小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

鳴神の娘 第三章「吉備の反乱」

INDEX|1ページ/7ページ|

次のページ
 
--史書「日本書紀」には、以下の如き伝承の記載がある。
  
 雄略紀
 
大和の宮廷に官者しとて仕える弓削部虚空(ゆげべのおおぞら)という者があった。あるとき、この虚空が吉備下道(しもつみち)氏の王・前津屋(さつや)のもとへ帰ってきた。
 前津屋は、虚空を自らのもとに止め置き、長い間大和へ戻ることを許さなかった。そこで大王は、美濃の豪族である身毛君大夫という者を使わして虚空を呼び戻した。
 戻ってきた虚空は、大王に対してこう申し上げた。 
「……吉備下道の首長・前津屋王は、小さな女を大王側の者に、大きな女を自分側の者に見立てて競わせ、戦わせておりました。そして、小さな女が勝ったのを見ると、刀を抜いてこれを殺してしまいました。またさらに、毛を抜き羽根を切った小さな鶏を大王と呼び、鈴や金の蹴爪をつけさせた大きな鶏を自分に見立て、これらを戦わせました。そして小さな鶏が勝ったのを見ると、また刀を抜いてこれを殺しました」--
 

大和宮殿内、星川皇子の宮。
 回廊に立ち尽くした星川は、欄干に手をおいたまま、ぼんやりと内庭を眺めていた。
 ……少し前、この庭で大立ち回りを演じた少女--斐比伎姫のことが思い出される。
『冗談じゃないわよっ』
 間者に間違われた姫は、自分を取り囲んだ舎人達を睨みつけ、大声でそう怒鳴っていた。
 あの局面で、あれだけ気強く振舞える姫が、この豊葦原に一体幾人いるだろう。普通の女人であれば、おびえて我を失い、泣き出してしまうのが関の山だ。
 けれど、あの姫は違った。彼女は、己の誇りを踏みにじろうとするものに、決して屈することはなかった。
 果敢にして、苛烈。--なんて激しくて、強い。
 あれ程鮮やかな印象を残す姫に出逢ったのは初めてだった。星川は、その強さをうらやましく思い、そして……。
(いつまでも、忘れられない)
 星川は自嘲気味に溜め息をついた。
 水の巫である彼女が発した、鋭い雷。まるで、その雷撃で胸を打ち抜かれてしまったかのようだ。
 --しかも、あの姫にあったのは、ただ苛烈さのみではない。
『ありがとうございます。皇子様』
 別れ際に星川に向けられた笑顔の、愛らしさ。……忘れられず、心に残る。
 あれから幾日が立ったのだろう。それ程長い間ではあるまい。
 だが、星川の周囲は、彼が物思いに耽っている間にも刻々と変化しつつあった。
 あの日、共に斐比伎姫に出会った兄は、もうこの宮にはいない。兄は、日継披露の宴を無事終えると共に、東宮へ移ってしまった。
(……そういえば、あの夜の宴に斐比伎姫の姿はなかった)
 もう一度彼女に会えると、楽しみして臨んだ宴だった。言葉は交わせないかも知れないが、遠くから、その愛らしい姿だけでも目にすることができるかも知れない、と。
 --だが、父の建加夜彦王は出席していたが、傍らにあるべき斐比伎姫の姿はなかった。
 華やかな衣を纏った采女や、派手に着飾った姫達の中で、星川は必死に斐比伎の姿を探した。--しかし、最後まで彼女の姿を見つけることは出来なかった。
 一体どうしたのか。急に病になったのか。それとも、あの後吉備の棟まで辿り着けず、事故にでもあったのか。
 ……星川の心は千々に乱れたが、斐比伎に関する情報は彼の耳には入ってこなかった。聞こえてきたのは、良くない知らせ--しかも、斐比伎姫とは関係のないことばかりだ。
(……いや)
 星川は瞳を空に漂わせた。
