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プリンス・プレタポルテ

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 見えているのは、実際の光景か、夢なのか。はたまた記憶の奥底にあるイメージが勝手に垂れ流されているだけなのか。ねずみ色から白に変わるグラデーション。見上げた先、遥か高みで、アザラシ漁の船に乗っていた遥か昔、獣の脂の臭いが染み付いた手にウイスキーの瓶をぶら下げ眺めた、凍えた広大な夜空一面で泳ぐオーロラのような光が揺蕩っている。あの時と違うのは、温度だけだった。全身を包む暖かさに全てを奪われ、私は天に近づいていた。体の不快感を全部帳消しにする柔らかさ。この世と思われぬ心地よさ。いや、事実これはもはや現実でないのかもしれない。布の端が翻るのはカーテンコール。舞台は終わり、興奮は最高潮に達する。賞賛の嵐の中、役者は深々と身を折り曲げる。いつまでも私は高みへ続く道のりの最中で、優しき祝福の声に抱かれ、決して届くことの無い極致を見つめていた。時よ止まれ。おまえは余りにも美しく、そして人間が触れて汚す事などできないほど豊潤なままだ。クライマックスの孤独、終末の悲哀など知ることなく、永遠にその美を世界に降り注がせる義務がおまえにはある。ますます天界は冷え切り、純粋さを増していく。柔らかき光の波よ、それは腐った世界と時をとわに区切るために存在しているのだろう。身動き出来ぬまま、私の肉体はどこまでも遥かに上り続けた。


 『ファウラーかい。身軽さだけがとりえだよ。奴はハム(大根役者)だ。パンに挟まれて食われるのも時間の問題だろうさ』
 磔刑のキリストと同じ姿態の自らに気付いたとき、私はゆっくりと天に落ちていった。


 その上にあったのは、かつては目にも痛い白さを誇っていたはずの漆喰天井。今は積年の煤と半分しか開かない窓のせいもあり、ぞっとするような暗さをさらしていた。陰鬱さが臨戦態勢のまま待機している。
 ぐっしょりと掻いた汗を拭う手の冷たさを、目玉だけで確認する。名前は覚えていないが、確かに見覚えのある女が、ぼんやりと額を撫で続けていた。身を起こそうとしたが痛む関節は言うことを聞かず、水平に滑った足が毛布を蹴飛ばしたに過ぎなかった。同時に首が動き、ようやく私は今自分がどこにいるのかを思いだした。キューバ。サンタクララとハバナの中間地点にある田舎町の汚いホテル。蟻のように続くカストロ軍の後方。