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天の卵~神さまのくれた赤ん坊~【後編】 Ⅳ・完結

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初めてホテルで結ばれてからというもの、二人は週に一度は身体を重ねた。大抵は嵐のようなひとときを過ごし、有喜菜は彼の腕の中で何度も花びらを散らした。
 妊婦でありながら、男に抱かれて悦がり狂う自分が何故かとても淫らな堕落した女になったように思えた。しかし、好きな男に求められて、嬉しくないはずはない。
 有喜菜のお腹が大きく膨らんでゆくにつれて、ホテルでの行為も自然と穏やかなものになり、直輝は直輝で有喜菜を思いきり抱いて感じさせたいという欲望と懸命に闘っているようにも見えた。
 暑かった長い夏も終わり、秋がめぐってきた。澄んだ大気に色づいた山々がくっきりと立ち上がって見える季節になったのだ。
 暦は十月に入り、有喜菜の子宮で育つ胎児は九ヶ月を迎えた。もうクリニックの担当医もここまで成長すれば、万が一に早産になっても十分に生育するだろうと太鼓判を押している。二週間に一度の妊婦検診でも、胎児には全く異常は見られなかった。
 皮肉なものだと思う。かつて自分は三度も妊娠したけれども、三人の子どもは一人として育たなかった。なのに、四度目の今回の妊娠では何のトラブルもなく、赤ん坊は医師も愕くほど順調に発育し、有喜菜自身も至って模範的な妊娠経過を辿っている。
 やはり、自分の遺伝子を持った子どもだから、いけなかったのだろうか。今、有喜菜の胎内で育っている子どもは、有喜菜の血を一滴たりとも引いてはいない。だからこそ、今回の妊娠は順調に継続しているのだろうか。
 問題は、有喜菜自身にあったのか? 一度だけ、有喜菜は医師に訊ねたことがある。S市のクリニックで行われる健診には、いつも紗英子が我が者顔でついてくるから、訊くことはできない。だから、安定期の五ヶ月に入るまで注射に通っていた近くの小さな個人病院に行って訊ねたのである。
 有喜菜の思いつめたような表情に、初老の医師は細い眼を更に細めて言った。
―それは、あなたの心配のしすぎというものですよ、宮澤さん。あなたの場合はたまたま不幸が重なったというだけの話でしょうな。まあ、以前のご主人とあなたの相性が悪かったという可能性もないわけではないですが、そういう場合は、稀に生まれてくる子どもが順調に育たない場合があるんです。言わば精子と卵子の不適合とでもいうのでしょうか。しかし、もう済んだことですし、今は順調に赤ちゃんも育っているわけですから。
 その応えは有喜菜の不安を幾ばくかは和らげてくれた。確かに、死んだ子どもたちは可哀想だけれど、過去の不幸を今更嘆いても意味はない。
 有喜菜には正直、今、自分の子宮で育ちつつある赤ん坊に対して愛情はなかった。幾ら我が胎内で育っているとはいえ、遺伝子学的に見れば、全くの他人の子なのだ。何で、赤の他人に愛情など抱けるだろう?
 よく代理出産を引き受けた代理母が妊娠中に胎児に愛情を覚え、出産後も生まれた赤ん坊を実の親に返さない―、そういった事件も起こると聞いている。しかし、自分の場合に限っては、全く考えられない話だ。
 ただ、今回の出産はあくまでも〝仕事〟として引き受けているから、仕事を無事に終えなければならないという意識はあったし、とにもかくにも、これから生まれ出ようとしている生命を預かっているという自覚くらいはある。が、それは、単に他所の子を預かって家で面倒を見ているというくらいの感覚にすぎず、その子どもの居場所がただ家ではなく、自分の腹であるというだけの違いだった。
 考えてみれば、赤ん坊も憐れではあった。たとえ母親が狂信的なほどに望んでいるとしても、腹で育てている〝母親〟は少しの愛情も子どもに抱いてはおらず、むしろ早く赤ん坊が体外へ出て身二つになって、さばさばしたいと考えているのだから。
 では、父親である直輝の心情はどうなのかというと、やはり彼も人間―というより、本来、彼は心優しい男なのだ。生まれてこようとしている赤ん坊が可愛くないはずはなかった。
 それは今も、愛おしげにお腹に触れている彼の表情を見れば判ることだ。
 その日、有喜菜と直輝は、かつて有喜菜が注射に通っていたクリニックを訪れた。S市のクリニックには直輝は行けない。紗英子はまだ有喜菜と直輝のことを知らないからだ。
 有喜菜が診察を受ける間中、直輝は始終、緊張した面持ちで付き添っていた。有喜菜の大きなお腹に医師が超音波を当てると、傍らのモニターに胎児の画像が映し出される。
 直輝は神妙な顔でその画像を見守り、医師からの説明を逐一聞いていたが、
―元気なお子さんですよ。ほら、これが両脚。
 そう言って医師が胎児の脚の部分を指し示した途端、胎児が力強くキックして、現実に有喜菜の大きくせり出した腹部が烈しく動いた。
―何とも生まれる前から元気な赤ちゃんですな。もうかなり大きくなってきてますから、お母さんのお腹の中が狭くて苦しいのかもしれませんね。
 医師は有喜菜が代理出産を引き受けた妊婦であることも知っているはずなのに、付き添っている直輝との関係は全く訊ねなかった。
 その真摯な表情から、赤ん坊の父親であることは容易に想像がついたはずだ。代理母と胎児の遺伝子上の父親が本物の両親であるかのように睦まじく寄り添って健診を受けにきた―その異常な事実を訝しくは思っただろうが、態度には出さなかった。
 よほどの事情があることは自ずと伝わったのだろうか。
 医師がにこやかに言った時、有喜菜は直輝の頬が濡れているのに気づいた。彼は、有喜菜の腹部を元気に蹴る赤ん坊を見て、泣いていたのだった。
 その時、有喜菜は思ったものだ。やはり、直輝も人並みに我が子が可愛いのだと。たとえ代理出産という尋常ではない手段で得た子でも、彼にとっては紛れもない我が子なのだ、と。
 そして、有喜菜は更にその先を考えた。直輝が生まれてくる子に父としての愛情を感じているならば、自分たちに未来はない。やがて直輝は紗英子の許に戻るだろう。
 仮に有喜菜が生まれた赤ん坊を我が子だと主張し、手許にとどめておけば、もしかしたら直輝も有喜菜を選ぶかもしれない。しかし、そこまでして直輝を引き止めるつもりはなかった。
 第一、お腹に入れて育てている最中から、ひとかけらの愛情も抱いてはいない女を母と呼ばせるのは、あまりにも赤ん坊が可哀想だ。紗英子の愛情は盲信的な愛かもしれないが、それでも、とにかく子どもを母親として愛していることだけは確かなのだから。やはり、子どもは実の親を親として育つのがいちばんの幸せだろう。
 また、何も罪もない子どもを餌に男を引きつけるような真似は、有喜菜の性に合わない。健診に付き添ったときの彼の涙を目の当たりにして、有喜菜は出産を無事終えたならば、彼を紗英子と赤ん坊に返そうと思い始めていた。 
 だが―。そのときの直輝の涙は、実は全く別の理由から来るものであった。そのことを、有喜菜は直に思い知らされることになった。
 その日は土曜日で、直輝の仕事も休みだ。だから、健診が終わった後も、二人は病院の近くの公園をゆっくりと散策した。
 折しも晩秋の公園は秋の陽射しが穏やかに降り注ぎ、色とりどりの紅葉した樹々が立ち並んでいる。