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赤のミスティンキル

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 ついに肩口まで壁に埋まった彼は、簡潔な感想を漏らしながらはい出した。この球体には入り口らしい扉や穴はない。ならば、この壁から中に入るほか無いのだ。先ほどアザスタンがそうしたように。
 ミスティンキルとウィムリーフは意を決して球体の表面に触れ、そのまま内部へ入っていくのだった。

 この中ではイリリエンが待つという。龍王との出会いがもたらすものは果たしてなんなのか、二人の若者は知るよしもない。




(二)

 柔らかな表面から球の中に入るとそこは、手を伸ばしたわずか先の空間すら見通せない、炎の濃霧となっていた。そばにいるウィムリーフの顔さえかすんでよく見えない。だが、躊躇している場合ではない。アザスタンは先にこの中へと飛び込んでいるのだし、何より龍王が待っている。二人ははぐれないようにと手を取り、固く握りしめると、赤い闇の先を目指して羽ばたいた。彼女の感触はやや質感には乏しいが、それでもこうして触れられるというのは、物質界での姿を強く意識し続けていたためなのだろう。

 まるで雲の中を飛んでいるようだ、と真横からウィムリーフの声が聞こえる。その声色から、彼女は自分以上に気分が高揚しているに違いないとミスティンキルは思った。ウィムリーフにとって最初となるこの冒険行は、幾昼夜、机に向かっても書き足りないほどに貴重で、素晴らしい体験になることは間違いないのだから。
 逆にミスティンキルは浮かれがちな気分を抑え、努めて冷静になろうとしていた。龍王と対面した龍人が、果たして何人いるというのだろうか! 高ぶる鼓動を少しでも静めるために、彼は大きく息を吐いた。

 ようやく雲を突破したかと思うと、息つく間もなくまた眼前にはすぐ次の雲の層が立ちふさがっていた。幾層もの雲をかき分け、二人は疾駆する。
 しかしいくら行けども果てが見えない。これは“炎の界《デ・イグ》”のあやかしなのではないか、はたまたこのまま球を突き抜けて外に出てしまうのではないか、と不安がつのり始めた頃、ようやく二人の眼前の視界が開けたのだった。途端、雷鳴のような音が二人の鼓膜を響かせた。どうやらここから先は、静寂に覆われていたそれまでの空間とは明らかに異なっているようだ。
 ミスティンキルとウィムリーフはその場で滞空し、しばし空間の様子に――超常の景色に魅入った。

 広大な球内もまた外と同じく、炎によって形成され、橙色に彩られた空間が揺らめいている。だがここには、“炎の界《デ・イグ》”には無いはずのものがあった。土・水・風の要素が確立され、存在しているのだ。
 自分達が入ってきた場所以外の三方は、天上から底に至るまで白いカーテンが垂れているよう。だが、雷のような轟音を響かせるそれは、実のところ水によって形成されているのだ。はるか高みから轟き流れ落ちる、一面の大瀑布。滝底の様子は舞い上がる水煙に隠れ、ようとして知れない。
 この空間を吹き抜ける風が、滝の轟音と水を周囲一体に運ぶ。時折風は強く吹き、ミスティンキル達のところにまで水しぶきを届かせるのだが、“冷たい“という確かな感覚があるのは、かえって不思議に思えるのだった。球内を炎が支配しているというのに、熱さはまるで感じないのだから。
 中空には、岩山を得た島々がいくつか浮遊していた。島の間を時々走る閃光こそ、大地の力“龍脈”だ。これが島々を繋ぎとめ、浮かぶ力を与えているのだろうか。
 大地の力は水・風の力と融合し、島々の至る所に樹木を育んでいた。その枝葉は炎に彩られるが、決して木が燃え尽きることなど無い。

 四つの事象が融和したこの様相を、ミスティンキルは純粋に“美しい”と感じた。
 そしてこの空間の中央には炎の柱があった。球のはるか底から吹き上がっているそれは、中空で枝分かれし、中心部を守るかのように覆い囲んでいる。その中心部では、周囲の炎よりなお燦然と輝く炎が繭状に燃えているのが、枝越しからも見て取れる。あれこそが間違いなく――。

【力ある者よ。はらからの子――エウレ・デュアよ。来たな】
 繭の中から発されたのは力強い和音。奇麗な高音と打ち響く低音が折り重なるその音こそ、いと高き龍の声に他ならない。
 そして炎の繭は四散し、中から深紅の龍が――龍王イリリエンが姿を現した。と同時に、圧倒的な存在感から生じる、凄まじい力が二人を襲った。

◆◆◆◆

 古来より現代に至るまで、神々の姿をかいま見た人間はほんの一握りにしかならない。神と対峙し、かつ会話を交わした人間となれば、さらに。

 イリリエンの放つ莫大な神気に気圧されて、ミスティンキル達はまったく身動きがとれなくなってしまった。だが、それだけでもましと言える。かの龍こそは太古より生きる龍の王、そしてアリュゼル神族にも匹敵する力の持ち主。心弱き者は姿を直視するだけで、魂を簡単に抜かれてしまうだろうから。
――龍王様に対面するなどと大言壮語を吐きおって。お前などに出来るものか――
 “司の長”ラデュヘンの放った言葉が、単なる侮辱ではなかったことをミスティンキルは思い知った。龍王に会うということは、それなりの決意が必要なのだ。
 だが結果として、彼ら“司の長”が望んだところでイリリエンに会うことは叶わなかった。今、自分は出来た――。慢心ともいえる優越感が、頭をもたげようとしているのにミスティンキルは気づいた。それはある意味、痛快でもあった。“炎の界《デ・イグ》”は権威に寄りかかる長よりも、一介の漁師を選んだのだ。忌まわしいと言われ続けた、赤い力を持つ自分を。
「ようやくお出ましかい。龍王様」
 ミスティンキルはぽつりとつぶやくと、ほくそ笑んだ。
 だが。
【否。私は待っていたのだよ、同胞の子《エウレ・デュア》】
 龍王はこのように言った。自分の些細な呟きが聞こえていたことを知り、ミスティンキルは驚いた。
【音として放たれた言葉は、多かれ少なかれ空間を揺らすということを知りおくのだな。ともあれ、苛烈な炎を乗り越えよくここまでたどり着いた。まさか風の司まで来ていようとは思いも寄らなかったものだが、嬉しく思うぞ。さあ、イリリエンのもとに来るがいい!】
 イリリエンの言葉とともに、ようやく体の呪縛が解けた二人の前には、再びアザスタンが空間を渡って現れた。アザスタンは二人を先導し、龍王の御前まで行くと飛び上がり、龍王の頭の横で滞空した。

 こうしてあらためて見上げると、イリリエンの巨躯にはやはり圧倒される。体は山のように大きく、アザスタンの龍戦士姿は、龍王の牙と同じくらいの大きさにしか見えない。
 炎の繭を打ち払ったとはいえ、イリリエンの体には常時炎が取り巻いている。
 ミスティンキルは、司の長の館で見た壁掛けを思い出した。長達が会議を行っていた部屋の奥にあった壁掛けの意匠は、炎に取り囲まれた雄々しい龍王が描かれていた。
 しかし、イリリエンの醸し出す雰囲気は猛々しいだけではなく、優雅さをも兼ね備えている。

 イリリエンの金色の瞳が二人をじいっと見つめ――龍王は声を放った。
作品名:赤のミスティンキル 作家名:大気杜弥