 内庭に植えられた紅梅白梅は、満開の頃を迎えていた。花々の醸し出す芳香が、宮内にまで漂ってくる。薄い青空の向こうには、なだらかな大和の山々が見えた。そこには、まだ何の色づきもないが--。
 時はうつろい、弥生に入ろうとしている。もう一月もすれば、人々の待ち望む桜が舞い散るようになるだろう。
(その頃、この大和と吉備はどうなっているのか……。彼女が吉備の姫である以上、関わりのないことではない)
 星川の瞳に影が落ちる。その時、背後から声がかかった。
「……星川」
「母上」
 星川は振り返る。いつのまにか、彼の後ろに母・稚媛が立っている。
「どうされました母上。共も連れず御一人で」
 星川は母に向かって笑顔を作った。
「どうかしているのは、お前のほうですよ」
 稚媛は歩を進め、星川の傍らに立った。
「このところずっと物思いに沈んでいて。お前らしくもないですよ」
「……ああ」
 星川は曖昧に呟いた。
「大和と吉備の間に漂い始めた不穏な気配が気にかかるのです。--あの、虚空の進言が。下道王・前津屋どのが大王に翻意を抱いておられるなどという……」
 本当に気にかかっていたのは別のことだったが、星川は母にそのように述べた。
「--そのことですか」
 稚媛は眉を顰める。彼女は既に四十路だったが、年を感じさせぬろうたけた美女だった。
 磐城・星川両皇子の女性めいた美貌はこの母譲りのものである。吉備の姫として生まれ育った稚媛は、大王に召されてからもその自負を忘れることなく、常に故郷の動向には気を配っていた。
「あの愚か者の言うことなど、真実ではありません。奸計を弄する為の讒言とわかりきっているのに、何故今になって大王はわざわざお取り上げになるのか」
 稚媛は吐き捨てるように言った。
「……母上。父上は今度の一件で、前津屋王に物部の兵士を差し向けるのでしょうか」
 星川は心配そうに尋ねる。大和宮内は、今その話題で持ち切りだった。
「兵士を送れば、彼の反乱を決定づける事になります。そうなると、吉備はただでは……」
「そうですね。だが、恐らくそうはなるまい」
 稚媛は彼方を見据えるようにして言った。
「大王は、もっと穏便な手を使われますよ」
「どういうことです、母上!?」
 星川は急き込んで母に問うた。
「……吉備加夜王の姫を、日継の妃として差し出すよう申し入れたそうですよ」
「--吉備の姫を?」
 その瞬間、星川は激しい衝撃を受けた。
 鼓動が激しく波打ち、呼吸が苦しくなる。
「……それは、斐比伎姫のことですか?」
 内心の動揺を母に悟られぬよう、星川は平静を装って尋ねた。
「確か、そのようなお名前だったはず。わたくしは直接お会いしたことはないが、噂では
お可愛らしい姫とのことですよ」
 息子の変化に気づかず稚媛は淡々と告げた。
「そう、ですか。あの姫が、兄上の妃に……」
「いずれは皇后となる適妻です。有り難い話として、うまく納まるでしょう。ですが……」
 そこで稚媛は言葉を切り、領布の先で口元を押さえた。
「ていのよい人質ですよ。反抗の意志がないのなら、服属の証に姫を差し出せというのです。--恐らく、この筋書きを考えたのは磐城でしょう。恐ろしい子だこと。……本当に、父親によく似ている」
 稚媛は、おぞましそうに言った。
 恐らく、斐比伎姫の妃入りには、大量の持参金--即ち所領の召し上げが伴うだろう。
 それは、兵士を差し向け、戦力を使って奪い取るのよりも、余程効率的で賢い侵略のやり方だ。
「大和の為なら、どんな汚い謀略でも平気で仕掛けるのです。本当に、良くできた皇子だこと。大王も、さぞやお喜びのことでしょう」
「母上……」
 星川は困ったように呟いた。