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もっとも愛しく最高のもの

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 さく也が恋をしている――りく也にはすぐにわかった。
 皮膚が内側からほんのり光って見える。相変わらず喜怒哀楽のわかりづらい、見る者によっては冷たい印象を与える表情だったが、心なしか柔らかい。時々、ドキリとするほどの色気を感じた。そう言う時はたいてい、特別に想う誰かがいる。今回のそれはきっと日本にいる人間だと、りく也は直感した。
「悪いな、今夜の約束をパアにして」
 並んで歩きながら、りく也はさく也に謝罪した。今夜は一緒に演奏会に行く約束をしていたのだが、クリスマス・パーティーと称した集まりに仕事がらみで急きょ出席することになり、演奏会もその後の食事もキャンセルするはめになったからだ。
「仕事なのだから、仕方がない。それより、遅れるんじゃないのか?」
「構うもんか。こっちが先約だ」
 パーティーはすでに始まっていたが、りく也はコンサート・ホールまで送ることを優先した。待ち合わせた場所から徒歩で数分。たったそれだけの時間でも、さく也に会っておきたかった。
 二人は二卵性双生児の兄弟であったが、大人の事情で幼い頃に引き離された。兄のさく也は母方が持つアメリカの別荘で育ったので、会えるのは学校の長期休暇を利用して年に数度。成人後は、さく也はウィーンのオーケストラに所属するヴァイオリン奏者となって生活圏を欧州に移し、りく也は会社組織に縛り付けられ自由が利かない身の上となったため、会う機会が更に減っていた。
 だからりく也は会える時間を全て、さく也のために使いたい。重症なブラザー・コンプレックスと言えたが、りく也はそれを自覚し否定しなかった。
「今回は? また演奏会か何かあるのか?」
「少し弾くことになった」
「ふーん、どこで? チケットあるなら回してくれ。聴きに行くから」
「音楽大学での模範演奏だから、部外者は入ることは出来ない」
「え? 模範演奏って、じゃあ、コンサートで来たんじゃないのか?」
 さく也は頷いた。少し頬が赤らんで見えるのは、風の冷たさばかりではあるまい。
 りく也は「やっぱり」と思った。大方、今度の恋の相手はその大学の関係者なのだろう。教授か講師か、OBの演奏家か。日本の芸術系大学など、海外から見れば無名も無名。そんなちっぽけなところからの招待のためだけに、わざわざウィーンから、忙しい十二月にやって来たとは考え難かった。
「オケを移籍することになって、休暇が出来たから」
 友人の勧めもあってウィーンの別のオーケストラに移籍することになり、その関係でクリスマス直前まで思いがけず十日日ほどの休暇が取れたと、さく也はぽつりぽつりと話した。りく也へ事前の連絡もせず、ホテルの予約も取らずに来たらしい。彼が怪しげな場所にある安いビジネスホテルに泊まっていると知って、りく也は慌てて別のホテルを手配した。思い立って飛行機に飛び乗ったことが伺えた。
 さく也には恋に盲目的なところがある。恋人のためなら、どんな労力も厭わない。ともすれば冷たい印象を人に与えるその外見からは想像出来ないほど、実は情熱家だった。
――今度はどんな『オヤジ』が、さく也をたらし込んでいるんだか
 さく也の恋人はいつも年上の、それも父親と言っても通りそうなくらいに年齢差がある『男』だった。そう言った相手を選ぶのは、記憶に薄い父親に対する無意識の思慕があるからで、恋と呼べるのかどうなのか疑わしい。相手の男とて付き合ううちにそれがわかると思うのに、類稀な美貌を持ち、表情の乏しさゆえに神秘的な魅力があるさく也を手放したくなくて、どの恋人も真綿で包むような優しさで甘やかし、縛りつけた――結局は恋愛にならない関係に挫折し、離れていくことになるのだが。
 りく也は人の恋路をとやかく言う野暮はしたくなかったし、無粋な弟だと思われたくもなかった。気にならないと言えば嘘になるが、さく也との時間に男の影がチラつくのは、正直、気分が悪い。りく也はよほどのことがないかぎり、二人でいる時に相手の男のことには触れなかった。さく也本人から聞き出さなくとも、相手の素性など調べる手立てはいくらでもある。
 りく也のコートのポケットで携帯電話が振るえ、鳴った。バイブレータのみにするつもりだったのに…と、りく也は顔をしかめた。かけてきたのはおそらく父の秘書辺りか。取りそびれた振りをしたが、間髪入れずに再び呼び出し音が鳴る。仕方なく、りく也は電話に出た。
「わかっている。もう少ししたら向う」
 案の定、父の秘書からだった。そっけなく答えて早々に切ると、自分を見るさく也と目が合った。
「ここからは一人で行くから、リクはもう行った方がいい」
「いいんだ。初めて行くホールなんだろう? 送ってく」
「そこに見えている。迷わない」
 さく也が道の先を見た。確かに目と鼻の距離にコンサート・ホールが迫っていた。
「だったらここでタクシーを拾っても、あそこで拾っても一緒だ」
 どうせくだらないパーティーだ。欠席したとしても、仕事には影響しない。父には別の思惑があり、りく也はそのために出席を強要されているだけだった。
 さく也はポケットから手帳を取り出すと、開いてりく也に見せた。ウィーンに戻るまでの予定が書き込まれていた。夜の部分は練習と演奏会の文字でところどころ埋まっていたが、昼間は帰国前日の「大学で演奏」以外、ほとんど空欄だった。
「予定はこれだけだから、リクの都合の良い時に連絡をくれればいい」
 てっきりこの休暇は恋人とべったり過ごすものだと、そして自分に連絡をくれたのは、一日くらい弟のために時間を割いてやろうと言う、兄としての気遣いだとりく也は思っていた。
「今のヤツと、一緒じゃないのか?」
「今のヤツ?」
「今の相手。そいつと一緒にいるために、日本に来たんだろう?」
「カノウさんとは、そんな関係じゃない」
 さく也は別のページに自分の予定を書き写し、それを千切ってりく也に差し出した。
「付き合ってるんじゃないのか?」
「俺が好きなだけで、彼は何とも思ってない」
 りく也は思わずさく也を凝視した。
「そいつ、おまえが好きなこと、知らないのか?」
 実らない恋などさく也に存在しなかった。
「知ってる。言ったから」
 恋をしたら、さく也は相手への好意を隠さない。
――さく也の片想いってことなのか?
 彼を拒んだ人間は、りく也が知る範囲では皆無だった。たとえヘテロ(異性愛者)な相手でも、誰もがさく也に夢中になる。それが「何とも思っていない」とは。 日本までさく也が来ているのに、スケジュール欄を空白のままにさせておくなんて。
「じゃあ、何でわざわざ日本に来たんだ?」
 りく也の視線をさく也はまっすぐ受けた。
「忘れられたくなかったから」
 彼は答えると、車道に向って手を上げる。一台のタクシーが目の前で停まり、後部座席のドアが開いた。さく也はりく也の腕を掴み、乗るように促す。半ば押し込まれる格好で、りく也はタクシーに乗り込んだ。
「おい、さく也」
「もう行った方がいい。連絡、待ってる」