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泣き虫

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初夏。避暑地。
なぜか、その言葉が好きでたまらない。
何故、好きなのかは、どうも良く分からない。
しかし、その言葉には少し胸が苦しくなる様な、感じがするのだ。

年を重ねてきても、夏に成って来ると子供の頃に戻るような感じがするのだった。
そのせいで、初夏。避暑地。と言う言葉が好きなのだろうか・・・

今年は、実に暑い夏であった。
子供の頃の記憶は、印象的な事が多いものだ。
特に、今年の夏は子供の頃に味わった暑い夏を、思い起こさせるようだった。

遠い夏の思いで。それは、蚊取り線香の香り。
テレビから聞こえる野球のナイトゲームの歓声。
小学校から帰って、空が暗くなるまで遊んだ後のお風呂。

お風呂から出て体を拭き終えると、ばあちゃんや母が「あせしらず」を叩いてくれた。
わあわあと、騒ぎながら狭い部屋を走って逃げるのだ。
けして嫌で逃げてる訳ではない。すごく嬉しくて、楽しくてわざと逃げ回るのだった。
そして、捕まり「あせしらず」を叩いてもらうのだ。
体中が真っ白になり、すべすべして気持ちが良かった。
その香りも夏を思い出す物の一つだ。




小学校一年生、ちょうどこの時期に、県営の住宅に引っ越す事ができた。
その前までは、せまい借家でまるで「十姉妹」のように部屋からあふれんばかりで生きていた。
もちろんの事、風呂などは無い。
少し歩いた所の銭湯に行くのが普通だった。

産まれた時の事は覚えてないが(あたりまえだ)もの心ついた時はすでに貧乏路線を通常運転中であった。
もっとも、住んでいた場所は大体「7対3で貧乏の勝ち」と言う感じの地域だったようだ。
学校に上がる前は、毎日が朝から晩まで外遊びだったので、ただでも薄汚い近所のガキどもは毎日更に汚さを増すのだった。

着る物もろくに無い様な貧乏暮らしだ。だから、着れる物は何でも着せられた。
おやじや兄貴が何年も着た「ランニングシャツ」とか伸びきって丸首では無くて、楕円首に伸びきったのシャツなどを着ていた。
男兄弟が3人も居ると末っ子の俺にまわって来る頃には、雑巾のようだった。

首や肩の部分などは、すっかり伸び切っちゃって首の部分から肩が出ちゃていた。
そこら中に小さな虫食いの穴や破れてツギをあてた跡などがあった。
色だって、もう煮しめちゃったような色でいて、いくら洗濯してもきれいに成らない。

だいたい当時は、ドリフのコントに出てくる様な「金ダライ」と「木の洗濯板」が主流。
洗剤は、「ミヨシ」のレンガみたいな固形洗濯石鹸でほとんど泡は出ない。
何だか、薄汚れた水でゴシゴシと洗っているようで、どう見ても生地によいとは思えないのであった。

そういう訳で着る物は勿論の事、人体そのものが「汚い人体標本」に成ってしまっていた。
ろくに食う物も無く、遊びで「ヘトヘトどろどろ」になって家路につく毎日だ。

当然、家に帰れば「キタネー!!銭湯行って来い!!」と激しく怒鳴り飛ばされて近所の銭湯に行くのだった。
よその家でも状況は、あまり変わらない。
結局は、ガキどもの遊び場は大きな自然の中から、近所の銭湯へと場所が移るのだった。

風呂屋に行くと、とにかく誰にでも叱られた。
やれ「ぞうりが脱ぎっぱなしだ」と叱られ。
下駄箱に入れれば、入れたで「ここは大人が使う所だ」と叱られた。

この調子だから、服を脱ぐ時も散々に叱られる。
「埃っぽい」だの「汚い」だの、汚いから風呂に来ているのだから、そんなに叱らなくても良いのじゃないかと、子供心にも思うのだった。
脱いだボロ雑巾の様な、着物は、みんなで一つの籠に入れた。そうしなければ、成らないのだ。俺達は。

