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ノンフィクション/失敗は遭難のもと <前編>

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  かろうじて雨滴にこそならないが、濃霧で周囲の山並みも定かでないほど乳白色の世界が広がる。わずかに川のせせらぎだけが、耳に心地よい響きとなって届いてくる。

  盆堀部落の民家を過ぎた辺りに、臼杵山への登山口があった。道標が目線より高い位置にあり、危うく見逃すところだった。

  掲示板があり「健脚コースにつき・・・」という警告文が記されていた。緊張からか身震いが全身を走り、腹に力を込めて自分にカツを入れる。

  針葉樹林の山道に入ると、早速の急登になる。踏み跡程度の山道は、覆いかぶさる下草がたっぷりと水滴を含み、身体が触れるとびしょ濡れになってしまう。こんな時の先導役は「露払い」と称する。

  まだ初心者のこの頃は、雨具のズボンだけ穿くとか、スパッツを使うことなど考えも及ばなかった。濡れ鼠でただ山頂を目指してがむしゃらに登るだけだった。

  針葉常緑樹の林が続く登りで展望は皆無、その上濃いガスに包まれ自分の周り20~30mだけが現実の世界である。今、自分は雲の中を歩いていると思った。その思いは後で証明されることになる。

  この辺りの森の中には、野生の山百合が多く自生していて、白いベールに包まれて歩を進めると、暗い闇の中から大きな真っ白いユリの花が幻想的に浮き出すように現れ、ハッとするほどの美しさに心を打たれる。荷田子峠には標準タイムより15分短縮して到着した。

  その後、峠から臼杵山山頂まで約1時間の歩程ながら、登り一方だったためか予想以上に長く感じた。両サイドが切り立ったヤセ尾根だったり、雑草が繁茂するヤブ漕ぎ状になったいたり、変化に富んだキツイ登りで、20分に5分の休憩が必要だった。

  それにしても深山幽谷を想わせる静寂が、山全体を押し包んでいるみたいだ。時間的にも遅いからか、人っ子一人出会わないし、野鳥の囀りもあまり聞こえてこない。まったくの森閑とした静けさのみが支配している。
  突然、頭上でカサカサと葉擦れの音がして、何か樹木伝いに移動する姿が、チラッと目の端に映った。よく見ると、体長と同じくらいの見事なシッポを持った大型のリスだった。

  山頂が間近になって樹木が疎らになり、あれほど視界を遮っていた濃霧も跡形もなく消え、待望の展望が開けてビックリ仰天する。いつの間にか、雲海の上に立っていた。

  真っ白い綿飴ののような雲の塊が見渡す限り眼下に広がり、周囲の山々の頂きがまるで小島のように雲の海に浮かんでいた。生まれて初めて見るファンタジックな光景に、我を忘れて立ち尽くし魅入ってしまった。

  雲海といえば、標高2,000m以上の高山帯でしか見られないと思っていただけに、まさか1,000mに満たないこの高度で、雲海に遭遇出来るとは、余程の幸運に恵まれたとしか言いようがない。
  自分は今までこの雲の中を攀じ登ってきたのだと悟った。慌ててカメラを出し、夢中でシャッターを切る。
  臼杵山山頂で二度目の昼食休憩とする。

  出発が遅かった分、時間の経過がとても気になる。早々と休みを切り上げ先を急ぐ。まず、臼杵山からは急降下、そしてかなりのアップダウンが繰り返し繰り返し続く。

  所々樹林を抜け出て陽当りの良い場所に来ると、山道は密ヤブや雑草の繁茂に覆われて道形が見えず、カンを頼りに足を運ぶ。もし、見えない足元に、木の根や岩角などの凹凸があるとまことに危ない。全神経を集中して、不測の事態に素早く反応出来るよう注意を怠らない。

  その点、樹木に覆われた山道は、雑草が生い茂る余地が無くて、たとえどんな障害物のある道でも、しっかりと足元を定めて歩けるので、安心して歩を進めることが出来る。
  たまに見晴らしの良い場所に出るが、時間に追われていると決め付けた精神状態では、素晴らしい風景にカメラを向ける余裕も無い。

  一歩一歩次に足を置く場所を、目で見て頭脳が判断する。そんな目の先に、明らかに今踏んだと言わんばかりの真新しい足跡を発見する。誰か先行者がいるのか?
  そう思うだけでとても嬉しくなり、新たな力が湧いてくるようだ。

  そのうち、かすかに男性の話し声が聞こえてくる。見知らぬ人だろうが、誰か人に会える。喜び勇んで歩きが早くなる。どちらかというと、里に居ては孤独を好む自分が、何故こうも人恋しい気持になるのか?

  市道山山頂直下の長い急登の途中で、先行のグループに追いついた。8名の男性だけの中高年グループだった。急な斜面で一列縦隊のグループに「お先にどうぞ」と道を譲られる。
「こんちわ!お先に失礼」と挨拶しながら、颯爽と登りの歩調を速める。

  この時本人自身、相当アゴを出しへたばっていたのに、虚栄心の強い私めのこと、自分の身体に鞭打ち、心の中で叱咤してグループを追い抜く。もう足先から太股まで、脚全体が疲労困憊して鉛のように重く、今にもへたり込みたいのをジッと我慢する。「見栄を張るとは、辛きことなり」フト頭に浮かんだ言葉に苦笑いする。

  直ぐ笹平への分岐点に着き、これ幸いと一本立てる(小休止)ことにする。先ほどのグループも同じ場所で休憩にした。口下手な自分は、馴れ馴れしく話しかけることも出来ないが、このまま同一コースを辿るものと思い込み、心強い道連れが出来たと内心喜んでいた。が、話の様子で、此処から笹平に下ると分かりガッカリしてしまった。

  気を取り直して出発する。登り着いた市道山山頂は四周をガスに包まれ展望は皆無だった。

<注>「一本立てる」=小休止。
  山仲間が休憩する時に使う言葉。山小屋に食料や燃料などの必需品を届けるボッカさんが、自分の背丈より高く積み上げた荷物を背負い休息する時、杖を荷物の底にあてがって休憩したことから、この言葉が使われるようになったと聞く。

[市道山15:20発⇒入山峠16:55着・発⇒刈寄山17:20着・17:25発⇒<道迷い>⇒刈寄山18:00発⇒沢戸橋19:10着]

  相変わらず小さなアップダウンが続く。いつの間にか古傷を抱える左膝の関節が痛み出していた。特に下りで、体重の負荷を膝で受け止めるのが辛く、左脚を庇いながらびっこを引いての歩行となる。なんとも惨めな様相になってきた。

  この山歩きを始めたばかりの時から、30年も経った最近でこそやっと歳相応の歩き方を心掛け、展望を楽しみ草木の自生に目を配り、野鳥の囀りに耳を傾け、芳醇な大気を全身で感じながらの山歩きが出来るようになってきた。

  しかし、この時ばかりはまるで夢遊病者のように、周囲の事物には一切無関心で、ただ惰性で脚を前に出し続けるだけでした。

  実際にはこの区間が一番長距離に当る行程でしたが、細かい観察を含めた記録を残す余裕も無く、周囲の景観も眼中に無かったようだ。ただ一ヶ所、送電線の鉄塔からの「展望が良かった」と記され、あとは「疲れた」というも文字が残されていた。

  所々で三山コースから外れて、下界に降る分岐点に着くと、ついコースの完歩を放棄して「早く帰りたい」という誘惑に襲われる。その都度、マップで距離の遠近や、交通の便を勘案してみる。降れば歩く距離は短縮出来ても、中央線方面では遠回りになるからダメとか。