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鳴神の娘 第四章「星、堕(お)つる」

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吉備の侵略を開始した大和は、順調に各地を制圧していった。
 上道、下道は既に大王軍の手に落ち、三野と波久岐も敗色が濃い。建加夜彦王に率いられた加夜だけは、最後まで根強く抵抗していたが、大和はまもなく加夜にも総攻撃を仕掛けようと、入念に準備を進めていた。
 これら一連の戦略の総指揮をとっていたのは、無論、日嗣である磐城の皇子である。
 --吉備攻略の最後の要ともなるべき、加夜総攻撃を前にしたある日、磐城は僅かな供人を連れ、尾張へと向かっていた。
「……しかし、このような大事な時期に、皇子さま自ら行かれずとも、使いをおやりにならばよろしいのでは……?」
 供人の一人、大伴室屋(おおとものむろや)が馬上で磐城に告げた。
 彼は大王の寵臣であり、磐城を日嗣として擁立した、主要な後ろ楯の一人であった。
「私自身で行かねばならぬのだよ。あれを受け取るためには」
 自ら馬を駆りつつ、磐城は言った。
 彼が向かっているのは、尾張国年魚市郡にある、熱田の社だった。そこの斎宮に会い、直接手に入れなければらない物がある。

 ……磐城が宮殿を旅立とうとした朝、珍しく母・稚媛が彼のもとを訪ねてきた。
 旅の支度に追われていた磐城は、慌ただしく母と対面した。
「……どうなさいました母上、突然に」
 実の母子であるというのに、ここしばらくは言葉を交わしたこともない。久々に見る母の顔を眺めながら、磐城は穏やかに言った。
「--磐城。そなた、どういうつもりですか」
 冷静な磐城に対して、稚媛の様子は尋常ではなかった。
「どういうつもりとは?」
「とぼけるでない! 今度の事、全てそなたの策略であろう。この母にはわかっております」
 稚媛は剣呑な瞳で実の息子を睨み据えた。
「--そなた、吉備を潰すつもりか?」
「……母上」
 磐城は困ったように微笑した。
「私は日嗣として、大王の意にそうよう、精一杯努めているだけですよ」
「吉備はそなたの故郷でもあるのですよ!」
「--母上」
 磐城は笑いを納めて母を見つめた。
「私は、大和の皇子です。……吉備が故郷などと、一度たりとて思った事はありませんよ」
「……磐城……」
 我が子の眼差しに、母は戦慄した。稚媛を見据えた磐城の表情のない顔は、本当に恐ろしかった。
「母上、あなたは大王の妃なのです。失われる故郷になど、いつまでもこだわっているものではない。……少なくとも、あなたが大和で生き残っていたいのならば……」
 磐城は凄絶な笑みを浮かべる。
 稚媛は顔をひきつらせ、逃げるようにして息子の前から退出した。

(……本当に、愚かな女だ……)
 母との対話を思い出し、磐城は馬上で美しい顔を歪めた。
 稚媛は、事あるごとに故郷吉備の名を連呼する。その度に磐城がどんな思いになるか、彼女は気付くこともないのだ。
 --実際、磐城は稚媛を慕うどころか、むしろ憎んでいた。
(……あの女の腹から生まれ出てしまったために、忌まわしい吉備の血が流れているのだ。この、私の身体に……)
 磐城は手綱を握り締める。
 --それは、思い出すたび身が震えるほどのおぞましい現実だった。
 磐城は稚媛を母とは感じていない。……星川を、弟とも思えない。
 彼は、血縁者全てとの絆をひどく希薄に感じていた。……いや、自分が「磐城」であることさえも、時々忘れそうになる。
(……全ては、あの夢のせいだ。物心ついた頃から、繰り返し繰り返し見る、あの夢--いや)
 磐城は唇を噛んで、目を閉じた。
(--夢ではない。あれは『記憶』……そう、私の魂に刻み込まれた、深い『記憶』だ)