洗い場でも、いい加減に洗って湯船に入ろうものならば、まわりのおやじ連中に怒鳴り倒されるのだった。
もちろん、何をしても叱られるのだから、こちらもすっかり慣れてしまっていて、少々の事ではビクともしない。
だいいち、年間を通して叱られない日など無いからだ。

湯船に入っても、さんざん叱られる。
当時の銭湯は、大体熱めでとても俺達が安心して入るには、到底無理な温度設定である。
水を足そうものなら、またよそのおやじに怒鳴り倒されるのだった。

しかも俺らガキどもが入りに行く時間帯と、うるさいおやじ連中が入りに来る時間帯が殆ど一緒なのだ。
これはかなりキビシイ事であった。
従って、この危機を乗り越える為に俺達は開店早々行くことにする事もあった。
すると今度は、うるさいジジイ連中が占領しているのだった。「ジジイ3倍プレゼント」である。

そう言えば、こんな事がよくあった。
いつも叱られるので、汚れてすすけちゃっている俺達は洗い場の隅の方で、タイルの床に直に座ってみんなで並んで体を洗うのだ。
腰掛など使おう物ならば、すぐに怒鳴られるからだ。

桶も一人一人で使うと、叱られた。
だから隅の方で「ぺたり」と座り、みんなで洗う習慣がすっかり身に付いた。
もちろん、少しも不満など無く自然な事だった。

たしか、石鹸も無くて手ぬぐいだけを持ってみんなで通ったように覚えている。
今思うと、痩せこけて虱のわいた様な坊主頭の子供たちが、床に座って体を洗う後ろ姿はかなりひもじかったのだろう。
誰とも無く、必ず石鹸を貸してくれていたのだった。
じっさい、石鹸を持たずに行った俺たちは、いつも石鹸で体を洗えていたからだ。
体を洗いながら、石鹸を含んだ手ぬぐいを「ぶくぶく」と口で吹いて膨らませて遊んだりしたものだ。
「わあわあ」「きゃあきゃあ」と遊びながら体を洗っているうちに、どういう訳か頭や顔を洗う時に、俺達は皆が一緒に成ってしまうのだった。

そうすると、必ず悪戯をされるのだ。
「ぺたり」と座った尻の所の床に水を流されたり、後ろ頭を「ぺしゃり」とされたり、横腹をつつかれたりと、され放題であった。
あわてて、目を開けようものならば、石鹸で痛くて痛くてたまらないので、「ぎゅっ」と目を強く閉じて早く石鹸を流し周りを見渡すが、みんな知らん顔をしていた。
それこそ、大勢の時は桶が少ないので大変だった。

時には、運悪く湯船に近い方に座ってしまうと、さらに大変だった。
湯船から熱いお湯があふれて来て尻が熱くて座っていられないのだ。
熱い湯が好きなジジイなどと一緒の時には、もうみんな泣きそうである。
わざと、熱いお湯を溢れさせたりしては、からかうのだった。

身体を洗った後に、湯船に入る事もあまり好きではなかった。
もう、俺達はすっかり身体は暖まり、さらに暖まる為に湯船に入るなどとは、これっぽっちも考えていないのだから。
しかし、まわりのおやじ連中は、お節介であった。
肩までたっぷりと、湯船に浸かわされるのだった。
本当に、泣きそうになりながら、入ったのを覚えている。
しかも、湯をうめれば怒るし湯を混ぜれば怒るし・・・何をしても怒るのだ。
多分あんまり熱いから怒ってるのだろう。

「そんなに熱いなら早く出りゃあいいのに・・・」と ガキ心にも思うのだが、口に出しては言えないのだ。
そして、この手のジジイ連中はだいたい長湯なので困る。
必死に成って、やっと湯船につかり、なるべく動かないようにしながら徐々に楽な姿勢を確保するのだが、
作品名:泣き虫 作家名:角行