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鳴神の娘 第三章「吉備の反乱」

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 母と兄の間に--そして、夫である大王との間に、埋めようのない溝があることは、星川の目から見ても明らかだった。
 
吉備の姫として生まれた稚媛は、元々同族である吉備上道氏の王・田狭(たざ)の妻であった。
 若い夫婦は仲睦まじく、吉備を心から愛する稚媛は、その暮らしに何の不満もなかった。
 彼女は、大和へ行きたいと--まして大王の妃になりたいなどとは、考えた事もなかったのだ。
 --だが、運命は彼女を思わぬ方へと導く。
 稚媛の美貌を聞きつけた大王が、強引に夫である田狭から彼女を召し上げたのである。
 紆余曲折を経て、結局は大王の妃となった稚媛であったが、大和入りした彼女は少しも幸せではなかった。
 傲慢で冷酷な大王に愛情など抱くことは出来なかったし、宮内での生活は吉備の暮らしより楽しくなかった。しかも淫蕩な大王の寵愛は、すぐに他の女人へ移ったのである。
 元々大王に執着などなかった稚媛は、別にそれを嘆きはしなかった。彼女としてはいっそ吉備へ帰ってしまいたかったのだが、二人の皇子の母となってしまった為、それも叶わぬ夢となった。
 孤独な稚媛はたえず故郷を思い出し、子供たちにそれを語った。次男の星川は大いに母に共感し、多分に同情的であったが--長子の磐城は、弟とまるで違っていた。
 磐城は母の昔語りにまったく興味を示さず--いや、それどころか、吉備を憎んでいるかのようなそぶりさえ感じさせた。
『……母上。私は大王の息子。大和の皇子なのですよ』
 それが、磐城の口癖だった。
 長じては、吉備の血を厭うような事を、平気で口にし始めた。そんな息子の真意は、母である稚媛にもまるで分からなくなった。
 --なまじ、美しすぎたがゆえに。
 稚媛の目に、磐城は無気味な怪物のように映った。母子が反目し、離れていくのにそう時間はかからなかった。
 ……あれは、偶然自分の腹を借りて生まれてきただけの、何か違う、別の生き物なのだ。
 稚媛は、そう思うようになった。
 大王位をめぐる長く陰惨な歴史の陰で、殺し殺された者達の恩讐が形となった、化物。それが、あの美しい「大和の皇子」なのだ。

「……星川。磐城でなくそなたが日継となってくれればよかったのに」
 つい、稚媛は本音を漏らした。
 子守歌と共に、吉備の心を聞かせて育てた星川が大王になれば、きっと吉備と大和の関係も変わるだろう。……それが、稚媛の本心からの願いだった。
「母上。そんな事を申されてはいけません」
 星川は小声で、咎めるように言った。
「日継となるのに相応しいのは、兄上です。……僕には、子供の頃からわかっていました」
 星川は足下に目を落とす。彼には、自分と兄との出来の違いがちゃんとわかっていた。
 簡単に言えば、器が違うということだ。能力も風格も何もかも……人間としての大きさが、磐城と星川では明らかに違っていた。
 父である大王が、星川ではなく磐城ばかりを頼みとするのも、よくわかる。……それに実のところ、母の影響を濃く受けて吉備寄りに育ってしまった星川には、父という存在があまり近しいものに感じられなかった。
 故に星川は、幼い頃より分を弁え、けしてあだな望みを抱かなかった。大王の心が磐城にあるのは分かり切っている。そして宮内の政治勢力もまた、磐城を擁護していたのだった。
 星川はただ、無邪気で明るく、華やかな皇子であるように努めてきた。そして、出来うる限り兄と母、そして父との間の緩衝材となるように心がけてきたのだ。
「……そうですね。迂闊なことを申しました」
 稚媛は領布で口元を隠しながら言った。
「それにしても、斐比伎姫もお可哀想なこと。……結局は、わたくしと同じような目に遭われるのだわ」
 独言のように呟くと、稚媛は再び宮の奥へと戻っていった。
 残った星川は、顔を上げて彼方を見やる。
『……斐比伎姫も御可哀想なこと』
 母の言葉が、耳について離れない。
 大和に来て、日継の妃となっても、斐比伎姫は多分幸福にはなれないだろう。可哀想な姫。政争の中で人形のように利用されて……。
(……そして、兄上のものになる)
 星川は静かに目を閉じた。抱き始めた危険な感情を、心の内に封じ込めてしまうように。
 

 五十猛が斐比伎に剣を教え始めてから、かなりの日数が過ぎようとしていた。
 多少他人より体力と運動神経が優れてるとはいっても、斐比伎は生粋のお姫さま育ちである。果たしてこのか細い少女がものになるのかどうか、五十猛は鍛えながらも半信半疑だったが--彼の心配は、数日で見事に打ち消された。
 斐比伎は、凄まじく飲み込みが良かった。一度教わった事はすぐに取り込み、より強力な自らの技として相手に返す。すぐに五十猛は、斐比伎の筋の良さに舌を巻いてしまった。
「……まったく、嬢ちゃんには脱帽だぜっ」
 斐比伎の繰り出す剣をかわしながら、五十猛は叫んだ。
「--私だって、自分でも驚いてるわよ!」
 剣を握り直し、斐比伎は大声で言う。
 --そう。思わぬ才能と成長に一番驚いたのは、斐比伎自身だった。
 五十猛に強制されて嫌々やっていたのは、始めのうちだけだった。すぐに斐比伎は、剣を持つことを--打ち合いの訓練をすることを、「楽しい」と感じるようになった。
 剣の一降りごとに、己の中の何かが覚醒していくようだった。刺激に導かれるまま、斐比伎は剣の才を発揮していく。
(まるで、昔、剣を持って戦ったことがあるみたいな……?)
 あまりにも俊敏に動く自分の身体を感じながら、斐比伎はそう思った。剣をなぐのも振るうのも、呼吸するように自然にできる。
「なんだか、生粋の兵士みたいじゃない!?」
 叫んで、斐比伎は鉄剣を打ち下ろした。
 五十猛は持っていた剣を弾かれる。剣は回転しながら宙を舞うと、切っ先から地面に突き刺さった。
「--確かにな」
 痺れる右手を押さえ、五十猛は苦笑した。
「嬢ちゃん、あんたは変わったよ。もう、ただのお姫さまじゃねえ。本当、強くなった」
 五十猛の言を受け、斐比伎は破顔した。
「でしょう。もう、三本に一本はあなたからもとれるもんね」
 笑った斐比伎は本当に嬉しそうだった。
 巫女としての力に頼らずとも、自分自身の腕で戦える。それは、斐比伎にこれまでにない自信を与えた。
「……あ。もう、日が真上まで上ってる」
 不意に空を仰ぎ見て、斐比伎は言った。
「朝からずっとやってたから喉乾いたわ。水飲んできていいでしょ?」
 斐比伎は気軽に訪ねる。……共に過ごす時間が増えるに従って、二人の関係もかなり変化していた。
 斐比伎は始め五十猛を激しく警戒していたが、彼は最初に自分で言った通り、毎日斐比伎に剣を教え込むだけで、一切不埒な真似をしなかった。
 日の出から日の入りまで。時折の休憩を除いて、二人は一日中みっちりと修業に明け暮れた。食料は五十猛が調達してきて、調理もまかなう。少彦名も含めて三人で食べる食事は結構おいしかった。五十猛はかなり饒舌で、食事中にも始終斐比伎をからかったが、もうそれを不快には思わなかった。
 くたくたになるまで体を動かし、お腹いっぱい食べ、夜はぐっすりと眠る。