 ……磐城の脳裏に鮮やかに蘇るのは、遙か古の光景だった。
 そのころの磐城は「伊佐芹彦(いさせりひこ)」と呼ばれており、やはり大王の御子の一人だった。
 今の「磐城」と違い、その頃の「伊佐芹彦」は、とうてい日嗣に立てるような立場ではなかった。
 父である太邇の大王(第七代孝霊天皇)には、皇后・細媛との間に生んだ皇子・根子彦命がおり、当然彼が将来の大王として人々のあつい支持を受けていた。
 後ろ盾のない国香媛(くにかひめ)を母として生まれた伊佐芹彦は、常に不安定な立場にあった。
 大王位を狙えるだけの力もないのに、男御子というだけで、皇后側からは一方的に危険視される。
 宮中での皇后の勢力は絶大だったので、誰もが彼女の怒りに触れることを恐れ、伊佐芹彦には近づかなかった彼は孤独なまま、宮内で成長した。
 青年となったある日、大王から伊佐芹彦に一つの命が下された。
 「吉備国を平定せよ」--と。
 ……あるいはそれは、目障りな伊佐芹彦が遠方で戦死することを願った、皇后側の策略だったのかもしれない。
 たとえ戦場で死すことがなくとも、敗れて戻れば、その責を負って死を賜ることになる。
『……勝つしか、道はないのです。私には』
 出陣の前、同母姉である百襲姫(ももそひめ)のもとを訪ねて、伊佐芹彦は言った。
 大王に勝利を捧げ、大和の将軍としての自分の立場を固める。……日嗣を望めぬ皇子の生きる道は、それ以外なかった。
『……では、これをそなたに預けましょう』
 百襲姫は、神府より取り出した一本の神剣を伊佐芹彦に与えた。彼女は当時、大物主神を祀る三輪山の巫女をつとめていた。
『姉上、これは?』
『--神剣・天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)。……かつて、我らが先祖である邇邇杵尊(ににぎのみこと)が天降る時に持ってこられた、三種の神器の一つです。……きっと、そなたを護ってくれるでしょう』
 ありがたく神剣を受け取ると、伊佐芹彦は姉に別れを告げ、吉備へ向かった。

 表向き大王の使者として吉備入りした伊佐芹彦達を、彼の地の者達は、警戒しつつも丁重に迎え入れた。
 当時の吉備の長は、吉備津彦。民人の信頼篤い、闊達で明朗な青年王だった。
 どす黒い真意を底に隠し、伊佐芹彦は友好的に振舞った。互いに年が近かったこともあり、吉備津彦はすぐに伊佐芹彦に打ち解けた。
『……恐ろしい大和の将軍が来ると聞いていたが。噂も当てにはならんな。そなたとは、よい友になれそうだ』
 仕掛けられた偽りの「友情」を、吉備津彦はあっさりと信じ込んだ。彼はよく宴に伊佐芹彦を呼び、二人で杯を傾けた。
 屈託のない笑顔を向けられるたび、伊佐芹彦は心の底で、より激しく吉備津彦への敵意を燃やした。
 吉備津彦は、伊佐芹彦が望んでも得られなかったものを全て持っていた。
 --揺るがぬ王としての地位。人々の信頼と尊敬。それらを受けることによって育まれた、自信と自負。そして、暖かい家族。
(……満ち足りているからこそ、あのように明るい瞳で笑えるのだ。お前に、何も与えられなかった者の思いがわかるか?)
 つくり笑顔を返しながら、伊佐芹彦は心の中に吉備津彦への憎悪を蓄積していった。
 美しい吉備の大地。平和で豊かな国。
 ……蹂躙してやる。この自分が、何もかも奪い取ってやる。
(そして、全てを失い、私と同じような惨めで哀れな思いを味わうがいい、吉備津彦!)
 --激しい憤りは、常に奇妙な陶酔感をともなっていた。
 本来ならば、長年に渡って溜められた伊佐芹彦の憎悪は、大王や皇后に対して向けられるべきものである。