小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」
神坂 理樹人
神坂 理樹人
novelistID. 34601
新規ユーザー登録
E-MAIL
PASSWORD
次回から自動でログイン

 

作品詳細に戻る

 

主人公症候群~ヒロイックシンドローム~

INDEX|2ページ/22ページ|

次のページ前のページ
 

case1 観型正義の場合



 いつもと変わらない授業の風景だった。
 熱弁をふるいながら、さっぱり理解できない数式を魔法のように変化させる教師を少年は見ている。
 退屈だが、平和だ。教室中の誰もが整然と並べられた席に着き、思い思いに思考を巡らせながらも、乱れることなく授業を聞いていた。変わり映えのしない日々の一コマだった。
 しかしながら、その平穏は一瞬のうちに破られる。
 乱暴に教室のドアが開いたかと思うと、細身に眼鏡をかけた男が怒鳴りつけるように叫んだ。
「動くんじゃない!」
 手には買ったばかりのようなきらりと光る包丁。体が震えているように見えるが、まともな精神状態ではないことは火を見るより明らかだった。
「なんなんだ君は! どこから入ってきた?」
 驚いた様子で教師が声をかける。
「うるさい! それ以上近づくな! こ、殺すぞ!」
 男は震える両手で包丁を構え、教師に向かって突きつける。それに驚いたのか、ばさりと教科書が床へと落ちる音がした。
「ま、まぁ落ち着こうじゃないか。急に殺すだなんて物騒なことは言わないでくれ」
「うるさい、うるさい! そうやって表面上はいい大人の顔をしやがって! 教師なんて体裁を気にしていい顔をしてるだけじゃないか。僕があんなに苦しんでいた時は何もしてくれなかったくせに!」
「き、君は何を言っているんだ? うちの卒業生なのか?」
 男は教師の言うことに答えもせず、呆然と見つめている生徒の方に向き直る。
「お前らだってそうだ。本当は知ってるのに、見ているのに、まるで自分とは関係ないような顔をして。目の前で誰かが傷ついていても自分じゃなければそれでいいのか!?」
 男の声が怒りで震えているのがわかる。臆病な気迫は一層鬼気迫った様で、いつ誰かに刃が刺さってもおかしくない状況だ。
「お、落ち着くんだ。それで刺してしまったら犯罪だぞ。君の人生も取り返しのつかないことになる」
 震える声でもなんとか取りまとめようとする教師の姿勢は立派だが、男はますます激昂を強めた。
「何が犯罪だ! じゃあ、僕が人を刺したら犯罪で、僕が自分に傷をつけるまでいじめ続けるのは犯罪じゃないって言うのか! ふざけるな! 僕の人生はもう取り返しなんてつかない。めちゃくちゃにしたのはお前ら教師とクラスの奴らじゃないか!」
 男は狂ったように喚き散らしながら、包丁を辺り構わず振り回した。目の前の机に切り傷が入り、包丁が窓枠に当たって嫌な金属音が教室に響いた。
「これは復讐だ。僕の人生をめちゃくちゃにした奴らへの復讐なんだ。殺してやる、殺してやるぞ」
 男は息を荒げながら、ゆっくりと教師のほうへとにじり寄る。同じ速度で教師も距離をとっていくが、いつまでも逃げ切れるわけはない。
 誰も声を上げなかった。上がられるはずもなかった。その瞬間自分が標的になるかもしれないのだから。教室中がそう考えていた。たった一人を除いては。
「まぁ、そんなに焦るなよ」
 一人の生徒が立ち上がった。呆然とする教室内を一人悠然と歩き、まるで恐れるものはないと言わんばかりに包丁を構えた男の前に立つ。
「なんだかよくわかんないけど、人が殺したいんだろ? 俺を刺してみろよ」
