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売店のおばちゃんとチョコレート

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午後三時から九時までの六時間、私は駅の売店で働いている。毎日、多くのお客さんがお菓子やジュースや新聞を買っていく。お客さんが商品を置いて、私がお金をもらう。そのやり取りは二十秒ぐらい。  でも、そんなわずかなやり取りにも、お客さんとのつながりを感じて、心が震えてしまう時がある。

 いつも夕刊を買っていく、小学生の女の子がいる。私立の学校に通っているのだろうか? ランドセルではなく普通のカバンを右手に持ち、ワインレッドの帽子をかぶり、立派な仕立ての制服を着ている。
 午後四時ごろ、その女の子は私の売店で夕刊と、たまにチョコレートを一緒に買っていく。小学生の女の子が夕刊? ちょっと気になっていたので、女の子に声をかけてみた。
「この新聞、誰が読むの?」
「これはお父さんが読むの」
「そうなんだ。じゃあ、お父さんのために買っていってあげているんだね」
「うん。お父さんが家に帰ってきたら、今日もお疲れ様ですって言ってわたしが渡すの」
「そうかあ、偉いねえ。お父さん喜ぶでしょう」
「うん。それでね、今日は学校の勉強はできたかって、わたしに聞いてくれるの。わたしが学校であったことを話すとお父さんはうれしそうに聞いてくれて。あと、新聞と一緒に買ったチョコレートも二人で食べるの。お父さんは甘いものが大好きだから、喜んでくれるんだ。それで、お父さんはお休みがほとんどなくて、いつも忙しそうだから、お話しできるのはこの時ぐらいなの」 
 今はこんな家庭が多いのかなあと思う。でも、この子はまだ幸せだろう。たとえ少しでも父親と話す時間があって、私の娘には幼いころから父親のいない寂しさを味わわせてしまった。私は娘が六歳の時に離婚している。
 電車がホームに入ってきた。「じゃあね」と女の子に声をかける。
「さようなら」女の子は笑顔で走って電車に乗っていった。
 この日以来、この女の子が来るといつも一言、二言、会話を交わすようになった。自分の娘にもこんな頃があった。なつかしい。今、娘は三十二歳になっているはず、でも、言葉を交わすことはできない。
 私が夫と別れてから、娘は心を閉ざしてしまい、中学生になると非行に走るようになった。そして、十六歳で彼氏との間に子供ができてしまい、連絡先も伝えずに家を出て行ってしまった。その後、娘は全く連絡もしてくれなくて、音信不通の状態が続いている。
 
 女の子と話すのが毎日のささやかな楽しみになっていたのに、ある日を境に女の子は急に姿を見せなくなってしまった。風邪でも引いて学校を休んでいるのだろうか。今は夏休みでも冬休みでも春休みでもない。学校はあるはずなのに――私は女の子と会えないことが、話ができないことがとても寂しくて仕方がなかった。
 何かの事情で転校でもしたのだろうか? 女の子の身に何かあったのだろうか? 不吉なことを考えてしまい、もう会えないのではないかと心の中が不安でいっぱいになった。
でも、いくら可愛いと言ってもあの子は自分の孫ではない。私にあの子の心配をする権利なんかないのだ――心の中で自分に言い聞かせた。
 そして、そのまま二週間が経った。もしかして今日こそは来てくれるかもしれない。祈るような気持ちで月曜日を迎えた。
 勤務開始から一時間後、私の祈りが通じた。あの子だ! ほかの地下鉄の乗り換え口から、女の子の姿が見えた。 私は、ホッとして女の子が店に近づいてくるのを待っていた。
 でも、女の子はなかなか私の方に顔を向けてくれない。
 どうしたのだろう? なにか様子がおかしいな……そう思っていると、女の子は売店には寄らずにそのまま電車に乗ってしまった。私は思わず、店から飛び出して声をかけようと思ったが、ほかのお客さんが来て遮られてしまった。
 電車の扉が閉まり、ゆっくりと動き出した。電車の中の女の子の様子を窺うが背が小さいので表情がわからない。どうして今日は夕刊を買わないで行ってしまったのだろう。 お父さんにもういらないっていわれたのだろうか。
 翌日もいつもの時間に女の子はホームに姿を見せてくれた。よかった……でも、安堵の気持ちに浸ることなく今度はチャンスを逃すまいと思い、私は店から出て女の子に駆け寄った。
「こんにちは」
「こんにちは……」
 返事をした女の子の顔に笑顔はなかった。
「新聞、もう買わないの?」
 「うん。もう買う必要がなくなっちゃったの……」
 そういうと、女の子は目に涙をためて、今にも泣き出しそうな表情になってしまった。
 「どうして?」
「お父さん、交通事故で死んじゃったの。もういないのお父さん。新聞も渡せなくなっちゃった」
「えっ……」
 私は何も言えなかった。ショックだった。とても悲しくなり、涙がボトボト零れ落ちてしまった。
「どうして、おばちゃんが泣くの?」
 女の子は不思議そうな顔で私を見つめる。
 私は堪らなくなって、女の子を抱きしめた。私に抱きしめられた瞬間に女の子もしくしくと泣き出した。そのまま、ホームの真ん中で五分ぐらい抱きしめていた。周りの目など全く気にならなかった。
 もうすぐ次の電車が到着しますというアナウンスが流れた時に女の子は私の腕から離れた。
「もう帰らなくちゃ」
「うん。そうだよね」
「ありがとう」
 女の子が言ったこの一言が胸に沁み込んだ。一度落ち着きかけた涙腺がまた刺激された。
「……」何か女の子に声をかけてあげよう。励ましてあげよう。そう思ったが、何も言葉が出てこない。
「おばちゃん、みゆももう泣かないから、おばちゃんも泣かないで」
 みゆちゃん……そうかこの子はみゆちゃんっていうんだ。
「うん。おばちゃんももう泣かないよ」目に溜まっていた涙を拭いて私は微笑みを浮かべた。
「じゃあね。バイバイ!」みゆちゃんも目に残っていた涙を一滴こぼした後に笑顔で私に挨拶をした。
「あっ、ちょっとだけ待っていて……」私は急いで売店に戻り、赤いパッケージのチョコレートを手に取り、みゆちゃんの前でチョコレートの封を開けた。そしてその中から一粒みゆちゃんに渡して、自分も一粒手に持った。
「せーの」私は合図をして、チョコレートを自分の口に運んだ。みゆちゃんもそれを理解して自分の口の中の中にチョコレートを運ぶ。
「おいしい」みゆちゃんが笑顔で言う。「おいしいね」私も笑顔で返す。
「バイバイ!」もう一度、みゆちゃんは私にそういって、電車に乗り込んでいった。扉が閉まった後もみゆちゃんは精一杯背伸びをして、扉の窓から私の方を見ていた。私からはワインレッドの帽子と前髪と小さな目しか見えないみゆちゃんがとてもいとおしく思えた。
  
 そして、もう一人、いつも気になっているお客さんがいる。きっと、私の娘と同い年ぐらい。仕事の帰りなのだろう、夜七時ぐらいに時々、チョコレートを買っていくOLさん。
職場で辛いことが多いのだろうか、彼女がチョコレートを買っていくときはいつも暗い顔で悲しい表情をしている。