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セールス・マン
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プリンス・プレタポルテ

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 腕を擦る。指が食い込む肉の柔らかさに辟易した。背後のひび割れた鏡を見る気にはならない。細い女の肉体が絡みつく、自らの肥え太った身体を目にしたら、そのまま排水溝に流されて消えてしまいたくなる。
「綺麗ならなんでも好きさ」
 女が匂わす官能に引き寄せられる。これは既に慣習だ。故郷でも、アメリカでも、キューバでも。やることが格段変化するわけではない。いつでもどこでも、美しいものは手招きをし、逆らうなんて愚の骨頂で、受け取らないことは罪なのだ。
「あなた、好きよ」
 猫のようにざらついた舌が背骨に沿って水滴を舐めている。
「カストロと同じくらいかっこいい」
「カストロ、カストロ」
 後ろ手を回そうとしたら皺の寄る贅肉と背中の皮膚。ああ、何たることだ。騎兵隊は死んだのだ。
「君、カストロに会ったことは」
「ないわ」
「俺はある」
 こういえば、十中八九愛撫は止まるものと相場は決まっているが、イルダはまだ腰骨に回った手を蠢かしている。おそらく残りの1か2。信じていない。
「ホテルのプールサイドでね。陣中見舞いに行ったこともある。喋ったよ。彼はとてつもなく」
 虚しい中年男の妄想? まさか。ジントニック数杯で飛ぶような記憶ではない。
「知的だ。この国を変えることが出来る男は彼しかいない」
 バティスタは映画ファンだった。以前空港で歓迎の上りと共に待ち構えていたときも、あの丸い顔へにこにこを一杯に浮かべて言ったものだ。
『ようこそ、セニョール・フェアバンクス。あなたの演じたゾロの大ファンです』
 崇敬する先輩の名に免じて、私は何食わぬ顔で慈悲深い訂正を施した。おかげで、忌々しいヘミングウェイに先んじて革命の立役者に会うことが出来たのだから。
「そりゃそうよ。彼の言ってることは正しいわ」
 うっとりした声色が肩越しに這い上がる。私は無表情のまま、倒れたままの髪を掻きあげた。半年ほど前鏡で見たときの、額が僅かに上がっているという感覚に悩まされ、洗髪のたびに怯える日々。気のせいであることを祈る。おそらく、ポマードの種類が悪かったのだろう。あれからすぐ代えたから、抜け毛の量も減っているはずだ。
「土地を解放するんでしょ」
 フィデル・カストロ。疑い深い奥目と神経質の早口。
「社会主義さ」
 素っ気なくあたりさわりのない会話。
「みんなが平等になる」