小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

泣き虫

INDEX|2ページ/5ページ|

次のページ前のページ
 

残念な事に、この時にちょっと滑って激しく動こうものなら「ぐわっちっちっちっ・・・・」となってしまう。
更に、動いてしまいうので「いとまっちちちちちっ」とか、何が何だかわからない事を言い出し大騒ぎになってしまう。
挙句の果てには、半べそをかいて湯船から飛び出すのだった。

さっきのジジイ連中なんかは大笑いして、
「やい、坊主。いいか江戸っ子は、こんなもんじゃねえぞ」とか言って(ここ、横浜じゃん)
じっさい、もう「ゆでダコ」みたいになってんのに、「う〜ん・・・まだちょっとぬるいな・・・・」などと
言ってお湯などを足したりするのだった。

湯上りなんて、あんまり茹っちゃっていて目や耳から蒸気を出してるジジイがよく居た。
このようなジジイ連中は来るたんびに、だし汁が出てしまって日増しにしぼんでゆくのだった。


しかし最近は、自分もジジイ化してきたようで、
こう尻が「ちりちり」っとした位がじつに良いなあ〜と思うようになってきた。
自宅の狭い風呂に入っていると「たまには銭湯にでもいちゃおうかな」などと思うことがある。

自宅のせまい湯船の「尻ちりちり」よりも、やはり大きな湯船の「尻ちりちり」方が心地よい。
まわりの友人に「たまには温泉でも行きたいね」などと言ってみると、殆どの人が「賛成」の意見をいう筈である。
広い温泉の露天風呂などの 「尻ちりちり」などはもう・・・たまらないのである。



まったく「温泉」は良い。それから「大きな風呂」も良い。嬉しいし、気持ち良い。 
ちょっと雪などちらついている夜、温泉につかりながら盆に乗せた辛口の熱燗などをジックリと楽しむ。
「はっ」と気が付くと、やや後ろ斜めにボンヤリとした赤っぽくしかも弱い明かりに照らし出された、絶世の美女が居た。
「ぁあ・・・いらしたのですか・・・失礼しました・・・宜しければご一緒にどうですか?」といくと
「ぇえ・・・でも・・・私でも宜しいですか?」とくる
(宜しいんですよ!宜しいんですよ!!もうっ)状態で、俺は更に嬉しい嬉しい!

「そんな温泉なら俺だって 絶対敵に嬉しいよ!」という人も居るだろうが、そんな温泉は無い。

有ったとしても、この様な温泉は山奥のひなびた処で行くのに何時間も登ったり降ったりして、あげくの果てに道に迷い死ぬほど辛い目にあうのだ。
やっとたどり着けば「閉鎖しました」とか言う張り紙がしてあって全く悲しくなる。
だから素直にあきらめた方が良いのだ。

どうも話がずれてしまったようだな。
軌道修正なのだ。

当時の銭湯は、今と違ってすごく込んでいた。
俺の住んでいた所は、人口密度が割と高いうえに、さらに風呂の無い家庭が多かったようだ。
込んでいる時は、洗い場で人が並んでいたのを思い出す。

こんな時は、俺たちは割りと有利な立場である。
やせ細った小さな体である事を最大の武器にして行動する。普段から口煩いじじいもおやじも、何だか忙しなくて仕方が無い。
俺達は、ろくに体を洗わないでも気が付かれないし。
湯船のお湯も出入りが激しいので、ぬるめに成るので安心だった。

もちろん簡単に湯船に入る事は出来ないが、「するり」と入れれば、しめたものだ。
いつも、熱い湯なのですぐに上がらなければ成らないのとは大違いである。
結構くつろげるのだが、それなりのリスクはあった。

とにかく人が多いので、湯船の出入りが大変だ。
大人同士ならば、遠慮しながら入るのだろうが、俺たちには容赦ない。
張り倒されるならばまだしも、湯船に入る時に頭をまたいで入って行かれるのだった。
いきなり目の前に、尻が迫ってきたり。金玉が迫ってきたり大変である。

