小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

鳴神の娘 第四章「星、堕(お)つる」

INDEX|2ページ/6ページ|

次のページ前のページ
 

 しかし、あくまでも「大和の皇子」であることに拘わる伊佐芹彦には、これまでそれを認めることはできなかった。
 歪んでねじ曲がった伊佐芹彦の心は、この吉備の地へ来て、初めて負の感情をぶつけることの出来る相手を見いだしたのだ。
 「大和の敵」である、吉備津彦。
 それは、彼の暗い感情を解放して、思うさまに倒すことができる相手だった。この時、伊佐芹彦の一番底にあったもの--それは、恐らく「悦び」だったのだろう。
 --充分に自分を信頼させ、油断させた上で、伊佐芹彦は吉備津彦を裏切った。伊佐芹彦は吉備津彦を奸計にはめ、追いつめて、自軍の兵を挙げ、国を奪った。
 窮地に立たされた吉備津彦は、僅かな手勢を連れて「鬼ノ城(きのじょう)」と呼ばれる居城に立てこもった。伊佐芹彦は城を取り囲んで陣を張り、激しく矢を放った。
 軍と軍との打ち合いでは、互いに放った矢が途中で食い合って落ち、勝負が着かない。
 伊佐芹彦は一度に二本の矢をつがえて射たところ、そのうちの一本が吉備津彦の左眼に命中した。
 それを契機に、伊佐芹彦は城へ攻め入った。吉備津彦は城から脱出し、川の流れに沿って逃げようとした。
 伊佐芹彦は一人で吉備津彦の後を追った。彼の流した血の後を辿り、山中で吉備津彦を発見した。
 両者は共に携えた神剣を取り出し、激しい打ち合いとなった。
『何故裏切った! 答えろ、伊佐芹彦っ』
『……別に裏切ってなどいない。私の目的は、始めから吉備を奪う事だった。--お前が愚かだったのだよ、吉備津彦』
『……俺はお前を友だと思っていたのに……』
『……ああ。私もお前を友だと思っている。だから、堕ちてきてほしいのだよ。私と同じところまで』
 伊佐芹彦は、吉備津彦の持った神剣を弾き飛ばした。--そのまま、斜めに斬りつける。
『……っ……』
 致命傷を負い、吉備津彦は崩れ落ちた。
 落命の寸前、彼は凄まじい眼で伊佐芹彦を睨み据える。
『……これで終わりではない……まだ、これで終わりでは、な……。俺は必ず……吉備の危機に蘇り……再びお前を討つだろう。その時まで、俺を忘れるな……決して‥‥』
 --その、悽愴な瞳。凄絶な笑み。
 ……この時、伊佐芹彦は激しい恐怖を感じた。勝利したのは自分だというのに、身体の奥から震えが止まらない。まるで、吉備津彦の残した呪いが魂に刻み込まれてしまったかのように……。
『--命? どうなさいました』
 立ち尽くす伊佐芹彦に向かい、追いついた部下が心配そうに尋ねた。
『……いや。なんでもない』
 伊佐芹彦は神剣を鞘に納め、平静を装って言った。
『--征くぞ。既に吉備は我が手に堕ちた。--次は出雲だ』


