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雪の華~Wintwer Memories~Ⅲ

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 ああ、やってられない。女の涙は武器だといって、さんざんバッシングを受けた政治家がいたけど、どうやら間違いではなかったようね。
 輝は呆れたような顔で三人の受付嬢を眺め、首を振りながら去った。三人の女の子たちはまだ派手に泣いているようであったが、慰めるつもりもないし、謝るつもりもなかった。
 〝本間の局〟が若い受付嬢を泣かせた―と、また不名誉な噂が一つ増えるだろうが、構いはしない。少しは意見してやるのも、考えようによっては、あの子たちのためでもある。輝は半ば自棄でそう考えた。
 後に輝が常務取締役の第一秘書兼秘書課長に抜擢された時、この受付嬢の一人が新たに秘書課員として配属されてくることになる。もちろん、そのときの輝もその受付嬢もまだ、自分たちが上司と部下として同じ課で働くことになるとは予想だにしていなかった。
 総務部長はああ言ってくれたものの、やはり輝に向けられる視線はけして良いものではなく、むしろ冷たい刺すようなものばかりであった。彼女を見て、皆が意味ありげな視線を交わし、ひそひそと囁き交わすのだ。もちろん、紘子や鈴木佐枝のような例外や理解者もいるにはいたけれど、そんな人間は社内でもごく少数で限られていた。
 それでも何とか一日持ち堪えられたのは、総務部長から示された理解の言葉があったからだ。あのひとことがなければ、輝はとうに誇りも何もかも棄てて、皆の前で泣き崩れていたかもしれない。
 三時になった。企業なので、三時のおやつが出るはずもないが、N商事では三時にはそれぞれの部署の女子社員がコーヒーか紅茶、緑茶を淹れて部署員に配るという習慣があった。むろん、それぞれの好みによって選ぶことができる。それは輝が入社するより、はるか前からのしきたりのようなものであったらしい。
 部署によっては女子社員たちの中で当番を決めて行っているところもあれば、特に決めておらず、有志か手の空いている者がするという部署もある。
 総務部では当番制になっている。その日は美奈子のはずであったが、休んでいる。なので、紘子と輝の二人でやることになった。給湯室でお茶の用意をしている最中、紘子が小声で教えてくれた。
「どうやら、あのお喋り女の顔を見ることもなくなりそうね」
「それはどういう意味?」
 先週の金曜まで普通に出勤していた美奈子が辞めるなんて、信じられない。
 輝が怪訝な顔をしていたのだろう。紘子が更に詳しい情報を教えてくれた。
「私も昼休みに人事の子から聞いたばかりの話だけど。どうやら、美奈子に退職勧告が出たらしいわ。早ければ、もう本人に連絡がいってるんじゃないかしら。岩田にも減俸処分が適用されて、今後一年はボーナスもなし、給料も大幅減額されるみたい」
 退職勧告という名目ではあるが、これが出て勤務を続けた者はいない。つまり、事実上の退職命令である。
「美奈子ちゃんに?」
 驚愕している輝に、紘子は呆れた表情で言った。
「もう、本当にあなたって、お人好しね。輝だって、今回のあなたに関する最悪な噂がどこから出たかってくらい大体察しはついてるんでしょ。私も今朝は、犯人の特定ができてないらしいって、当たり障りのないことしか敢えて言わなかったけどね。事を荒てて騒動になると、会社の体面そのものにも拘わってくるもの。迂闊なことは言えないから、会社も噂の出所は判らない、社員にも知らないふりをしろって言葉を濁してるけど、多分、上のお偉方は美奈子や岩田がやってるくらいのことは皆、承知してるんじゃない?」
「あの二人、どうやら付き合ってるようね。昨日、私が逢ったときも、そういうようなことを言ってたから」
「そうなの? ま、それで二人が日曜に一緒にいたってことも説明はつくわね。良いんじゃない、似た者同士で、まさにバカップルの典型みたいなものだから」
 紘子は唾棄するように言った。当の輝よりも、紘子の方がよほど岩田や美奈子に対して憤りも露わにしているようである。
 すべての総務部員にお茶を配り終えた直後のことである。ふいに輝の携帯の着信音が鳴った。
 中島美嘉の〝雪の華〟、切ない恋心を歌った曲が好きで、丁度今のシーズンにもぴったりなので、この曲にしている。電話もメールも同じものにしているので紛らわしいが、大抵の場合はメールのことが多い。しかも、通販サイトからのダイレクトメールばかりだ。恋人もいない輝には、大体、携帯に電話がかかってくることなんてまずあり得ない。
 何気なくメタリックピンクの二つ折り携帯を開くと、〝新着メール〟の表示が出ている。輝はメールの受信箱をクリックし、届いたばかりのメールを表示させた。

―バカ、シネ。オマエナンカ、キエテイナクナレバイイ。イカズゴケのミニクイアヒルノコニハ コノヨデノソンザイカチスラ ナイ。

「何、これ」
 顔から血の気が引いていくのが判った。急いで送り主を見ても、見たことのないメルアドだ、フリーメールらしい。
「どうしたの、輝。顔色が悪いわよ」
 紘子が近寄ってきて、開いたままの携帯を覗き込む。
「やだ。何よ」
 紘子も顔色を変えた。
 輝の脳裏に、一人の女の顔が浮かび上がった。AKBの渡辺麻友に似ていると社内でも評判の愛らしい顔立ち。だが、美奈子はその裏に、怖ろしい素顔を隠し持っていた。どうやら、単なる噂好きが度を超しただけの女の子だと思い込んでいた自分は甘かったようだ。
「これって、間違いなく美奈子ね」
 紘子も同じ結論に至ったらしい。
「ね。この際だから、部長にこれを見せて、美奈子のヤツを徹底的に追いつめてやれば?」
 だが、輝はゆっくりと首を振った。
「それは止すわ」
「どうして? ここまで酷いことされて、それでもまだ我慢するつもり?」
 紘子は判らないというように腕組みをして、輝を見つめている。
「考えてみて、紘ちゃん。美奈子ちゃんは、もう十分すぎる罰を受けたはずよ。勧告といっても、その実は命令だもの。彼女はもう、これで会社にはいられなくなったわ。これまで彼女の悪事の片棒を担いでいた岩田君は減俸だけで済んで、会社に残るわけでしょう。辞職までさせられて、この上、あの子を追いつめるようなことまではしたくないの。幾ら酷いことをされたといっても、同じ職場の仲間として働いてきたじゃない」
 紘子は肩を大仰に竦め、天を仰いだ。
「あー。あなたって、本当にどうしようもないほどのお人好しよね。マ、私は輝のそういうところが好きなんだけどね。判った。あなた自身のことなんだし、それは私が口出しすべきことじゃないからね」
 しかし、その辺りから、輝はどうにも頭痛が高じて勤務を続けていられる状態ではなくなった。昼辺りから、ずっと軽い兆候はあったのだが、何とか定時の退社まで我慢しようとしていたのだ。そのため、一人で食べた社員食堂の定食も殆ど残すことになってしまった。
 やはり、美奈子と思われる人物からの中傷メールが相当な打撃を与えたのだろう。今まで色々なことを言われてきたけれど、ここまで露骨に悪意をぶつけられたのは生まれて初めてであった。しかも、〝死ね、存在価値すらない〟とまで罵倒されたのだ。