ひどい時には、前からまたがれる事も度々あった。
若い衆の「きりきり」とした金玉は、まだ良いのだが。
長湯ですっかり伸びきったジジイの金玉は、おでこに当たるんでまったくもって不愉快だった。

あれは、絶対にわざとやっているのだと思うのだ。
じっさい、大人の頭をまたぐわけにはいかない。
だから、俺たちが犠牲になるんだが、何も、一々おでこになすり付けてゆく事はないと思うのだ。

当然の事、文句を言えるはずも無く。
「うわひゃひゃぁああぁ」と、我慢していた。
これは、強く、大きく育つ肥やしになるのだった。(たぶん)



湯から上がると、脱衣場の天井に立ち昇る湯気を見るのが好きだった。
すごく高い天井で、一番高い所には湯気を逃がす小さなガラス戸が並んでいた。
「あのガラス戸の開け閉めは大変そうだなぁ〜」といつも思っていた。
じっさいに大変な様で、殆ど一年を通して同じ所が、開きっぱなしだった。
どこもかしこも板張りで、天井の梁からプロペラが下がって、ゆっくりと回っている。

番台のそばには、ガラス戸の冷蔵庫が有り、中には冷たそうな「コーヒー牛乳」や「フルーツ牛乳」が並んであった。
それは俺たちに飲める事は、年間を通してもほとんど無かったので、湯上りのそれを飲んでいる人を見ると羨ましかった。
同じ年ぐらいの子供が飲んでいるのを見るのは、少し辛くて見ない様にしていた事を覚えている。
そんな時は、一緒に居るみんながそうだった。

洗い場と反対側には、大きなガラスの引き戸があり、外には小さな中庭の様なものがある。
だいたい、石灯籠とか池とかが作ってあって嬉しい思い出が多いが、この銭湯派の場合は、どうした事か木製の船が捨てた様に置いてあった。

もちろん人が1人乗れるほどの大きさの船である。
きっと、釣り好きの親父が気の利いた振りをして買ってきちゃって、かみさんに散々叱られた挙句の事。
置いておく所も無くて「うん!ここだ!!やっぱりなぁ〜どんぴしゃだ」などと言って置いてしまったのだろう。
これも、すごく印象に残っている。


さて、この銭湯がある町は横浜の中心街からそれ程離れている所ではない。
国道16号線に接する町である。

その頃住んでいた俺のうちは、ひどく小さな借家だった。
父と母、父の母親、兄弟三人が寝るには、ひどく窮屈だった。
三畳ほどの板の間と四畳半ほどの二間で、隣と壁一枚で繋がった二軒長屋であったような記憶がある。
一坪ほどの土間があり、外に汲み取り式のトイレがあった。
もちろん風呂は無かった。
ここに、6人が住んでいたのだから大したものだ。

三畳の座敷は板の間よりも少し高くなっていた。
夜寝る時は、その段差の部分に父が作った「まな板の様な物」を、並べて同じ高さにして布団を敷いた。
そうもしないと、全員が横になるスペースが確保出来ないのであった。
夜になって、この「まな板の様な物」を、置き出すと寝る合図なので喜んで並べるのを手伝った。

三畳の座敷と板の間のほかに、台所となる更に狭い土間があった。
小さな石油コンロと七輪が、味噌の入っていた空樽の上に置かれていた。
その隣には、石で出来た流しがあった。水道はあった記憶があるが、ガスは記憶に無い。

玄関と言う部分は、一間ぐらいだったろうか・・・
風雨に晒されて居てすっかり劣化してしまい、はめてある曇りガラスと木の隙間が広く「がしゃがしゃ」とうるさい。
その引き戸を開けて外に出ると、前は赤茶けたそれ程広くない畑がある。
何が植えてあったのか?
作品名:泣き虫 作家名:角行