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『愛情物語』 ノクターン第2番 op.9-2 (ショパン)

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 事を終えた希は、恐れも後悔もなかった。
 手と顔に付いた血を洗い流して応接室に戻ると、高科医師が見せてくれた自分に関する書類を抜き取り、あたりを見回した。

 その部屋に置かれている、グランドピアノに釘付けとなった。
 それまではそこにあることすら、気づいていなかった。いや、目には入っていたのだろうが、認識していなかったのである。それなりに緊張していた、ということか。

 おそらく、すぐに捕まるだろう。
 指紋も、誤ってかすってしまった顔から出た血も、そのままにしておこう。それで構わない。まもなく、死ぬのだから。
 この書類だけ、私がクローンだということが分かるこの書類だけを、処分しておけばいい。
 
 両親が死んでから中央市のアパートに越してきてピアノも処分していたので、最後にお気に入りの曲、ノクターンを奏でたくなった。
 もうこれが最後の演奏だ。姉の歌音は私なのだ。希は歌音。
 ノクターンを奏でるのは希であり、歌音である。
 
 椅子を引き寄せ、鍵盤の蓋だけを上げて鍵盤を撫でさすると、指を軽く曲げその上に置いた。
 ひと呼吸して、指に軽く力を込める。
 目を閉じていても、腕はしなやかに振れ動き、それに合わせて指は鍵盤の上でステップを刻む。
 ゆっくりと優しく、また細かく足踏みをするように。
 時々高く跳びはね、力強く踊り舞い続ける十指。
 すべてを忘れさせ、ピアノの澄んだ音色は全身の神経を振るわせ、心の奥底に浸透していった。