 大和宮殿の、奥深く。
 母に呼び出され、人払いした一室で話を聞いていた星川は、その内容に愕然となった。
「……しかし、母上、それはあまりにも……」
「では、どうすると言うのです。磐城はもはや、完全に吉備を潰す気でいるのですよ」
 稚媛は落ち着いた口調で言った。彼女は、既に覚悟を決めているのだった。
「あの子は恐ろしい。大王でさえも、今では磐城の言うがままではないか。--このまま磐城が宮殿を動かしていては、吉備だけでなく、大和までが取りかえしのつかないことになります」
「……そうかもしれません。ですが、だからといって……」
「磐城が大王になれば、間違いなく豊葦原は滅びへと向かうでしょう。あれは、謀略と戦火を好む、呪われた皇子なのです。そうなる前に、星川、そなたがこの国を救うのです」
「救う……」
 星川はうつむいて呟いた。
 彼が今、最も救いたいもの。それは大和でも豊葦原でもなく--ただ一人の少女だった。
(斐比伎姫は、あんなお可哀想な状態で……)
 星川は、同じ宮内にありながら、遠く隔てられた少女のことを思う。
 斐比伎が大和入りした直後に、一連の吉備の反乱が勃発した。そのため彼女は正式な妃として披露されることもないまま、半ば人質のような状態で、厳重な監視下におかれている。
(斐比伎姫があんなことになっているのは、兄上がきちんと彼女をお守りしてさしあげないからだ)
 星川は日々、兄への怒りを募らせていた。
 仮にも己の妃として呼んだ姫だというのに、兄は斐比伎を庇うこともなく、放置している。
(--僕だったら。僕だったら、絶対にそんなことしない……)
 だが、今の星川に何の力があるだろう。
 今のままでは、斐比伎を助け出すどころか、二度とその姿を眼にすることさえできないのだ。今のままでは……。
「--星川。大王位を奪るのです」
 稚媛は息子の耳に囁いた。
「お前が大王になるのです。……この国の、全ての人々のために」
「……母上……」
 星川は、助けを求めるように母を見上げた。
「本当に、救えるのでしょうか。この僕に。救うことが、できるのでしょうか……」
「ええ、勿論。お前だけに、できるのです」
 稚媛は優しく星川の額を撫でた。
「……どうすれば」
「--まず、大蔵の官をとりなさい」
 稚媛は決然とした面持ちで言う。
 全ての計画は、既に彼女の中にあった。


 数日の馬旅を終え、熱田の社に着いた磐城を、巫女の司は厳かに迎えた。
「ようこそおいでくださいました、皇子さま。……こちらでございます」
 司は磐城を社の奥へと案内した。磐城は供人をその場へ残し、普段は禁則地となっている神府へと向かう。
 扉の鍵を開けると、司は一人で薄暗い神府の中へ入っていった。……しばらくの後、彼女は一本の神剣を携えて、扉で待つ磐城のもとへと戻る。
「……神剣・天叢雲剣でございます」
 司はうやうやしく磐城に神剣を捧げる。
 磐城は、漆塗りの黒鞘に納められた天叢雲剣を受け取った。
 軽く力を込め、平型の鞘を抜き払う。その中からは、蛇行型をした銀色の刀身が現れた。
「……確かに」
 磐城は、刀身を確認しながら呟く。これが本物の天叢雲剣であると判別できるのは、恐らく今の世では磐城ただ一人であろう。

 天孫の降臨と共に天降って以来、長い間三種の神器の一つとして神府に眠っていた天叢雲剣の封印を最初に解いたのは、「伊佐芹彦」--前世の磐城だった。
 大王の御子であり、天孫の末裔であった伊佐芹彦は、この天津神剣を自らのものとし、その威容をもって吉備を平定した。
 大和へ凱旋した伊佐芹彦は、その功をもって大王より印綬を授けられ、栄誉ある四道将軍の一人に任じられた。
 西海の制覇を命じられた伊佐芹彦は、山陽道を辿りつつ、出雲へ入った。
 その頃出雲国内では、大和に対する抗戦派の王・出雲振根(いずもふるね)と、恭順派の王・飯入根(いいりね)が対立していた。
 出雲へ入った伊佐芹彦はまたしても謀略をもってそれらを相争わせ、両者疲弊したところを攻撃し、殲滅した。
 --各地で勝利を治めた伊佐芹彦は、大和宮内でも将軍として確固とした地位を築き上げた。かつて何も持たない哀れな皇子だった彼の手には、多くのものが掴めるようになっていた。
 --だが。
 伊佐芹彦の耳からは、けして吉備津彦の最期の言葉が消えることはなかった。
『これで終わりではない』
 --それは、どういう意味なのか。