「クウン」と鳴いたが、龍はじっとムサシを見つめていた。
「と、ところで、明吉さん、明吉さんとムサシはいつあったんすか」
 龍はムサシを見つめながら、明吉に尋ねた。
「おまえ、どこ見て話してんだよ。まぁいいけど。ムサシはちょっと前にあったんだけど、なんか、すごい怯えてたな。凄い勢いで走って来て、で、俺見たら方向変えてどっかに走っていってさ。雰囲気変だったから、とりあえず後を追ったら、栗山さんのところで大人しくしていた、ってこった」
「はぁ、そうなんすか。あぁ、でも、ムサシが見つかって良かったっす」
「逃げ出してたのか。」
 明吉はふうん、と言いながら、ムサシの頭をわしゃわしゃとなでる。
 ムサシはすまなさそうな顔でいる。なんとなく、自分が迷惑をかけたと、感じているらしい。
「何があったんだかわからないけど、とりあえず日も暮れて来たし、りんご荘へ戻りますか。歩きながら話を聞こうか。」
「あ、はい。・・・ところで、明吉さん、携帯持ってますか?」
「持ってないの?」
「持たないで出て来ちゃって・・・。」
「ふぅん。なんか大変だったな。ニタにかけんの?」
「はい。」
「ん、分かった。はい、じゃ、かけていいよ」
「ありがとうございます」
 龍は明吉から携帯電話を受け取り、仁田村にムサシを確保したことを報告した。龍が中々帰ってこないことに、仁田村は心配していて、ちょうど捜しに行こうとしていたところだったらしい。
 それから、仁田村は、ムサシを保護していてくれたお礼に明吉を食事に誘った。勿論龍のことも誘ったし、天花や一真もいるらしい。政宗は分からないが。
 実は明吉は、政宗の弟であるが、りんご荘の住人ではない。学校の寮で暮らしている。今日はたまたま部活が早く終わって、寮に戻ろうとしていたところで、ムサシに出会ったのだ。りんご荘の住人とは、政宗経由で、親密な付き合いをしていて、よく皆で明吉の野球の試合を見に行ったりしていた。  
 來未と明吉とムサシと龍の影が夕陽を背に伸びている。
 龍は、一連の話をしながら、明吉を呆れさせ、また、來未を笑わせた。話の内容が内容なだけに、來未の笑いは控えめな物だったが、龍は來未の笑顔が見れて、少し心がぽかぽかしてくるような心地がした。

作品名:りんごの情事 作家名:藍澤 昴