 両手を上げて、少年は誇らしそうに男を見つめた。殺意と迷いが混じり合った濁った眼だと思った。
「そうか。そうやってお前を僕を馬鹿にするのか。まるで僕が全部間違っているみたいな顔をして僕を見下すんだ!」
 両手で握りしめた刃が、少年の眼前に迫る。体ごと包丁を叩きつけるような捨て身の体当たりだ。およそ武とは呼べないそれを、少年は恐れることなく見つめている。
「ヒーローの条件は、誰よりも先に傷つくことだ」
 差し出した右腕に包丁が刺さった。制服越しに赤い液体が滲み、徐々に広がっていく。
「利き腕はくれてやる。これはサービスだ。これでもまだ人が殺したいっていうなら、覚悟を決めるんだな」
 恐怖に固まった男の顔めがけて、少年の正拳が伸びる。常人には見切れない速度で目標に達したそれに男の顔が不自然に変形し、みしりと骨の折れる音が聞こえた。
 男が糸の切れた人形のように後ろに倒れていく。持っていた包丁が抜けて、床には制服が支えきれなくなった血がしたたり落ちた。
 瞬間、教室中が歓喜の声に包まれる。
「やった! ありがとうジャス」
「よくやった、ジャスティス。お前は命の恩人だ」
「すごいな、さすが空手の達人だな」
「お前はこのクラスの英雄だよ」
 次々にクラスメイトが駆け寄ってくる。そしてその中には可憐な少女も。
「刺されたところは大丈夫なの?」
 涙を浮かべた目で心配そうに見つめながら、彼女は真っ白なハンカチを少年の腕にそっと当てて――
「おい、観型。聞いてるのか?」
 頭上から振り下ろされる怒鳴り声にも少年は気づいていない。
「観型正義。……ジャスティス!」
 ジャスティスと呼ばれた少年は、はっと顔を上げた。
 瞬間、丸めた教科書が振り下ろされる。
「はいっ! ってなんですか、先生?」
 シャープペンシルも持っていない右手でそれを振り払うと、正義は憮然として訪ねた。
「おまえなぁ、一応授業中なんだからせめて勉強してる振りくらい出来んか? 黒板の問題、解けるわけはないよなぁ」
 正義は視線を前の黒板に写す。練習問題として挙げられている数式は何が何だかさっぱりで到底わかりそうもない。チラリと隣の席を見るが、クラスメイトは何がおかしかったのか、笑っているばかりで協力は得られそうもなかった。
 正義は口から漏らさぬように心の奥で溜息を一つ。面倒そうに席から立ち上がる。
 救いのようなチャイムが鳴った。
 にやりと笑みを浮かべて、数学教師を見る。
「あれ、宿題にするから明日の授業までに解いておけよ」
「はーい」
「わかってるのか、わかってないのか。それとお前は『まさよし』、なのか『ジャスティス』なのかはっきりしてくれよ」
 丸めたままの教科書で首筋を叩きながら教師はそう漏らす。
「悩まなくても『まさよし』です」
 呆れたように答えた。
「なら呼ばれたら返事くらいしてくれ。あんまりボケてると来年は赤点ギリギリじゃ済まなくなるぞ」
 痛いところを突かれて、少し顔がゆがんだ。実際のところ、正義の学年末考査の成績は良くないといった程度ではない。春休みの補習をなんとか回避したというほどきわどいものだった。
「わかってますよ」
 これ以上の言い争いは分が悪い。正義は頭を下げて教師を見送ると、真っ白なノートに宿題となった問題を写し始めた。
「ジャスは相変わらずだな。何考えてたんだ?」
「なんでもいいだろ。別に勉強を必要とするような人生歩むつもりはないからな」
 正義は軽くあしらうように右手を振る。学校生活なんて退屈な日々に、いったいどんな刺激を求めればいいだろうか? この変わらないルーチンを根底から覆すような大事件でもない限り、正義の願いは叶いそうにもない。
 教室から見上げる空は何も起こりそうにない平凡な青空だ。